夏目漱石「それから」本文と評論3-5

◇本文
 それから約四十分程して、老人は着物を着換えて、袴(はかま)を穿(は)いて、俥(くるま)に乗つて、何処かへ出て行つた。代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間の戸を開けて中へ這入(はい)つた。是(これ)は近頃になつて建て増した西洋作りで、内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠に本(もと)づいて、専門家へ注文して出来上つたものである。ことに欄間の周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家に頼んで、色々相談の揚句に成つたものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物を展開した様な、横長の色彩を眺めてゐたが、どう云ふものか、此前来て見た時よりは、痛く見劣りがする。是では頼もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼を付けて吟味してゐると、突然 嫂(あによめ)が這入つて来た。
「おや、此所(こゝ)に入(い)らつしやるの」と云つたが、「一寸(ちよい)と其所(そこ)いらに私の櫛(くし)が落ちて居なくつて」と聞いた。櫛は長椅子(ソーフア)の足の所にあつた。昨日縫子に貸して遣(や)つたら、何所(どこ)かへ失くなして仕舞つたんで、探しに来たんださうである。両手で頭を抑へる様にして、櫛を束髪の根方(ねがた)へ押し付けて、上眼(うはめ)で代助を見ながら、
「相変らず茫乎(ぼんやり)してるぢやありませんか」と調戯(からか)つた。
「御父さんから御談義を聞かされちまつた」
「また? 能く叱られるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね。然し貴方(あなた)もあんまり、好かないわ。些とも御父さんの云ふ通りになさらないんだもの」
「御父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」
「だから猶始末が悪いのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、些(ちつ)とも云ふ事を聞かないんだもの」
 代助は苦笑して黙つて仕舞つた。梅子は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊(せい)のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女である。
「まあ、御掛(おかけ)なさい。少し話し相手になつて上げるから」
 代助は矢っ張り立つた儘、嫂の姿を見守つてゐた。
「今日は妙な半襟(はんえり)を掛けてますね」
「これ?」
 梅子は顎(あご)を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした。
「此間(こないだ)買つたの」
「好い色だ」
「まあ、そんな事は、何うでも可(い)いから、其所(そこ)へ御掛けなさいよ」
 代助は嫂の真正面へ腰を卸した。
「へえ掛けました」
「一体今日は何を叱られたんです」
「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為(ため)に尽すには驚ろいた。何でも十八の年から今日迄のべつに尽くしてるんだつてね」
「それだから、あの位に御成りになつたんぢやありませんか」
「国家社会の為に尽くして、金が御父さん位儲かるなら、僕も尽くしても好い」
「だから遊んでないで、御尽しなさいな。貴方は寐ゐて御金を取らうとするから狡猾よ」
「御金を取らうとした事は、まだ有りません」
「取らうとしなくつても、使ふから同じぢやありませんか」
「兄さんが何とか云つてましたか」
「兄さんは呆れてるから、何とも云やしません」
「随分猛烈だな。然し御父さんより兄さんの方が偉いですね」
「何(ど)うして。――あら悪らしい、又あんな御世辞を使つて。貴方(あなた)はそれが悪いのよ。真面目な顔をして他(ひと)を茶化すから」
「左様(そん)なもんでせうか」
「左様なもんでせうかつて、他(ひと)の事ぢやあるまいし。少しや考へて御覧なさいな」
「何(ど)うも此所(こゝ)へ来ると、丸で門野と同じ様になつちまふから困る」
「門野つて何です」
「なに宅(うち)にゐる書生ですがね。人に何か云はれると、屹度左様なもんでせうか、とか、左様でせうか、とか答へるんです」
「あの人が? 余っ程妙なのね」

(青空文庫より)

◇評論

 「それから約四十分程して」

 「それから」とは、前話で代助の今後についてある程度話を進めた時点から。「約四十分程」というのが妙に詳しい時間の説明だ。現在ではこの「40分」という時間は、クレーマー対応の時間の目安となっている。この時間以上を費やしても、議論は進まず互いのストレスと感情は収まらない。父子にとっても喧嘩にならない限界の時間だった。
 また、この時間設定は、40分間の父子の会話の内容を読者に想像させる効果を持つ。
 理解不能な息子に対している父親と、共通理解は不可能であることを確信している息子との会話は、平行線どころか心がさらに遠く隔たるだけだった。

それから約四十分程して、老人は着物を着換えて、袴(はかま)を穿(は)いて、俥(くるま)に乗つて、何処かへ出て行つた。代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間の戸を開けて中へ這入(はい)つた。

 息子の今後についての大事な話はまとまらず、父親は本当に告げたかったことを告げないままどこかへ外出する。「袴(はかま)を穿(は)いて、俥(くるま)に乗つ」たからには、仕事か何かの正式・公式な場へ赴く感がある。忙しい人なのだ。また、その行先や内容について、代助は無関心であることがわかる。
 心は通じ合わないふたりだが、それでも代助は一応見送はすることで父親を立てる気持ちはあるようだ。

代助も玄関迄送つて出たが、又引き返して客間の戸を開けて中へ這入(はい)つた。是(これ)は近頃になつて建て増した西洋作りで、内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠に本(もと)づいて、専門家へ注文して出来上つたものである。ことに欄間の周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家に頼んで、色々相談の揚句に成つたものだから、特更興味が深い。代助は立ちながら、画巻物を展開した様な、横長の色彩を眺めてゐたが、どう云ふものか、此前来て見た時よりは、痛く見劣りがする。是では頼もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼を付つけて吟味してゐると、突然 嫂(あによめ)が這入つて来た。 

 実家の客間の説明の部分。父親との実のない会話の後、代助は芸術・趣味の世界へと向かう。現実の世界から美的世界への移行。
 長井家の住人は減少傾向にある。代助も独立しているから、もともといた両親と5人兄弟の7人家族は現在、父、兄夫婦、その子供2人の5人家族となっている。だから、「近頃になつて建て増」す必要はない。従ってこの客間は、「西洋」風の趣向を凝らした、客を迎えるために新たにしつらえた部屋ということになる。姪の縫がバイオリンを演奏して聞かせることに使用する部屋かもしれない。いずれにせよ、長井家の財力がうかがわれる。
 「内部の装飾其他の大部分は、代助の意匠に本(もと)づいて、専門家へ注文して出来上つたものである」。ここに代助の教育の成果と教養が発揮される。代助には部屋の装飾をデザインする能力があり、長井家にはそれを専門家に発注して作らせる金がある。「西洋作り」の部屋に「欄間」があるという和洋折衷の作り。その「周囲に張つた模様画は、自分の知り合ひの去る画家に頼んで、色々相談の揚句に成つたものだから、特更興味が深い」。これは、東京目黒にある雅叙園の欄間をイメージするとわかりやすいだろう。

雅叙園「漁樵の間」(https://www.hotelgajoen-tokyo.com/100dan)

代助は立ちながら、画巻物を展開した様な、横長の色彩を眺めてゐたが、どう云ふものか、此前来て見た時よりは、痛く見劣りがする。是では頼もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼を付けて吟味してゐる

 代助は芸術・美に妥協をしない。気に入らぬところがあればそこに目が行き、完成形へと心でイメージ・創造する。自分の仕事の出来が気になる人だ。

 是では頼もしくないと思ひながら、猶局部々々に眼を付けて吟味してゐると、突然 嫂(あによめ)が這入つて来た。
「おや、此所(こゝ)に入(い)らつしやるの」と云つたが、「一寸(ちよい)と其所(そこ)いらに私の櫛(くし)が落ちて居なくつて」と聞いた。櫛は長椅子(ソーフア)の足の所にあつた。昨日縫子に貸して遣(や)つたら、何所(どこ)かへ失くなして仕舞つたんで、探しに来たんださうである。両手で頭を抑へる様にして、櫛を束髪の根方(ねがた)へ押し付けて、上眼(うはめ)で代助を見ながら、
「相変らず茫乎(ぼんやり)してるぢやありませんか」と調戯(からか)つた。
「御父さんから御談義を聞かされちまつた」

 美的世界に遊ぶ代助のもとに、今度は嫂が登場する。代助は「突然」現実に引き戻される。見当たらない櫛の在りかを探しに来て、偶然代助と出くわした体だが、義父の外出後に代助と話がしたかったのだ。彼女は、義父と代助の話の内容が気になっている。物語の構成と、嫂の言い訳がうまくマッチした場面。客室にはソファーが置かれている。その「足の所」にある櫛との取り合わせの妙。「両手で頭を抑へる様にして、櫛を束髪の根方(ねがた)へ押し付けて、上眼(うはめ)で代助を見ながら」という部分に色気を感じる。ここは普通であれば、たとえば代助に背を向け、櫛を刺し直してから代助の方に振り返るという動作が考えられる。上目遣いは男心をくすぐるだろう。ましてや嫂の両手は髪に添えられており、女性性を色濃くにじませる。嫂は、この時の自分とそのしぐさが義弟にどう映っているかを知った上でこのようなことをしている。その無防備さは、邪心がないのかあるのかが曖昧で、相手の男性を悩ませるだろう。
 「相変らず茫乎(ぼんやり)してるぢやありませんか」という「からか」いを、代助は好ましく思っただろう。互いに気安く戯れることができる相手なのだ。からかい、からかわれる関係。だからこれに対し代助も、「御父さんから御談義を聞かされちまつた」とふざけながら愚痴をこぼすことができるのだ。ふたりはこのような会話を交わすことにより、互いの心の距離を縮めている。またその内容は、ふたりだけの秘密となり、その共有は、さらに親しみを増す効果がある。
 嫂の年齢がわからないが、兄よりも下だろうから、代助と歳が近いのだろう。

 このふたりの会話は面白いので、細かく見ていきたい。

「御父さんから御談義を聞かされちまつた」
「また? 能く叱られるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね。然し貴方(あなた)もあんまり、好かないわ。些とも御父さんの云ふ通りになさらないんだもの」
「御父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」
「だから猶始末が悪いのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、些(ちつ)とも云ふ事を聞かないんだもの」
 代助は苦笑して黙つて仕舞つた。梅子は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した。脊(せい)のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女である。

 代助の、「御父さんから御談義を聞かされちまつた」という愚痴に対して、「また? 能く叱られるのね。御帰り匆々、随分気が利かないわね」という素直で強烈なパンチを嫂は放つ。言葉の上でじゃれあっている中での痛烈批判なので、代助は苦笑するしかない。嫂の言う通りなのだ。さらにこのセリフから、代助は以前に何度も父親に叱られていたことがわかる。また、義父と義弟の仲の悪さを、嫂は認識している。

 嫂は義弟をたしなめる。「然し貴方(あなた)もあんまり、好かないわ。些とも御父さんの云ふ通りになさらないんだもの」 義父の肩を持った言いようをして、代助にちょっかいを出している。

 「御父さんの前で議論なんかしやしませんよ。万事控え目に大人しくしてゐるんです」
 実際、代助は、父親の前でおとなしくはしているが、議論をしても仕方がない、喧嘩になるだけの無駄なことだと考えている。だから本当は、「控え目」ではなくはじめから議論をあきらめているのだ。面従腹背のさま。

 「だから猶始末が悪いのよ。何か云ふと、へい/\つて、さうして、些(ちつ)とも云ふ事を聞かないんだもの」
 嫂のセリフはいつも正しい。これも、代助の気持ちを見抜いた本当の事だ。だから「代助は苦笑して黙つて仕舞」うことになる。
    代助ははなから父親に取り合わないので、その返事に意味はなく、適当なものとなる。それに対し嫂とは会話を進めることによって共通理解が得られ、心が通じ合う関係であり、その正論に対して下手な言い訳や返事は通用しない。だから代助は黙るしかないのだ。
    嫂が言う通り、代助は、「些とも御父さんの云ふ通りになさらない」・「些(ちつ)とも云ふ事を聞かない」のだ。 そのようなことが続けばやがて父親は怒りだすだろう。

    「梅子は代助の方へ向いて、椅子へ腰を卸した」
 嫂はいよいよ本腰を入れて義弟と談判しようとする。

 「脊(せい)のすらりとした、色の浅黒い、眉の濃い、唇の薄い女である」。
 まじめに話をしようとする嫂に対し、代助の方は人間観察に余念がない。そのおかげで、我々読者は嫂の情報を得ることができるのだが。
 「脊(せい)のすらりとした」からは、それまでの日本人女性とは違う近代的存在であることを感じる。「色の浅黒い」からは、活発さ。「眉の濃い、唇の薄い」からは意志の強さと知性、利発さを感じる。嫂は物事を公平に見ることができる人だ。

「まあ、御掛(おかけ)なさい。少し話し相手になつて上げるから」
 代助は矢っ張り立つた儘、嫂の姿を見守つてゐた。
「今日は妙な半襟(はんえり)を掛けてますね」
「これ?」
 梅子は顎(あご)を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした。
「此間(こないだ)買つたの」
「好い色だ」
「まあ、そんな事は、何うでも可(い)いから、其所(そこ)へ御掛けなさいよ」
 代助は嫂の真正面へ腰を卸した。
「へえ掛けました」
「一体今日は何を叱られたんです」

「まあ、御掛(おかけ)なさい。少し話し相手になつて上げるから」
いかにも嫂と言う立場からの上から目線の物言いだ。
    それに対し代助は、「矢っ張り立つた儘、嫂の姿を見守つてゐた」。嫂への小さな抵抗。

「今日は妙な半襟(はんえり)を掛けてますね」
急に真面目な様子になった嫂をちゃかしてわざと別の話題にし、その内容も嫂の身に着けているものという美醜にかかわるものにして、女心をくすぐっている。
    また代助は、父親との話の内容について嫂に告げても、問題は解決しないと考えている。

「「これ?」
 梅子は顎(あご)を縮めて、八の字を寄せて、自分の襦袢の襟を見やうとした」
 櫛を刺し直した様子といい、ここのしぐさといい、代助が男であることを気にしていないのかわざとそうしているのかがわからない。この時代にこのようなしぐさは、はしたないと思われただろう。「襦袢」が話題なのだ。「これ?」という気のおけない簡単な返事であることも含め、男性の目から見るととても表情豊かでかわいらしい女性だ。だから代助がある程度本音で話せる相手として嫂は形作られている。父親といい兄といい、血の繋がったものとは会話が成立しない。それに対して他人である嫂とは心が通じ合う皮肉。

「此間(こないだ)買つたの」
「好い色だ」
 ここも気を許した者同士の会話であることを強く感じさせる。嫂のそっけなくも少し甘えた言葉と、それに対する義弟の素直で短い誉め言葉。代助の真情が現れているセリフなので、嫂はうれしかっただろう。だから彼女は照れ隠しのためもあり、話題を元に戻そうとする。

「「まあ、そんな事は、何うでも可(い)いから、其所(そこ)へ御掛けなさいよ」
 代助は嫂の真正面へ腰を卸した。
「へえ掛けました」」
 代助は嫂の追及に観念して座る。嫂の命令口調とそれに素直に従う義弟の動作と返事が、読者には好ましい。
 話はいよいよ本題に入る。

「一体今日は何を叱られたんです」
「何を叱られたんだか、あんまり要領を得ない。然し御父さんの国家社会の為(ため)に尽すには驚ろいた。何でも十八の年から今日迄のべつに尽くしてるんだつてね」
「それだから、あの位に御成りになつたんぢやありませんか」

 嫂は、義父と義弟の間を取り持とうと思っている。できれば仲良くしてもらいたいが、なかなか思い通りにいかないことを憂慮している。よその家から入った嫂だからこそ、そのように思うのだろう。血のつながった者同士は、ともすると言葉も感情もあらわにぶつかってしまう。遠慮というものがないのだ。代助は父親を蔑視しているが、嫂はわざと父親の肩を持つ言い方をし、父親にも認めるべき部分はあると代助に告げている。やはりふたりを取り持とうとしているのだ。

「国家社会の為に尽くして、金が御父さん位儲かるなら、僕も尽くしても好い」
「だから遊んでないで、御尽しなさいな。貴方は寐ゐて御金を取らうとするから狡猾よ」
「御金を取らうとした事は、まだ有りません」
「取らうとしなくつても、使ふから同じぢやありませんか」
「兄さんが何とか云つてましたか」
「兄さんは呆れてるから、何とも云やしません」
「随分猛烈だな。然し御父さんより兄さんの方が偉いですね」
「何(ど)うして。――あら悪らしい、又あんな御世辞を使つて。貴方(あなた)はそれが悪いのよ。真面目な顔をして他(ひと)を茶化すから」
「左様(そん)なもんでせうか」
「左様なもんでせうかつて、他(ひと)の事ぢやあるまいし。少しや考へて御覧なさいな」

「国家社会の為に尽くして、金が御父さん位儲かるなら、僕も尽くしても好い」
    思ってもいないことを言う代助。彼は「国家社会の為に尽く」す気も、「金」を「儲」ける気も無い。それが分かっている嫂は、代助を責める。

「だから遊んでないで、御尽しなさいな。貴方は寐ゐて御金を取らうとするから狡猾よ」
直球の痛烈批判。「遊んで」いることも、「寐ゐ」ることも、「狡猾」なことも、すべてが嫂の言う通りなので、困った代助は、残った「御金を取らうとする」の部分を用いて反論にもならない反論をかろうじてする。この時点で既に代助の負けだ。

「御金を取らうとした事は、まだ有りません」
「取らうとしなくつても、使ふから同じぢやありませんか」
    相変わらず嫂は手厳しい。その通りなので、代助は正面から反論することができない。従って、兄がそのように言っていたのかと話題を転換する。

「兄さんが何とか云つてましたか」
「兄さんは呆れてるから、何とも云やしません」
これも率直な返事だ。夫は「呆れてるから、何とも云や」しない。あなたを見放しているというのだ。
    ここで嫂は、夫のことを「兄さん」と呼ぶ。これは、直前にある代助の「兄さん」と呼応した受け答えである一方で、代助を子ども扱いした言い方だ。日本では、その集団の最年少者を基準に構成員を呼ぶ。特に年少者との会話の場面でそのように呼ぶことにより、年少者への寄り添いの気持ちを表すのだ。嫂は二重に代助を子ども扱いしている。だからそれらを察した代助は、「随分猛烈だな」と言うのだ。「猛烈」なのは、自分に呆れている兄であると同時に、嫂の言い方だ。

「随分猛烈だな。然し御父さんより兄さんの方が偉いですね」
「何(ど)うして。――あら悪らしい、又あんな御世辞を使つて。貴方(あなた)はそれが悪いのよ。真面目な顔をして他(ひと)を茶化すから」
ここも、嫂の言う通りなので、真正面からの反論ができない。だから代助は、「兄さんの方が偉いですね」などと思ってもいないことを言い、兄と嫂を「茶化す」。
    嫂はそんな代助の企みにちゃんと気付く。「真面目な顔をして」「御世辞を使」う「悪い」人だと。これに対しても代助はとぼけるしかない。

「左様(そん)なもんでせうか」
「左様なもんでせうかつて、他(ひと)の事ぢやあるまいし。少しや考へて御覧なさいな」
嫂の追及は止まらない。世慣れない困った義弟だ。

「何(ど)うも此所(こゝ)へ来ると、丸で門野と同じ様になつちまふから困る」
代助は最後まで素直に負けを認めない。「困る」とは、そんなに責めないでという意味であり、嫂の言葉を正面から真面目に受けとめた謝罪・反省にはなっていない。
また、「困る」の理由として、「丸で門野と同じ様になつちまふ」というのがまた「狡猾」だ。少なくとも自分は、門野と比べたらまだましだと言っている。これは子供の論理だ。ここで門野と比較しても意味も理由もない。「あの人よりはまし」というのは、自分の責任を回避するための常套句だ。

「門野つて何です」
「なに宅(うち)にゐる書生ですがね。人に何か云はれると、屹度左様なもんでせうか、とか、左様でせうか、とか答へるんです」
嫂は門野をはっきりとは認識していないようだ。
「人に何か云はれると、屹度左様なもんでせうか、とか、左様でせうか、とか答へる」様子は、父や兄の前の代助自身の姿だ。代助に、門野を蔑視する資格はない。

「あの人が? 余っ程妙なのね」
代助自身、「余っ程妙」だ。しかしここはとりあえず義弟の意に沿ってあげた嫂だった。痛烈批判だけでなく最後に理解の言葉を告げることで、嫂は代助に心情的寄り添い・共感の姿を見せる。だからふたりは繋がっているのだ。嫂はものごとが分かった人物だ。

     父親・兄と代助という、血は繋がってはいるが両極端な存在に挟まれ、両者を取り持とうとする嫂。お疲れ様です。

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