安部公房「鞄」を読む5

「下宿と勤め先の間なんて、道のうちには入りませんよ」と青年は言い、「やっと、表情にふさわしい爽やかな笑い声をたて、私もほっと肩の荷を下ろした思いだった」
「下宿と勤め先の間」にも、「道」はある。それを通らなければ、事務所にたどり着くことはできない。だからそれを「道のうちには入りませんよ」というのはおかしな話だ。青年はもう、その鞄なしには歩けないのだから。

青年のこの「道のうちには入りません」という言葉は、鞄との縁を切る、キーワードになった。この言葉を言うことによって、青年はやっと、鞄なしに歩くことが可能となる。すでにある「道」は、鞄なしには確かに歩けない。しかし、「道」でなければ、自分の力と判断で、歩くことができる。新しい「道」を、自ら作り出していけばいい。
だから青年は、「やっと、表情にふさわしい爽やかな笑い声」をたてたのだ。「規制」からの解放だ。やっと真の「自由」になることができる。
「シメシメ。やっとこの人に鞄を渡すことができる。うまくいった。肩の荷が下りた」とほくそ笑む青年。

鞄の次の持ち主・後継者は、もう決定している。愚かな「私」は、喜んでその役を引き受けようとしている。念願のカバンがいよいよ自分のものになるという期待と喜びで、「私」は「ほっと肩の荷を下ろした思い」になる。青年からうまく鞄を引き継ぐことができたのだ。「肩の荷」は、鞄を入手できるかどうかの心配だった。希望の成就による満足感で、「私」の心は満たされる。
後戻りできないずっしりとした重量感のある苦悩を、新たにその「肩」に背負うことになるとも気付かずに。

「私」は、青年のために丁寧にも「知り合いの周旋屋に電話で紹介してやる」。青年は、「さっそく下見に出向いていった」。長居は無用と、あっという間に立ち去る青年。彼が事務所に戻ることは、二度とないだろう。

ところで、鞄を手放した青年が、いきなり自分の行き先を決めることは、なかなか困難だろう。今まで、鞄の選択・指示に完全に従ってきたからだ。だからここでは、「私」が、鞄の代わりに「周旋屋」を紹介してあげる。青年がすっかり忘れてしまった自己決定行使までのリハビリということだ。
なお、この「周旋屋」という語が意味深だ。青年は、「私」に「周旋」され、次は「周旋屋」に「周旋」され、やっと自分の行き先・住み処(すみか)を獲得することができる。鞄の呪いから脱却するには、まだまだ時間と手間がかかるだろう。
もうひとつの選択肢が青年にはある。それは、「周旋屋」には行かないというものだ。こうなれば、速やかに鞄なる世界から抜け出すことができる。こちらの選択が決断できればたいしたものだ。
これまで青年は、本当のことしか言葉にしなかった。「周旋屋」に行くという言葉は、自己決定尊重のための嘘ということになる。他者から自分や自分の判断を守るためには、この程度の嘘は許されるだろう。またこの嘘は、誰も傷つけていない。
「鞄」が入る随筆集『笑う月』は、昭和46(1971)年から昭和50(1975)年に新潮社の雑誌『波』に連載された16編に、新たに「笑う月」を加えて刊行された。このころには既に「不動産屋」という名称が一般的で、「周旋屋」は、戦後の悪徳業者のイメージを含んだ呼び名だった。従って、ここではわざと、「周旋」という名称を用いている。青年に次の「道」を「周旋」(斡旋)する意味・意図を明示した語。

自分にぴったり合い「すぎている」鞄。その重みをやがて感じなくなるという罠は、鞄が持つ魔力にからめとられてしまうということだ。「私」はやがてそうなってしまう。

これまでの流れに不自然なところは何もない。会話も青年の就職も、無事に成立した。
この後、物語は、「ごく自然に」移行する。
「ごく自然に、当然のなりゆきとして、後に例の鞄が残された」。
「私」は、「なんということもなしに、鞄を持ち上げてみた」。
人生の転機は、このように、「なんということもなしに」始まるのだ。なんとなくやってしまったことが、のちの悲劇につながることがある。「ごく自然に」、「当然」、「なりゆきとして」、「なんとなく」、運命は変わってしまうのだ。軽率さ、思慮の浅さが、「私」を破滅へと導く。

「なんとなく」、「持ち上げて」しまった鞄。それは「ずっしり腕にこたえ」る。だから、そこで「手から離」せばまだ間に合ったかもしれない。後戻りできたかもしれないのだ。しかし「私」は、離さなかった。「こたえたが、持てないほどではなかった」からだ。「ためしに、二、三歩歩いて」みる。「もっと歩けそうだった」。
「腕にこたえ」、「肩にこたえ」る鞄の重さだったが、「持てないほどではなかった」し、「我慢できないほどではなかった」。

これは、タバコを初めて吸った時の場面に似ている。イケナイことをしている自覚はある。しかし、ちょっと大人の世界を覗(のぞ)いてみたい。イケナイことには魅力があるのだ。「楽」はとても魅力的だ。

「急な上り坂にさしかか」ると、「一歩も進めない」。
鞄を持つことによって、鞄に自分の行き先が決定される。初めはその重さに慣れず、また、障害があると進むことが許されない。「そのまま事務所に引き返すつもり」なのに、「どうもうまくいかない」。

次第に記憶もあやふやとなる。「いくら道順を思い浮かべても」、「ずたずたに寸断されて」、自分の記憶が「使い物にならないのだ」。
鞄はもはや、記憶や思考までをも邪魔をし、持ち主を支配する。考えること自体が不可能になるのだ。

そうなるともうしかたがない。「やむをえず、とにかく歩ける方向に歩いてみるしか」なくなる。
そうして状態はさらに悪化する。「そのうち、どこを歩いているのか、よくわからなくなってしまった」。
意識までが、混濁し始める。

厄介なのは、そして真の悲劇は、その後だ。
「私」は、「べつに不安は感じなかった」とする。
「べつに」は、「このような状況に陥った私を心配したり愚かだと思う向きもあるかもしれないが、しかし」という意味だ。「べつに、心配してもらわなくて結構」ということ。開き直っているともとれるし、そのような状態の自分を肯定しているともとれる。
確かに「不安は感じな」いというのは魅力的だ。この世・人生は、「不安」で成り立っているかのように思われるときもあるだろう。だから、それを感じなくて済むのであれば、それに越したことはない。しかし、そううまくはいかない。「不安」を感じない代わりに彼が売り渡してしまったもの・代償が、あまりにも大きいからだ。

「ちゃんと鞄が私を導いてくれている」。
これはもはや、麻薬中毒者のセリフのようだ。自分を売り渡したものへの忘我の境地。

「私は、ためらうことなく、どこまでもただ歩きつづけていればよかった」。
他者に支配されても、もう何も考えずに疑うことなく従い続ける様子。

「選ぶ道がなければ、迷うこともない」。
それは、そうだ。しかしそれは、他者の決定に無批判に従い支配されているだけだ。

「私は嫌になるほど自由だった」。
「嫌になるほど」の自由。もう自由は飽きた。自由はもういらない。自由の海で溺れそうだ。

誰もがそれを望むだろう。
しかしここでの自由は、真の自由ではない。見せかけの自由。自由だと思いこまされている自由。自分で考え、選択し、決定するわずらわしさから解放された怠惰な自由。他者に完全に支配されていることすらもはや考えなくなってしまった自由。
自由「のようなもの」への陶酔。
人とはどうしてこうも「楽」を好むのだろう。自分の人生すら、他者に委ねても不思議に思わない。怠惰では済まされない自己の売り渡し。
しかし誰もがその魅力に堕ちてしまう。

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