夏目漱石「それから」本文と評論9-4
◇評論
「そんなに佐川の娘を貰ふ必要があるんですか」という代助の言に、父親の顔が怒りで赤くなった場面の続き。
「代助は父を怒らせる気は少しもなかつた」。彼にとって「人と喧嘩をするのは、人間の堕落」であり、「怒つた人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云ふ点に於て、大切なわが生命を傷つける打撃に外ならぬと心得てゐた」。「人を斬つたものゝ受くる罰は、斬られた人の肉から出る血潮であると固く信じてゐた。迸(ほとばし)る血の色を見て、清い心の迷乱を引き起さないものはあるまいと感ずるからである。代助は夫程神経の鋭どい男であつた。だから顔の色を赤くした父を見た時、妙に不快になつた」。相手を怒らせることよりも、その怒った相手の様子を眺めると、自分の「生命」が傷つけられ、「清い心」が乱されることを、代助は忌んだ。代助の「神経」は「鋭ど」く、彼は父の赤い顔によって「不快」になった。
「迷乱(めいらん)」…心が迷い乱れること。(デジタル大辞泉)
「けれども此罪を二重に償ふために、父の云ふ通りにしやうと云ふ気は些(ちつ)とも起らなかつた。彼は、一方に於て、自己の脳力に、非常な尊敬を払ふ男であつたからである」
…「此罪」とは、①喧嘩をして人を怒らせることと、②相手の怒つた顔色が自分の鋭い精神を不愉快にさせること。「二重に償ふ」とは、上記の二つを回避すること。①父を怒らせず、②その顔色が変わらないようにするために、「父の云ふ通りにしやうと云ふ気は些(ちつ)とも起らなかつた」。なぜなら代助は、自分の「脳力」に「尊敬を払ふ男」だったからだ。彼は、いかに父親が怒ろうと、いかにその顔が赤くなろうと、それらに耐え、佐川の娘との結婚を許諾することはなかった。
「脳力」…(体力や精神力と違って)記憶力・推理力・想像力・判断力などの優劣によって計られる頭脳の働き。(三省堂「新明解国語辞典」)
父親は「頗(すこぶ)る熱した語気で」、代助に「非常に叮嚀に説」く。
①「自分の年を取つてゐる事」
②「子供の未来が心配になる事」
③「子供に嫁を持たせるのは親の義務であると云ふ事」
④「嫁の資格其他に就ては、本人よりも親の方が遥かに周到な注意を払つてゐると云ふ事」
⑤「他(ひと)の親切は、其当時にこそ余計な御世話に見えるが、後になると、もう一遍うるさく干渉して貰ひたい時機が来るものであるといふ事」
これに対し「代助は慎重な態度で、聴いてゐた。けれども、父の言葉が切れた時も、依然として許諾の意を表さなかつた」。
続いて「父はわざと抑えた調子で」、
⑥「「ぢや、佐川は已(や)めるさ。さうして誰でも御前の好きなのを貰つたら好いだらう。誰か貰ひたいのがあるのか」と云つた」。
これに対し代助は、「「別にそんな貰ひたいのもありません」と明らかな返事をした」。父のこの言葉は、佐川の娘への拘泥とは種を異にする内容だ。しかしこの後に続く父の発言から、本心では⑥のようには思っていないことが露呈する。
⑦「すると父は急に肝の発した様な声で、「ぢや、少しは此方(こつち)の事も考へて呉れたら好からう。何もさう自分の事ばかり思つてゐないでも」と急調子に云つた」。これが父の本音だ。だから「代助は、突然父が代助を離れて、彼自身の利害に飛び移つたのに驚ろかされた」。しかし自身の「脳力」に重きを置く代助の「其驚ろきは、論理なき急劇の変化の上に注がれた丈であつた」。
まだその理由は明かされていないが、とにかく父親は佐川の娘と結婚させたいのだ。その目的地にたどり着く道筋を何とか探し出そうと、様々な角度から代助を説得にかかっている。何をどう言っても自分の思うような返事が返ってこないので、「少しはこっちの事情も考えろ」と思わず本音を漏らす父親。やはりこの結婚には、父親に関係する何かの事情があるようだ。
父親「自身の利害に飛び移つた」ことへの「驚ろき」はすぐに消え、代助の冷静で客観的な「脳力」は、「論理なき急劇の変化の上に注がれ」る。代助は怒らない男として形作られる。
「「貴方(あなた)にそれ程御都合が好い事があるなら、もう一遍考へて見ませう」と答へた」
…しかし代助の心には、三千代が存在する。だからこの言葉は、この場を取り繕っただけの意味しか持たない。そうして父親にとっては、「あなたの利害に関する事情があるなら、曲げて佐川の娘との結婚を検討してもいい」という意味にとれる。だから「父は益機嫌をわるくした」のだ。
「代助は人と応対してゐる時、何(ど)うしても論理を離れる事の出来ない場合がある」。彼の「脳力」が、どのような場面であっても客観的で論理的な思考を要求する。「夫(それ)が為、よく人から、相手を遣(や)り込めるのを目的とする様に受取られる。実際を云ふと、彼程人を遣り込める事の嫌な男はないのである」。
父親は前言を訂正する。
「何も己(おれ)の都合 許(ばかり)で、嫁を貰へと云つてやしない」
…しかしこれは嘘だ。
父親の「理窟」は続く。
・「三十になつて、普通のものが結婚をしなければ、世間では何と思ふか大抵分かるだらう。そりや今は昔と違ふから、独身も本人の随意だけれども、」…人は30歳にもなれば結婚するのが世の常識だ。
・「独身の為に親や兄弟が迷惑したり、果ては自分の名誉に関係する様な事が出来(しつたい)したりしたら何(ど)うする気だ」…30歳にもなって結婚しない者がいると、その家族に迷惑がかかるし、本人にとっても不名誉だ。
これでは何のために息子に結婚を勧めているのかが不明瞭になってしまった。もはや父親の「理屈」は論理的に破綻している。ただ滔々(とうとう)と結婚を説く父親の姿に、「代助はたゞ茫然として父の顔を見てゐた。父は何(ど)の点に向つて、自分を刺した積りだか、代助には殆んど分らなかつたからである」。
しかたなく、「そりや私のことだから少しは道楽もしますが……」と言う代助の言葉を、「そんな事ぢやない」と父親は遮り、「二人は夫限(それぎり)しばらく口を利(き)かずにゐた」。
代助自身、自分の道楽を父親は責めているのではないことを分かった上での発言だ。だから父は当然、「そんなことを非難しているのではない」と応える。
「父は此沈黙を以て代助に向つて与へた打撃の結果と信じた。やがて、言葉を和(やわ)らげて、「まあ、よく考へて御覧」と云つた。代助ははあと答へて、父の室(へや)を退いた」。
…ここに完全なる親子の断絶が描かれる。子を思うふりで実は自らの「利害」のために事を運ぼうとする父親。それを見透かしてしまっている子。ふたりの言葉と心は交わらない。
なおここでふたりが決定的な破局に至らないのは、代助が父親に養われているからだ。その意味では代助には弱みがあり、厳しく父親を責めたてることができない。だからあいまいな形での物別れということになる。代助の論理は、確固として独立している者が言えば正論だが、彼の足場は砂の上にある。
代助は、父親の部屋からすごすごと引き上げる。
「座敷へ来て兄を探したが見えなかつた。嫂はと尋ねたら、客間だと下女が教へたので、行つて戸を明けて見ると、縫子のピヤノの先生が来てゐた。代助は先生に一寸挨拶をして、梅子を戸口迄呼び出した。
「あなたは僕の事を何か御父さんに讒訴しやしないか」
梅子はハヽヽヽと笑つた」。
…父親からこんなことを言われて責められたと愚痴をこぼしたいのだ。兄は退散し、嫂は子の世話。「あなたは僕の事を何か御父さんに讒訴しやしないか」とは、「結婚のことで父親にさんざんにやられてしまったよ」を言い換えたもの。事情を察する嫂は、笑うことで義弟を慰める。
「さうして」気分転換をさせようと思い、「まあ御這入んなさいよ。丁度好い所だから」と、「代助を楽器の傍(そば)迄引張つて行つた」。代助は嫂に芸術の世界へと連れられる。嫂はそれにより義弟を癒そう・気分転換させようとする。彼にとって嫂は、心が通じ合う唯一の存在だ。
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