宮澤賢治「なめとこ山の熊」について6~「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」

割引あり

 一月のある日のことだった。小十郎は朝うちを出るときいままで言ったことのないことを言った。
「婆(ば)さま、おれも年 老(と)ったでばな、今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌(や)んたよな気するじゃ」
 すると縁側の日なたで糸を紡いでいた九十になる小十郎の母はその見えないような眼をあげてちょっと小十郎を見て何か笑うか泣くかするような顔つきをした。小十郎はわらじを結えてうんとこさと立ちあがって出かけた。子供らはかわるがわる厩(うまや)の前から顔を出して「爺(じ)さん、早ぐお出や」と言って笑った。小十郎はまっ青なつるつるした空を見あげてそれから孫たちの方を向いて「行って来るじゃぃ」と言った。
 小十郎はまっ白な堅雪の上を白沢の方へのぼって行った。
 犬はもう息をはあはあし赤い舌を出しながら走ってはとまり走ってはとまりして行った。間もなく小十郎の影は丘の向うへ沈んで見えなくなってしまい子供らは稗(ひえ)の藁(わら)でふじつきをして遊んだ。

 小十郎は白沢の岸を溯(のぼ)って行った。水はまっ青に淵(ふち)になったり硝子(ガラス)板をしいたように凍ったりつららが何本も何本もじゅずのようになってかかったりそして両岸からは赤と黄いろのまゆみの実が花が咲いたようにのぞいたりした。小十郎は自分と犬との影法師がちらちら光り樺(かば)の幹の影といっしょに雪にかっきり藍(あい)いろの影になってうごくのを見ながら溯って行った。
 白沢から峯を一つ越えたとこに一疋の大きなやつが棲(す)んでいたのを夏のうちにたずねておいたのだ。
 小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪はあんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は眼がすっかり紫の眼鏡をかけたような気がして登って行った。犬はやっぱりそんな崖でも負けないというようにたびたび滑りそうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎がその頂上でやすんでいたときだ。いきなり犬が火のついたように咆(ほ)え出した。小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。
 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。
 ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛(か)み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。
 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。
 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。
 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。

(青空文庫より)

「小十郎は朝うちを出るときいままで言ったことのないことを言った。
「婆(ば)さま、おれも年 老(と)ったでばな、今朝まず生れで始めで水へ入るの嫌(や)んたよな気するじゃ」」
これは小十郎にとって大変危険な言葉だ。この後にも描かれるが、小十郎の仕事は、沢を何度も渡らなければならない。だから、「水へ入るの嫌(や)んたよな気する」というのは、今日は仕事に出たくないという意味になる。それで、なぜこの言葉が危険なのかというと、これは明らかに弱音だからだ。「年老った」ことによる気力の減退。水に濡れれば体力が消耗する。つまり、気力・体力ともに、猟には対応できないという意味の言葉だ。小十郎の仕事は、ただの仕事ではない。熊と戦い、それに勝たなければならない。負けは、自分の死を意味する。だから、仕事に出たくないという状態で猟に向かうのは、大変危険なのだ。
これまでも時にはこのようなことを思ったこともあるかもしれない。しかしそれを言わなかった。いま、小十郎は母親に言ってしまった。他者に弱音を吐いた。小十郎は弱気になっている。
小十郎に「死」が迫る。

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