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暇は恐ろしいという話

この話を書いている今、私は大学生である。
大学生になって一番驚いたことは何か、と問われたら、恐らく私は「休みが長いこと」と答えると思う。
まさか夏休みが2ヶ月程もあるとは思わなかった。
大学生は本当に自由なのだと実感したのも、確かその時だった。

3度目の長い夏休みに突入した現在であるが、去年ほどの心の余裕は無い。
大きな実習の準備も始まっているし、課外活動も2、3抱えている。とても忙しい。

しかし不思議と調子が良い。
体に不調も無い。
強いて言うならば肩こりと眼精疲労があるが、今に始まった事ではないので置いておくことにする。

むしろ、体の不調で言うならば去年の方が酷かった。
2ヶ月ほどの夏休みで、2回も風邪を拗らせたのだ。一回は喉からの発熱、もう一回は腹痛が悪化して発熱した。
去年の夏は心すら沈んでいたのをよく覚えている。

今年の稀に見ぬ忙しさを経験して分かったことなのだが、私はどうやら、「暇」と相性が悪いらしい。

私は基本的にネガティブ思考なのだが、それに加えて思案する時間が非常に長い。良く言えば「慎重派」であるが、悪く言えば「行動に移すのが遅い」ということだ。
「暇」という時間は、まさにその思案をするのにうってつけなのである。

「暇」が無い現在は、がむしゃらに走るしかない。やらねばならない事も大方定まっている。ゴールに向かってひた走るから迷う事もない。
うじうじと考えている時間すら用意できない。

逆に「暇」が多かった去年の夏は、思案のしすぎでどんどん思考がネガティブになっていた。
明確なゴールも設定せず、「何もしていないのではないか」という罪悪感すら存在していた。そして罪悪感から再び思案し、またネガティブに。
…最悪の悪循環である。
これが要因で、去年の夏は体すら不調になったのだろう。「病は気から」とはよく言ったものだ。

中学生の時、私は部活の顧問にこんなことを言われた。

「貴方は常に動いていなさい。その方が良い。」

当時は「どういうこと?」と思って頭の片隅に置いていたが、今やっと分かった。
「暇」を私は思案で潰し、あろう事かどんどんマイナス思考に落ちてゆくからだったのだ。
「まずは行動してみる」という言葉はあながち間違っていない。

かつての私ならば「とりあえず動くなんて、そんなに単純な事じゃあない」と思っていただろう。
しかし、行動までの思考の長さを思えば、踏み出す一歩も大切である。静かに機会を待つとして、それは停滞でしかないのかもしれない。

去年の夏は勿体無いことをしたと思う。今年ほどの熱意で過ごせていたらとしばしば自責の念も感じる。
だからこそ、「暇だ。」などと言えないほどに充実した時間を過ごしてゆきたい。

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