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日常六心。

わたしが生きていくうえで大切にしているもの。

それは、日常六心である。

日常六心は仏教からきている教えであり、目に見えない、人間の奥底に潜む大切な考えである。


「はい」という素直な心

返事をするときには、必ず「はい」と言う。

相手のことをいったん受け止めている、という意思表示にもなる。

「はい」=「拝」と書き、仏様を拝むという「拝」の字にも通ずる。


「ごめんなさい」という素直な心

人は一人では生きていけない。

お互いに支えあい、成長しながら生きている。

完璧な人間なんか、いない。

だからこそ、自分の行動を振り返ったときに人に悪いことをもししてしまったのならば、それは素直に謝る。

お互い様なのだから。


「ありがとう」という感謝の心

「ありがとう」=「有難う」

有るのが難しいのである。

今、隣にいる大切な人は、明日も一緒に過ごせるかわからない。

今、やり残していることがあっても、明日が必ず来るかもわからない。

当たり前が当たり前ではないのである。

だからこそ、日々を大切に生き、感謝を伝えたいと思ったらその時に言う。

それも、これを言えば自分を評価してくれる、とか、人に良く見られたいから、とか、適当にやり過ごせばいいや、とか、そんな上心・下心ではなく、

本当に、その人のために、という一心で、真心で伝えると、たとえその言葉がつたなかったとしても、必ず相手には気持ちが伝わるものである。


「私のようなものでも・・・」という謙虚な心

日本人は、謙遜しすぎる。

まわりに、「その服可愛いね~☆」と言われても、「いやいやいや・・・」と常套句のように使っている。

謙遜しすぎても、反対に自信が過ぎて過信になりすぎても良くないが、これも真心で、「私のようなものでもお役に立てれば・・・」という精神で生きたいものだ。


「させていただく」という奉仕の心

「仕事」=「人のために仕える事」

「働く」=「傍(はた=他人)を楽にする」

どちらも、「人」が中心となっている。

自分の心に余裕があったら、相手の仕事を手伝ってあげる。

それが「徳を積む」ということになる。

その結果、まわりまわって徳が自分のもとへ返ってくるのだから、こんなに良いことはない。


「いつもニコニコ」という明るい心

いつもニコニコしている人のところに集まりたいと思う。

いつもニコニコしている人に相談したいと思う。

いつもニコニコしている人を信じたいと思う。

いつも笑顔で明るい人は、それだけで周りを照らす。

まるで、太陽である。


この日常六心を意識するか、しないかによって、人生が大きく変わってくるといっても過言ではない。

ただ、これらがいつもできるか、と言ったら、難しい。

なぜなら、この日常六心は、シンプルだけど、無意識にできるまでが難しいのだから。

だから、やるのである。やってみるのである。

やってみなければ、わからない。

やってみて、わからないとかモヤモヤしたら、それを仲間にぶつけてみれば良い。

一人で考えず、みんなの知恵を借りるのだ。

だって、自分の問題は、みんなの問題でもあるのだから。



あ~今日も、良く生きた。充実した、幸せな一日だった。

セミナーに集ってくれたみんな、ありがとう☆

みんなのおかげで私は成長できました♪



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