夏目漱石「それから」3-1
◇評論
今話は代助の家族の情報が紹介される。
〇父親について
・名は「長井 得」…「得」という名が何を表すかを考えながら読むことになる。「得」・利益になることに関心があるか。
・「御維新」…明治維新のこと。
・「戦争」…戊辰戦争(明治元年・1868年~明治2年・1869年)のこと。これに20歳で参加したとすると、50歳程度ということになる。明治時代の平均寿命は45歳くらいなので、得は今、自分の人生を総括し、また自分が去った後の長井家の行く末を慮っているだろう。代助へも、会話を含めて、そのような観点から接することになる。もう「老人」なのだ。
・「今でも至極達者」
・「役人」→実業に転身→財産家
〇兄・誠吾一家について
・学校(東京大学だろう)を卒業してすぐ、父の関係してゐる会社に就職→今ではそこで重要な地位を占める
・梅子という夫人と、二人の子供がいる。兄は誠太郎・15歳。妹は縫(ぬひ)・12歳。
・誠吾は不在がち。
〇代助のその他の家族について
・誠吾の外に姉が一人おり、外交官の夫と共に西洋在住。後にフランスにいることが示される。
・誠吾とこの姉の間にもう一人、この姉と代助の間にも一人兄弟がいたが、二人とも早く死んだ。母も死んだ。
〇その他の情報
・代助は近頃一戸を構えた
・本家には「四人(よつたり)残る訳になる」というのは、父親の得を除いた残りの人数ということだろう。
・代助は月に一度は必ず本家へ金を貰いに行く。「代助は親の金とも、兄の金ともつかぬものを使つて生きてゐる」。
・また、退屈になれば実家へ出掛けて行く関係にある。子供をからかい、書生と五目並べをし、嫂(あによめ)と芝居の評をしたりする。
このあたりの説明からは、代助と実家の人々との良好な関係がうかがわれる。であるならば、なぜ独立したのかということになる。そこにはもちろん彼の年齢が関係しているのだろうが。
その一方で、代助の生計は、実家からの支援で成り立っていることがわかる。働かず、他人の金でやっと生きることが可能な代助は以前、「麺麭(ぱん)に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくつちや人間の甲斐はない」と語っていたことが想起される。平岡でなくても、代助に対する批判的な目が向けられるだろう。平岡が言うとおり、「何時(いつ)迄もさう云ふ世界に住んでゐられゝば結構さ」ということだ。代助の人生論には、説得力がない。
代助一家は裕福な家族だ。父は財産家、兄も重役、姉は外交官の夫とともに洋行、嫂と芝居の評を交わす、代助は働かずとも実家からの支援で生計が成り立つ。豊かな経済力を背景に、余裕のある生活を営んでいるのだ。
〇嫂・梅子について
・代助は嫂を好いている。
・嫂は、「天保調と明治の現代調を、容赦なく継(つ)ぎ合はせた様な一種の人物である」。前代の江戸時代の気質と現代の明治時代の気質がともに存在している様子。もっともそうしなければ、明治を生きることはできず、ある意味、賢い心構えと言えるだろう。全く異なる2つの価値観を無理やり接続させなければ、近代化を急ぎ、目まぐるし変化する日本、特に東京に存在することは困難だ。この態度は、文化的生活を楽しむ富裕層に、ありがちだったのではないか。いきなり過去を捨てることは、「新しもの好き」と揶揄される恐れもある。だから嫂は、江戸っ子気質と近代的価値観の両方をあわせ持った人物であり、またそのように造形されている。彼女はやがて、父や夫と代助の間に入り、両者を繋ぐ役割を果たす。漱石はそのような役回りを彼女に与えているのだ。
嫂は時にコケティッシュな表情を見せる。続いて述べられる「織物事件」もそのひとつだ。フランス製だと思い込んでいた織物が、実は日本製だったというエピソードは、現在でもありがちな出来事だろう。良かれと思って買ったハワイ旅行のお土産が、よく見たら「メイドインチャイナ」であることに気付き渡せなくなったりする。もらったものがそのケースだったりして、くれた相手が生産地の確認をしない粗雑さに落胆したりする。プレゼントをくれた相手の評価が下がってしまうという残念な結果に陥る。
それにしても、いくら義妹がフランスにいるからといって、わざわざ高価な織物を取り寄せ、それを「四五人」の職人に加工させることを嫂が許され、失敗が「大笑ひ」で許容されるという財力が長井家にはあるのだ。どれだけの財産が有るのだろうかとうらやましくなってしまう。無職の男がひとりぐらい家族にいても、どうということはないだろう。
「織物事件」には、代助も絡んでいる。彼は暇に任せて、また、嫂が失敗したのではないかという勘が働き、わざわざ「三越陳列所へ行つて、それを調べて来た」。代助は、織物・高価値のものの目利きなのだ。彼にはそのような教養・知識が備わっている。はるばるフランスから運ばれた織物を見て、それはフランス製ではないと見抜く力が代助にはある。
「織物事件」は、嫂のそそっかしい性格・気質、代助の博識さ、嫂と代助の気安い関係などをうかがわせるエピソードだ。このような小話にさまざまな情報を込める漱石の巧みさ。
嫂の様子が続く。
「西洋の音楽が好きで、よく代助に誘ひ出されて聞きに行く。さうかと思ふと易断(うらなひ)に非常な興味を有(も)つてゐる。石龍子(せきりうし)と尾島某(おじまなにがし)を大いに崇拝する。」
これだけの説明があれば、「天保調と明治の現代調を、容赦なく継(つ)ぎ合はせた様な一種の人物である」嫂の人となりを、読者は了解するだろう。2つの価値の間にはさまれた様子が面白く、失敗も可愛く見える。男性にとって、とてもこころ引かれる女性だ。嫂だが、代助の方が上の立場から彼女にちょっかいを出し、また一緒に文化を享受する、とても良好な関係が結ばれている。
だから代助は、「またか」、とか、「そんなもの信じてもしょうがないよ」と思いながらも、嫂に付き合ってあげるのだ。「代助も二三度御相伴に、俥(くるま)で易者(えきしや)の許(もと)迄 食付(くつつ)いて行つた事がある」。かわいい嫂と、「やれやれ」といった表情の義弟。気安い関係であり、ふたりの間にはこころの交流がある。
○誠太郎(甥・15歳)と縫(姪・12歳)について
誠太郎…
・近頃ベースボールに熱中。代助が行つて時々球を投げてやる事がある。30歳ぐらいの叔父と15歳の甥のキャッチボールはほほえましい。
・妙な希望を持っている。
毎年夏の初めに、氷菓(アイスクリーム)を食いたがる。氷菓がないときには、氷水で我慢し、得意顔。近頃、もし相撲の常設館が出来たら、一番先に入る希望あり。新し物好きな、いかにも15歳らしい男子だ。
縫(ぬひ)…
・何か言うと、「好(よ)くつてよ、知らないわ」と答える。
・日に何度もリボンを掛け易える。おしゃれに興味があるのだ。
・近頃はバイオリンの稽古に行く。ちゃんとおさらいをするのだが、下手。人が見ていると、恥ずかしがって決して遣(や)らない。親はかなり上手だと思っている。誠吾夫婦は、音楽が分からないのだ。代助だけが時々そっと戸を開ける明けると、「好くつてよ、知らないわ」と叱られる。これも思春期にある女子らしい態度。この作品に限らず、漱石は子供の造形が上手だ。
「代助だけ」とあるところから、縫の両親は、娘の習い事の中身にあまり興味が無いことが分かる。両親はただ、娘がちゃんとおさらいをしていることだけで満足なのだ。音楽による芸術的感覚の養成や精神的発達への期待などは、はなから無いのだろう。
現在でもバイオリンを習うことは一般的ではない。バイオリンの入手や、講師の手配(外人講師の可能性がある)など、明治期にそれが可能だった長井家の財力は、やはり相当なものだったろう。
・誠吾は大抵不在がちのため、何うして暮しているのか、二人の子供には全く分からない。
・二人とも、代助が好き。(そうすると、先ほどのバイオリンのおさらいを覗いて叱られた場面は、代助のちょっかいに縫がお決まりのツンで返したということになる。ふたりはじゃれあっているのだ)
続いて、誠吾と代助の関係が話題となる。
・代助にも兄の動向は分からない。しかしその方がいいと代助は思っている。誠吾と代助の疎遠さ・交流の無さと、こころの隔たりがうかがわれる。
・「代助は二人の子供に大変人望がある。嫂にも可なりある。兄には、あるんだか、ないんだか分からない。」
・「たまに兄と弟が顔を合せると、たゞ浮世話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣(や)つてゐる。陳腐に慣れ抜いた様子である」という場面について。
ふたりはもう独立した大人なのだ。だから、本当は胸に思う事があっても、余計なことは言わない。互いに干渉することは避けようとする。そんなふたりの話題として最適なのが「浮世話」だ。ふたりは相手に不満を持っている。しかしそれはあからさまに言うほどのものでもないし、また、関係でもない。話すのも嫌な相手ではないから、とりあえず他愛もない世間話で場をつなぐのだ。これは確かに「陳腐」なのだが、世渡りのコツでもあるだろう。無用ないさかいを回避する方便だ。(だから他人が批判するようなことでもない)
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