夏目漱石「それから」1-3
◇評論
前段の最後に、「門野が代助の所へ引き移る二週間前には、此若い独身の主人と、此 食客(ゐさうらふ)との間に下の様な会話があつた」とあった続きの場面。
一話がすべて会話で成り立っているのが特徴。「こころ」にはこのような形は無かった。
門野についての内容をまとめる。
・あちこちの学校に行ってみたが、飽きっぽい性格からじきに嫌になりやめてしまった。そもそも勉強する気もない。
・最近の不景気で門野家の経済状態が悪く、母親は内職をしている。ただ、どれほどの困窮状態なのかは家族に聞くのも面倒で、門野は正確には知らない。
・もと近所にいた縁で、婆さんと門野の母親が知り合い。
・門野の兄は郵便局員の26歳。弟は銀行の小使。門野だけが働いていないが、彼はそれを気にしておらず、家で寝ているか散歩をしている。
・運漕業の叔母と叔父がいる。
・体は丈夫。
門野と代助の会話は、門野の受け答えが暖簾に腕押しで反応が鈍く、答えが要領を得ない。従って、代助との会話は一応成り立ってはいるが、読者は門野に対し、どこか間抜けで愚鈍な印象を強く持つ。漱石のレベルで考えると、門野の人物像をそう思われるようにうまく仕上げているということだ。このことを、会話に沿って細かく見てみる。
「君は何方(どつか)の学校へ行つてるんですか」
「もとは行きましたがな。今は廃(や)めちまいました」…退学を意に介していない門野
「もと、何処(どこ)へ行つたんです」
「何処つて方々ほう/″\行きました。然しどうも厭(あき)つぽいもんだから」…飽きっぽいという自分の性格も意に介していない
「ぢき厭(いや)になるんですか」
「まあ、左様(さう)ですな」…他者の批判に怒らず、あいまいにそうだと肯定
「で、大(たい)して勉強する考もないんですか」
「えゝ、一寸(ちよつと)有りませんな。それに近頃 家(うち)の都合が、あんまり好(よ)くないもんですから」…「大(たい)して勉強する考もないんですか」というのは、門野を批判する意味を含んだ言葉なのだが、それを簡単に肯定。自分を馬鹿にされてもやはり意に介さない
「一所に居ることは居ますが、つい面倒だから聞(き)いた事もありません。何でも能(よ)くこぼしてる様です」…自身の生活が成り立たなくなるのにもかかわらず、実家の経済状況を心配しない
「すると遊んでるのは、君許りぢやないか」
「まあ、左様(そん)なもんですな」…批判を簡単に肯定。その言い方もとぼけている
「それで、家にゐるときは、何をしてゐるんです」
「まあ、大抵寐てゐますな。でなければ散歩でも為(し)ますかな」…怠惰を恥じることなくそのまま素直に語ってしまう
「外(ほか)のものが、みんな稼(かせ)いでるのに、君許り寐てゐるのは苦痛ぢやないですか」
「いえ、左様でもありませんな」…怠惰の肯定
「だつて、御母さんや兄さんから云つたら、一日も早く君に独立して貰(もら)ひたいでせうがね」
「左様かも知れませんな」…自分は独立など本当は考えも心配もしていない
「君は余つ程気楽な性分(しやうぶん)と見える。それが本当の所なんですか」
「えゝ、別に嘘を吐(つ)く料簡もありませんな」…あからさまな侮蔑に対し、それでも無感動の対応。ここに「嘘をつく」という表現は誤り。代助は門野が嘘をついているのではないかと責めているわけではない。言葉の選び方が間違っている。
「ぢや全くの呑気(のんき)屋なんだね」
「えゝ、まあ呑気屋つて云ふもんでせうか」…馬鹿にされても何とも思わない
「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」
「其時に為(な)つて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何しろ、どうか為(な)るだらうと思つてます」…判断の先延ばしが常で、しかもその結果がどうなろうと気にしない
「其外(そのほか)に親類はないんですか」
「叔母が一人ありますがな。こいつは今、浜で運漕業をやつてます」
「叔母さんが?」
「叔母が遣(や)つてる訳でもないんでせうが、まあ叔父ですな」…相手を誤解させるような話し方
「其所へでも頼んで使つて貰(もら)つちや、どうです。運漕業なら大分人が要(い)るでせう」
「根が怠惰(なまけもん)ですからな。大方断わるだらうと思つてるんです」…自身の愚鈍を隠そうとしない
「さう自任してゐちや困る。実は君の御母さんが、家の婆さんに頼んで、君を僕の宅(うち)へ置いて呉れまいかといふ相談があるんですよ」
「えゝ、何だかそんな事を云つてました」…自身の今後を全く気にしないし不安にも思わない。代助の迷惑もまったく顧みない。
「君自身は、一体どう云ふ気なんです」
「えゝ、成るべく怠けない様にして~」…代助の所に来たいのかそうでないのかを聞いているのに、その次の段階のことを先走って答える
「家へ来る方が好いんですか」
「まあ、左様ですな」…自分の居場所・生活の場をどうするかという大事な話なのに、どうでもいいようなとぼけたあいまいな答え
「然し寐て散歩する丈ぢや困る」
「そりや大丈夫です。身体の方は達者ですから。風呂でも何でも汲みます」…先ほどまでは怠惰を隠さなかったのに、急に何でもして働くと言う信用できない人
「風呂は水道があるから汲まないでも可(い)い」
「ぢや、掃除でもしませう」…結局代助の所に世話になりたいのかと、代助も読者も思う
したがって、これらのかみ合わない会話をうけて、その結果として、「門野は斯う云ふ条件で代助の書生になつたのである」と、語り手はまとめることになる。語り手のこのまとめ方には、門野への呆れた様子がうかがわれる。
門野のようにとぼけて何を考えているのかわからない人を相手に話をしたり、ましてや自分の所に引き受けたりすることは、強いためらいが伴うだろう。その意味では、代助はよくこのような男を引き受けようと思ったものだ。前話に、「漠然として、刺激が要(い)らなくつて好(い)いと思つて書生に使つてゐる」とあったが、婆さん経由での門野の叔母からの依頼に対し、断る選択をしなかった理由がいまいちはっきりしない。
門野は、人の懐に入るのが上手な男だ。代助としては、いつの間にか彼を引き受けることになってしまったという感覚だろう。
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