夏目漱石「それから」2-5

◇本文
 代助は平岡が語つたより外(ほか)に、まだ何かあるに違ひないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有(も)つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil admirariニルアドミラリ の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚(びつくり)する程の山出(やまだし)ではなかつた。彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
 代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時(いつ)でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心(うぶ)と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗ひ浚(ざら)ひ自分の弱点を打ち明けては、徒(いたづ)らに馬糞(まぐそ)を投げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想を尽かされるよりは黙つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯(か)う取れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言で歩いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視する程度に於て、あるひは其(そ)れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視し始めたのである。けれども両人(ふたり)が十五六間過ぎて、又話を遣(や)り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更(さら)になかつた。最初に口を切つたのは代助であつた。
「それで、是(こ)れから先 何(ど)うする積りかね」
「さあ」
「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可(い)いかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実は緩(ゆつく)り君に相談して見様と思つてゐたんだが。何(ど)うだらう、君の兄さんの会社の方に口はあるまいか」
「うん、頼んで見様、二三日 内(うち)に家へ行く用があるから。然し何うかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」
「夫(そ)れも好いだらう」
 両人(ふたり)は又電車の通る通りへ出た。平岡は向ふから来た電車の軒(のき)を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出した。代助はさうかと答へた儘、留(と)めもしない、と云つて直(す)ぐ分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄歩いて来た。そこで、
「三千代(みちよ)さんは何うした」と聞いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜(よろ)しく云つてゐた。実は今日連れて来やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺れたんで頭が悪いといふから宿屋へ置いて来た」
 電車が二人の前で留(と)まつた。平岡は二三歩早足に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼の乗るべき車はまだ着かなかつたのである。
「子供は惜しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好かつた」
「其後は何うだい。まだ後は出来ないか」
「うん、未(ま)だにも何にも、もう駄目だらう。身体があんまり好くないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可(い)いかも知れない」
「夫(そ)れもさうさ。一層(いつそ)君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」
「一人身になるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、妻(さい)が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未(ま)だだらうかつて気にしてゐたぜ」
 所へ電車が来た。

(青空文庫より)

◇評論
・「代助は平岡が語つたより外(ほか)に、まだ何かあるに違ひないと鑑定した。」
 「外」とは、平岡の辞職に至る経緯の真相と、それに伴う帰京の理由であり、そこには「まだ何かある」と代助が推測していること。

・「けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有(も)つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。」
 代助は、自分の分をわきまえており、また、「もう一歩進んで飽迄其真相を研究する」理由も意気込みもないこと。代助の「好奇心」は、もはやそのような下世話な事柄・関心には向かわないほど、「都会化」していたのだった。この後に、その説明が続く。

・「二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil admirariニルアドミラリ の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚(びつくり)する程の山出(やまだし)ではなかつた。彼の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。」
 20世紀=1900年代は、明治33年に始まる。「それから」は1909(明治42)年6月から東京と大阪の朝日新聞に掲載された。従って「三十になるか、ならない」かの代助は、19世紀から20世紀へと移り変わる明治の近代化とともに成長したことになる。
 近代化・「都会化」した彼は、「既に nil admirariニルアドミラリ の域に達して」いる。

 「三十になるか、ならない」という代助の年齢について。
 文部科学省の学校系統図(学校系統図:文部科学省 (mext.go.jp))によると、「第3図 明治25年4月現在」の説明に、「高等中学校は法学部が3年、医学部は4年で、師範学校は、男子は17~20歳入学、女子は15~20歳入学であった。大学は医・法科大学が4年、文・理・工・農科大学および薬学科は3年で、大学院は5年となっていた。」とある。

学校系統図(文部科学省ホームページより)

 相沢が勤務していたのは銀行だった。その友人であり無職の代助の学部は定かでないが、20歳で高等中学校を卒業し、その後東京帝国大学に入学したとすると、文科大学なら23歳、法科大学なら24歳で卒業になる。この場面は大学卒業から4年後なので、代助は27・8歳になる。従って、「三十になるか、ならない」というのは、実際の年齢よりもやや多めに見積もった表現ということになるだろう。

 「ニルアドミラリ」について、森鷗外は、小説『舞姫』(1890年)の中で次のように用いている。「日記ものせむとて買ひし册子もまだ白紙のまゝなるは、獨逸にて物學びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の氣象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。」 近代西洋の風に吹かれ、しかし自我の確立をし損ねた太田は、あきらめの境地に至る。自分にはどうしようもなかった。結局すべては他者によって方向づけられまた決定された。自己同一性の喪失状態にある太田は、心の奥底に一点影のように残る他者への恨みと自己の悔恨の情により、無気力・無感動に陥る。

 しかしそもそも「二十世紀の日本に生息する」だけで人は、「nil admirariニルアドミラリ の域に達して仕舞」うのかもしれない。近代は人を虚無へと導く。代助の「思想」はもう、「人間の暗黒面に出逢つて」も「喫驚(びつくり)する」ことはなく洗練されている。またその「神経は」「陳腐な秘密」を「嬉しが」らない。代助はここ数年の平岡の経験を、「人間の暗黒面」・「陳腐な秘密」と規定する。
 代助は一方で、「快よい刺激」も拒むほど「困憊してゐた」。
 以上のような状態の代助を、語り手は、「進化」と名付ける。そうして「進化の裏面を見ると、何時(いつ)でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが」と保留をつける。無関心・無感動の状態は、近代社会に住む者にとって必然であり、それは旧時代から見ると「進化」なのだろうが、その一方で人間性の欠如という「退化」でもあるということだろう。
 代助の「進化」を「平岡は全く知らない」。「依然として旧態を改めざる三年前の初心(うぶ)と見てゐるらしい」。だから、「かう云ふ御坊つちやんに、洗ひ浚(ざら)ひ自分の弱点を打ち明けては、徒(いたづ)らに馬糞(まぐそ)を投げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想を尽かされるよりは黙つてゐる方が安全だ」、ということになる。すべてを正直に打ち明けると、世慣れない代助には刺激が強すぎるだろうということだ。
 平岡の気持ちは代助にも知れている。「それで平岡が自分に返事もせずに無言で歩いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた」。平岡は代助を「小供視」し、代助も平岡を「小供視」する。以前とは異なり、互いが互いを軽蔑する関係に、この時の二人は変化していた。
 しかし、そこは古い友人だ。「両人(ふたり)が十五六間過ぎて、又話を遣(や)り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更(さら)に」無くなっていた。

 平岡の今後についてに話題が移り、平岡から、「実は緩(ゆつく)り君に相談して見様と思つてゐたんだが。何(ど)うだらう、君の兄さんの会社の方に口はあるまいか」と依頼される。代助は、「うん、頼んで見様、二三日 内(うち)に家へ行く用があるから。然し何うかな」とうけがう。「実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」という平岡に、代助も同意する。
 銀行員から新聞社員への転身はうまくいくのだろうか。代助は、自分を馬鹿にしている相手からの頼みをかなえてあげようとする。

 「両人(ふたり)は又電車の通る通りへ出た。平岡は向ふから来た電車」「に乗つて帰ると云ひ出した。代助はさうかと答へた儘、留(と)めもしない、と云つて直(す)ぐ分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄歩いて来た」。この「赤」は「それから」のテーマにつながるモチーフとなっている。ここでの「赤」は、この「赤い棒」を起点として物語が展開していくことを表す。代助・平岡・三千代の三人の人間関係が動き出し、この物語の核心があらわになろうとする場面だ。
 「赤」を契機に代助は、「三千代(みちよ)さんは何うした」と聞くのだ。いよいよ代助は、今回の面会の目的である三千代を話題に出す。
 それに対し平岡は、まず「難有う」と、礼から始める。三千代のその後についての言葉を発する代助に対し、平岡がとりあえずは礼を述べるという関係が、ふたりの間にはあることがわかる。

 「まあ相変らずだ。君に宜(よろ)しく云つてゐた。実は今日連れて来やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺れたんで頭が悪いといふから宿屋へ置いて来た」
 「相変わらずだ。君に宜(よろ)しく云つてゐた」の中身がわざとぼかされている。これは、代助に対してであるとともに、読者に対してもそうすることで、物語への関心を高めさせる意図を持つ伏線だ。ここまで読み進めてきた読者は、ふたりの間には以前何かがあったらしいことと、平岡の妻は社交辞令から「宜しく」と言ったと読み取る。しかし三千代の「宜しく」には、より深い気持ちが込められていることを、この後読者は知ることになる。
 本来であれば、妻も一緒に帰京の挨拶に来るはずだったが、体調不良のようだ。当然代助は、その心配をするだろう。彼の心配はただの心配ではないことも、のちに読者は知る。

 「電車が二人の前で留(と)まつた。平岡は二三歩早足に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼の乗るべき車はまだ着かなかつたのである。
「子供は惜しい事をしたね」
 ふたりの会話は、「彼の乗るべき車はまだ着かなかつた」という偶然によって続けられた形になっているが、それはふたりにとって必然だったのだろう。平岡たちの子供は亡くなったという重い事実・情報が、読者に伝えられる。

 「どうせ死ぬ位なら生れない方が好かつた」
 学生時代からの友人を前にした平岡の、強がりにもとれる言説。彼はわざとこのように言ったのだ。また、この言葉は、自分に言い聞かせようとしている言葉ともとれる。

 「其後は何うだい。まだ後は出来ないか」
「うん、未(ま)だにも何にも、もう駄目だらう。身体があんまり好くないものだからね」
 現在子供はいないことと、三千代の体調が悪い状態が続いており、これからも子供には恵まれないだろうことが述べられる。

 「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可(い)いかも知れない」
 この言葉には実は、代助の重い心情が込められている。代助は平岡夫婦に子供ができないことを願っている。しかし初読の読者は気づかない。

 「夫(そ)れもさうさ。一層(いつそ)君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」
「一人身になるさ」
 平岡の「一層(いつそ)君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」という軽口に対し、代助の「一人身になるさ」という言葉もそれへの軽い冗談と初読者には取れるが、これも実は重い意味を含んでいる。思わず代助の本音が漏れたのだ。

 「「冗談云つてら――夫よりか、妻(さい)が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未(ま)だだらうかつて気にしてゐたぜ」
 所へ電車が来た。」
 学生時代からの夫の友人の妻帯の有無をその妻が気にすることは自然なことだろう。しかしこれも伏線だ。美千代は夫の友人としてでなく、ひとりの男として代助を気にしているのだ。「頻りに」にそれが現れている。それに対し平岡は、なぜ妻が代助のことをそれほど気にするのだろうと、やや不審に思っているだろう。
 「所へ電車が来た」という今話の切り方・終わらせ方が小気味よく、また秀逸だ。ここでふたりの会話をわざとプツッと切ることにより、それ以上の三人の過去の情報提供を終わらせ、三千代の現在をもっと知りたいという代助の思いを区切り、さらに、次の場面へと素早く転換する効果がある。このようなちょっとした何気ない部分・表現に、漱石の巧みさが感じられる。

 三人の過去や関係が明らかになっていない状態でのふたりのやり取りは、表面的にはスムーズに進むのだが、再読する者には、深い意味が込められたセリフなのだと気づくことができる。再読の楽しさが味わえる作品だ。


 

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