夏目漱石「それから」1-4

◇本文
 代助はやがて食事を済まして、烟草を吹かし出した。今迄茶 箪笥(だんす)の陰(かげ)に、ぽつねんと膝を抱へて柱に倚(よ)り懸つてゐた門野は、もう好い時分だと思つて、又主人に質問を掛けた。
「先生、今朝は心臓の具合はどうですか」
 此間(このあひだ)から代助の癖を知つてゐるので、幾分か茶化した調子である。
「今日はまだ大丈夫だ」
「何だか明日にも危(あや)しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体(からだ)を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取つ付かれるかも知れませんよ」
「もう病気ですよ」
 門野は只(たゞ)へえゝと云つた限(ぎり)、代助の光沢(つや)の好(い)い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる。代助はこんな場合になると何時(いつ)でも此青年を気の毒に思ふ。代助から見ると、此青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰つてゐるとしか考へられないのである。話をすると、平民の通る大通りを半町位しか付いて来ない。たまに横町へでも曲ると、すぐ迷児(まいご)になつて仕舞ふ。論理の地盤を竪(たて)に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼の神経系に至つては猶更粗末である。恰も荒縄で組み立てられたるかの感が起る。代助は此青年の生活状態を観察して、彼は必竟何の為(ため)に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある。それでゐて彼は平気にのらくらしてゐる。しかも此(こ)ののらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞ひたがる。其上頑強一点張りの肉体を笠(かさ)に着て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来る。自分の神経は、自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報ひに受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為(な)れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野にはそんな事は丸で分らない。
「門野さん、郵便は来て居なかつたかね」
「郵便ですか。斯(か)うつと。来きてゐました。端書(はがき)と封書が。机の上に置きました。持つて来ますか」
「いや、僕が彼方(あつち)へ行つても可(い)い」
 歯切(はぎ)れのわるい返事なので、門野はもう立つて仕舞つた。さうして端書と郵便を持つて来た。端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日午前会ひたし、と薄墨の走しり書きの簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋の名と平岡 常次郎(つねじろう)といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。
「もう来きたのか、昨日着いたんだな」と独(ひと)り言(ごと)の様に云ひながら、封書の方を取り上げると、是は親爺(おやぢ)の手蹟(て)である。二三日前帰つて来た。急ぐ用事でもないが、色々話しがあるから、此手紙が着いたら来てくれろと書いて、あとには京都の花がまだ早かつたの、急行列車が一杯で窮屈だつた抔といふ閑文字が数行列ねてある。代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べてゐた。
「君、電話を掛けて呉れませんか。家(うち)へ」
「はあ、御宅(おたく)へ。何て掛けます」
「今日は約束があつて、待ち合はせる人があるから上(あ)がれないつて。明日か明後日屹度伺ひますからつて」
「はあ。何方(どなた)に」
「親爺が旅行から帰つて来て、話があるから一寸(ちよつ)と来いつて云ふんだが、――何(なに)親爺を呼び出さないでも可(い)いから、誰にでも左様(さう)云つて呉れ給へ」
「はあ」
 門野は無雑作に出て行つた。代助は茶の間から、座敷を通つて書斎へ帰つた。見ると、奇麗に掃除が出来てゐる。落椿(おちつばき)も何所(どこ)かへ掃き出されて仕舞つた。代助は花瓶(くわへい)の右手にある組み重ねの書棚の前へ行つて、上に載せた重い写真帖を取り上げて、立ちながら、金の留金とめがねを外(はづ)して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃迄来きてぴたりと手てを留(と)めた。其所(そこ)には廿歳(はたち)位の女の半身(はんしん)がある。代助は眼を俯せて凝(じつ)と女の顔を見詰めてゐた。

(青空文庫より)

◇評論
・代助はタバコをたしなんでいる。
・門野は、主人が食事を終えタバコをふかすのを見て、話しかけるのにちょうどいい頃合いだと判断することくらいはできる。
    ただその待ち方は、「茶 箪笥(だんす)の陰(かげ)に、ぽつねんと膝を抱へて柱に倚(よ)り懸つて」いると、まるで子供のようだ。

 「先生、今朝は心臓の具合はどうですか」以降の部分からは、門野の愚鈍さと、それに対する代助の高尚さが読み取れる。
 蔑視の対象の門野が、「幾分か茶化した調子である」ことで、その馬鹿さ加減がさらに増す。

 「何だか明日にも危(あや)しくなりさうですな。どうも先生見た様に身体(からだ)を気にしちや、――仕舞には本当の病気に取つ付かれるかも知れませんよ」という言葉は、余計なお世話だ。代助が門野ごときに言われる筋合いのものではない。愚か者は、それを無自覚なまま他者を愚弄する。それ故に愚かだ。

 「門野は只(たゞ)へえゝと云つた限(ぎり)、代助の光沢(つや)の好(い)い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上から眺めてゐる」以降の部分は、代助の思いに読者も共感する。「気の毒」な「此青年」の「頭は、牛の脳味噌で一杯詰つてゐるとしか考へられない」。人の「話」は「半町位しか付いて来ない」。「横町」では「すぐ迷児(まいご)になつて仕舞ふ」。「坑道などへは、てんから足も踏み込めない」。門野の「神経系」は「猶更粗末で」、「荒縄で組み立てられたるかの感が起る」。代助はとうとう、「彼は必竟何の為(ため)に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さへある」と、その人としての存在の理由・意義まで問うことになる。
 代助は、外見は確かに健康そうに見えるのだが、その内実は繊細で高尚な精神で満たされている。神経の過敏さにより、心臓の作用にも影響が出そうなほどだ。それが門野には全くうかがい知れない。
 
 愚鈍なのはまだいいのだが、門野のたちの悪さは次のとおりだ。
 代助が何もしていないことに対し、「暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞ひたがる」。自分と主人は、同じような怠け者だと考えるのだ。さらに、「頑強一点張りの肉体を笠(かさ)に着て、却つて主人の神経的な局所へ肉薄して来る」。健康で強い自身の体を盾に、代助の繊細な神経にズカズカと立ち入ってくる。健康な人は、心や体が弱っている人の気持ちを慮ることができないのが世の常だ。門野の兄は26歳とあったから、門野も若い。それも笠に着て代助に「肉薄」する様子がうかがわれる。

 「自分に特有なる細緻な思索力と、鋭敏な感応性に対して払ふ租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵的に貴族となつた報ひに受る不文の刑罰である。是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為(な)れた。否、ある時は是等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへある。門野にはそんな事は丸で分らない。」
 代助の過敏な神経・精神の「苦痛」は、「細緻な思索力」と「鋭敏な感応性」に必要なものであり、その二つは、「高尚な教育」を受けた結果として得られたものだ。神経過敏による苦痛は神から精神的貴族の資格を与えられた結果受ける刑罰であり、この犠牲を甘受することによって、代助は今の自分になれたと自負する。代助は、「苦痛」や「犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さへ」あった。

 代助の論理や思考に裏付けされた思索力と感応性は、精神的に住む世界が全く異なる門野には思いもよらないものだ。だから最後には、「門野にはそんな事は丸で分らない」と、締めくくられる。

 以上の説明の後の、「門野さん、郵便は来て居なかつたかね」という門野に対する敬語表現は、あえてなされている。蔑視対象であっても、代助は敬語を用いて会話をする男なのだ。そこに代助の高級さ、高尚さが現れている。(念のために添えると、ここは代助が門野を馬鹿にしてわざと敬語表現を使っているわけではない)

「門野さん、郵便は来て居なかつたかね」
代助のもとに郵便が届く予定だったことがわかる。読者は、誰からのどのような内容なのかが気になる。

 代助のもとに届いた郵便物を「持つて来ますか」という門野の問いに、代助は「いや、僕が彼方(あつち)へ行つても可(い)い」と答える。「歯切(はぎ)れのわるい返事なので、門野はもう立つて仕舞つた。さうして端書と郵便を持つて来た」。門野は確かに体だけは丈夫ですぐ動く男だ。

 「端書は、今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日午前会ひたし、と薄墨の走しり書きの簡単極るもので、表に裏神保町の宿屋の名なと平岡 常次郎(つねじろう)といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。「もう来きたのか、昨日着いたんだな」と独(ひと)り言(ごと)の様に云ひながら、」
 冒頭の下駄の話題と心臓の鼓動の確認は、これらの郵便物と関係があるだろう。これらの郵便物を待っていたこととその内容の予感が、下駄の夢につながっている。はがきの差出人は、代助の精神に影響し、彼の心を波立たせる人物だ。またその書きようは、「今日二時東京着、たゞちに表面へ投宿、取敢へず御報、明日午前会ひたし、と薄墨の走しり書きの簡単極るもの」であり、そのせわしなさに受け取った側は息が詰まるような気持ちになるだろう。今日着いたから明日会いたいという内容を、着いたその日に差し出し、しかもその「明日」というのは、今日のことなのだ。これは、受け取る相手の都合などまるで考えていない。これを裏返せば、自身のことで精いっぱいな平岡の様子がうかがわれる。「表に裏神保町の宿屋の名と平岡 常次郎(つねじろう)といふ差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある」。実際、「乱暴」な男なのだろう。夢に下駄が走り去る様子が描かれていたが、そのせわしなさは、平岡のはがきのせわしなさに通ずる。

 「封書の方」は、「親爺(おやぢ)」からの手紙だった。こちらは平岡よりは多少落ち着いていて、「二三日前帰つて来た。急ぐ用事でもない」と語り始める。しかしやはり「色々話しがあるから、此手紙が着いたら来てくれろ」という内容だった。平岡からは明日会いたい、父親からも手紙が着いたら会いに来い、という内容であり、朝食にパンと紅茶をゆったりと楽しんでいた代助は、他者によって急にせわしなくなる。他者との対面は、それだけで気を遣うだろう。その準備と心構えをしなければならない。対面中も相手への気遣いが必要だ。
 平岡と父親からの手紙には、両方とも肝心の用事が何も書かれていなかった。しかも父親の手紙には、「閑文字が数行列ねてある」。だから「代助は封書を巻きながら、妙な顔をして、両方見較べ」ることになる。一体、何の用なのだろう。何を言われるのだろう。もしかしたら、あのことだろうか。などの様々な疑念を抱く場面だ。急に自分に用があるという平岡と父親。平岡とは久しぶりだし、父親から呼び出されることもあまりない。用事とは重なるものだという奇妙な思いもある。

    代助は、急な対面が重なってしまったため、そのスケジュール立てをする。まずは門野に命じて家に電話させ、「明日か明後日屹度伺」うと伝えさせる。門野は、「はあ」という相変わらずとぼけた返事をしてそれに従う。この返事は、代助からの依頼の内容・理由をよく知らないということもある。しかし門野は深くは追及しない男であり、「無雑作に出て行つた」。

 次の場面の情景描写は、とても印象的だ。
 「代助は茶の間から、座敷を通つて書斎へ帰つた」。ここから代助の家の間取りがわかる。代助の家には、座敷のほかにちゃんと書斎がある。
 「見ると、奇麗に掃除が出来てゐる。落椿(おちつばき)も何所(どこ)かへ掃き出されて仕舞つた」。朝見た夢の世界は消え去り、心臓を驚かせた椿も退場する。

 「代助は花瓶(くわへい)の右手にある組み重ねの書棚の前へ行つて、上に載せた重い写真帖を取り上げて、立ちながら、金の留金とめがねを外(はづ)して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃迄来きてぴたりと手てを留(と)めた」。書斎の書棚の上には、「重い写真帖」が置かれている。これは、いつでも見たい時にすぐ手に取ることができる置き方だ。そこから、時にはその写真帳を手に取って眺める代助の姿がうかがわれる。「重い」「写真帖」は、ともすれば箱に入れられ、押し入れの奥にしまい込まれるのが常だろう。「金の留金」から、そのアルバムが高価なことと大切な写真がそこに保管されていることがわかる。

 「其所(そこ)には廿歳(はたち)位の女の半身(はんしん)がある。代助は眼を俯せて凝(じつ)と女の顔を見詰めてゐた」。
    アルバムに貼られた「廿歳(はたち)位の女の半身」。読者は、この物語が急に動き出す予感を持つ。「眼を俯せて凝(じつ)と女の顔を見詰めて」いる代助の横顔を読者はイメージし、この女は何者なのか、代助と女の関係、平岡と父親の手紙との関連性、などについての疑問を抱く。しかも平岡と父親は代助との面会を急いでいる。まだ代助の年齢が示されていないが、大切なアルバムに貼られた「廿歳(はたち)位の女」ということは、代助の若い頃の知り合いだった可能性がある。ふたりの過去への関心と想像が、読者の心も騒がせる。

 このように、たくさんの謎を含んで『それから』は語り始められる。今日の読者は早く次のページを繰りたくなり、明治の読者は翌日配達される新聞を心待ちにするだろう。漱石さん、さすがです。

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