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豆田町の南に位置する町「港町」 陸の真ん中 川にも面してないこの町が「港」と呼ばれるようになった歴史が残されています。 塩谷代官は、三隈川上流の小ヶ瀬から井路を掘り川水を取り入れる大規模工事を行い干ばつに悩む耕作地である田島地域に水を送る小ケ瀬井路を1825年に完成させました。その後日田の中心部から集積地となっていた関河岸(夜明)まで年貢米などの物資を船で運ぶため小ケ瀬井路の水を得た中城川に中城河岸(川舟の港)と竹田河岸(隈町)を整備し「日田川通船」が実現しました。写真は江
豆田町北に流れる花月川を川上に上ると慈眼山があります。慈眼山周辺には歴史を伝え残す施設や神社が残っています。豆田観光に来たなら歩いて行ける距離にある永山城城跡と一緒に観光して廻るのもお勧めです。 小ケ瀬井路(慈眼山下) 三隈川上流の小ヶ瀬から井路を掘り川水を取り入れる大規模工事を行い干ばつに悩む耕作地である田島地域に水を送る小ケ瀬井路。塩谷代官から要請を受けた廣瀬淡窓の弟である廣瀬久兵衛と草野忠右衛門は、受益を得る町民たちから資金を集め百姓も加わり大規模工事を行い1825
伝統的建築物が多く残る豆田町の建造物には、個性的な瓦や鬼瓦などを目にすることが出来ます。左官アート同様そこに住む人や商売人の想いなどが表現されています。沢山の種類があるので探してみてください。
江戸時代の景観を残す豆田町は、現在観光地となっていますがかつては、城下町として栄え庄屋や職人が暮らす町でした。花月川を境にした丸山町にある月隈公園では、永山城の城跡を見ることが出来ます。 歴史 慶長6年(1601) 小川光氏が月隈山に居城を作るために星隈山に仮城として城を築き3年かけて月隈山に丸山城を完成させ、後に友田村丸山町の一部を移築し城下町①とした。そして豆田上町②③にも拡張されていきました。 この年に日田郡は有田・豆田・隈の3地区に分割統治されます。 ※豊臣秀吉が