夏目漱石「それから」本文と評論4-1

◇本文
 代助は今読み切つた許(ばかり)の薄い洋書を机の上に開けた儘、両 肱(ひぢ)を突いて茫乎(ぼんやり)考へた。代助の頭は最後の幕で一杯になつてゐる。――遠くの向ふに寒さうな樹が立つてゐる後に、二つの小さな角燈が音もなく揺らめいて見えた。絞首台は其所(そこ)にある。刑人は暗い所に立つた。木 履(くつ)を片足 失(な)くなした、寒いと一人が云ふと、何を? と一人が聞き直した。木履を失くなして寒いと前のものが同じ事を繰り返した。Mは何処(どこ)にゐると誰か聞いた。此所(ここ)にゐると誰か答へた。樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿つぽい風が其所から吹いて来る。海だとGが云つた。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持つた、白い手――手套(てぶくろ)を穿(は)めない――を角燈が照らした。読上げんでも可(よ)からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた。……もう只(たつ)た一人になつたとKが云つた。さうして溜息を吐(つ)いた。Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只(たつ)た一人になつて仕舞つた。……
 海から日が上がつた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸(くび)、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元(もと)の路へ引き返した。……
 代助はアンドレーフの「七刑人」の最後の模様を、此所(こゝ)迄頭の中で繰り返して見て、竦(ぞつ)と肩を縮(すく)めた。斯(か)う云ふ時に、彼が尤も痛切に感ずるのは、万一自分がこんな場に臨んだら、どうしたら宜(よ)からうといふ心配である。考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何(いか)にも残酷である。彼は生(せい)の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に往つたり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝(じ)つと坐つてゐると、脊中一面の皮が毛穴ごとにむづ/\して殆(ほとん)ど堪(たま)らなくなる。
 彼の父は十七のとき、家中(かちう)の一人を斬り殺して、それが為(た)め切腹をする覚悟をしたと自分で常に人に語つてゐる。父の考では兄の介錯を自分がして、自分の介錯を祖父(ぢゞ)に頼む筈であつたさうだが、能くそんな真似が出来るものである。父が過去を語る度に、代助は父をえらいと思ふより、不愉快な人間だと思ふ。さうでなければ嘘吐(うそつ)きだと思ふ。嘘吐きの方がまだ余っ程父らしい気がする。
 父許(ちゝばかり)ではない。祖父(ぢゞ)に就ても、こんな話がある。祖父が若い時分、撃剣の同門の何とかといふ男が、あまり技芸に達してゐた所から、他(ひと)の嫉妬(ねたみ)を受けて、ある夜縄手道を城下へ帰る途中で、誰かに斬り殺された。其時第一に馳け付つけたものは祖父であつた。左の手に提灯を翳(かざ)して、右の手に抜身(ぬきみ)を持つて、其抜身で死骸を叩きながら、軍平(ぐんぺい)確(しつか)りしろ、創(きづ)は浅いぞと云つたさうである。
 伯父が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどや/\と、旅宿(やどや)に踏み込まれて、伯父は二階の廂(ひさし)から飛び下りる途端、庭石に爪付(つまづ)いて倒れる所を上から、容赦なく遣(や)られた為に、顔が膾(なます)の様になつたさうである。殺される十日程ほど前、夜中(やちう)、合羽(かつぱ)を着きて、傘に雪を除(よ)けながら、足駄(あしだ)がけで、四条から三条へ帰つた事がある。其時旅宿の二丁程手前で、突然後ろから長井 直記(なほき)どのと呼び懸けられた。伯父は振り向きもせず、矢張り傘を差した儘、旅宿の戸口(とぐち)迄来て、格子を開けて中へ這入(はい)つた。さうして格子をぴしやりと締(し)めて、中(うち)から、長井直記は拙者だ。何御用か。と聞いたさうである。
 代助は斯んな話を聞く度に、勇ましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先に立つ。度胸を買つてやる前に、腥(なまぐさ)い臭(にほ)ひが鼻柱(はなばしら)を抜ける様に応(こた)へる。
 もし死が可能であるならば、それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である。所が、彼は決して発作性の男でない。手も顫(ふる)へる、足も顫へる。声の顫へる事や、心臓の飛び上がる事は始終ある。けれども、激する事は近来殆んどない。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死に易くなるのは眼に見えてゐるから、時には好奇心で、せめて、其近所迄押し寄せて見たいと思ふ事もあるが、全く駄目である。代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸で違つてゐるのに驚ろかずにはゐられない。

(青空文庫より)

◇評論
  「アンドレーフの「七刑人」の最後の模様」を、「頭の中で繰り返して見て」いる代助のイメージが描かれる。
「今読み切つた許(ばかり)の薄い洋書を机の上に開けた儘、両 肱(ひぢ)を突いて茫乎(ぼんやり)考へた」「代助の頭は最後の幕で一杯になつてゐる」。「遠くの向ふに寒さうな樹が立つてゐる後に、二つの小さな角燈が音もなく揺らめいて見え」、「絞首台は其所(そこ)にある」。「刑人は暗い所に立つた」。
・一人・Sか…「木 履(くつ)を片足 失(な)くなした、寒い」と言う。
・別の一人・wか…「何を?」と聞き直す。
・初めの一人…「木履を失くなして寒い」と同じ事を繰り返した。
・誰か・kか…「Mは何処(どこ)にゐる」と聞く。
・М…「此所(ここ)にゐる」と答える。
「樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿つぽい風が其所から吹いて来る」。
・G「海だ」と言う。
「しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持つた、白い手――手套(てぶくろ)を穿(は)めない――を角燈が照らした。読上げんでも可(よ)からうといふ声がした。其の声は顫へてゐた。やがて角燈が消えた」。角燈の明かりが消えたことは、人の命の灯も消えたことを表すだろう。
・k…「もう只(たつ)た一人になつた」と言い、「溜息を吐(つ)いた」。「Sも死んで仕舞つた。Wも死んで仕舞つた。Mも死んで仕舞つた。只(たつ)た一人になつて仕舞つた。……」
 「海から日が上がつた。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。さうして引き出した。長くなつた頸(くび)、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元(もと)の路へ引き返した。……」

 アンドレーフの「七刑人」(七死刑囚物語)は、1908年5月に発表され、漱石はそれをドイツ語訳か英訳で読んだようだ。「それから」は1909年6月から新聞連載されたので、前年発表の新しい小説を素材にしたことになる。まだ知られていない物語は、新奇な印象を持たれただろう。しかもその内容は難解だ。一度読んだだけでは、登場人物の人物像と関係がまるでわからない。「七刑人」とあるから7人出てくるのだろうが、先ほどまとめたとおり、代助の説明では、誰が誰やらわかりにくい。

 代助は「七刑人」の処刑の場面を「頭の中で繰り返」す。そうして、「竦(ぞつ)と肩を縮(すく)めた」。これは代助でなくても同じような感想を抱くだろう。まして心臓に手を当ててその動きを確認するような代助だ。「彼が尤も痛切に感ずるのは、万一自分がこんな場に臨んだら、どうしたら宜(よ)からうといふ心配である」のは当然だ。「考へると到底死ねさうもない。と云つて、無理にも殺されるんだから、如何(いか)にも残酷である」と感じる。次の比喩表現がわかりやすい。「生(せい)の慾望と死の圧迫の間に、わが身を想像して、未練に両方に往つたり来たりする苦悶を心に描き出しながら凝(じ)つと坐つてゐると、脊中一面の皮が毛穴ごとにむづ/\して殆(ほとん)ど堪(たま)らなくなる」 代助は明らかに、死への恐怖を有している。健康で病気もしない彼は死を恐れる必要もないのだが、神経過敏がそうさせているのだろう。
 このような代助が、なぜ好んで残酷な描写のある物語を読むのだろう。心臓と精神に悪いことではないか。怖いもの見たさからか。心臓に手を置く代助は、すべての人にいつかは必ず訪れる死という現実を、その都度確認しなければ気が済まない人なのだろう。命という奇跡をありがたがる彼の今後が興味深い。

 代助の身近な人々の命に関わる話題が続く。
 父は十七のとき、人を斬り殺し、切腹するはずだった。しかもそれを常々人に語る父。もし切腹に及べば、その時は兄の介錯を父がし、自分の介錯を祖父に頼む筈だった。代助は、人を殺すことや自分が死ぬことを得意げに語る父親が不愉快だ。または、嘘つきだと思っている。
 祖父と伯父も、それぞれ激しい命のやり取りに遭遇している。
 「代助は斯んな話を聞く度に、勇ましいと云ふ気持よりも、まづ怖い方が先に立つ。度胸を買つてやる前に、腥(なまぐさ)い臭(にほ)ひが鼻柱(はなばしら)を抜ける様に応(こた)へる」。死を恐れる男が代助だ。
 「もし死が可能であるならば、それは発作の絶高頂に達した一瞬にあるだらうとは、代助のかねて期待する所である」。しかし彼は「決して発作性の男でない」し、「激する事は近来殆んどない」。激すると云ふ心的状態は、死に近づき得る自然の階段で、激するたびに死に易くなるのは眼に見えてゐる」と、代助は考える。「代助は此頃の自己を解剖するたびに、五六年前の自己と、丸で違つてゐるのに驚ろかずにはゐられない」。この表現は、「五六年前」の代助に、「激する事」があったことを暗示する。しかもそれは、自分の命を懸けたことなのだろう。

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