夏目漱石「それから」本文と評論7-6
◇評論
「梅子は、此機会を利用して、色々の方面から代助を刺激しやうと力めた。」
「刺激」とは、働くことによる自立や、結婚を勧めること。
「代助は最近の候補者に就て、此間から親爺に二度程悩まされてゐる。」
これについては、前に、「親爺がはなはだ因縁の深いある候補者を見つけて、旅行先から帰ってきた」とある。(角川文庫P44) この候補者について代助は、姓以外は何も知らなかったのに対し、「なぜその女が候補者に立ったという因縁になるとまたよく知っている」(角川文庫P45)。この「因縁」について振り返る。
代助の父には、一つ違いの兄・ 直紀(なおき)がいた。父が17歳の秋に、兄弟はある男と街中で斬り合いになり、「二人でめちゃくちゃに相手を斬り殺してしまった」。(代助の父は刀で人を斬り殺したことがある!) 「そのころの習慣として、侍が侍を殺せば、殺したほうが切腹をしなければならない。」(代助の父は切腹寸前だった!) その時ふたりの命を助けたのが、ふたりの母(代助の祖母)の「遠縁にあたる高木という勢力家」で、ふたりは「寛大に処分」され、切腹を免れた。高木には養子がふたりおり、「県下の多額納税者のところへ嫁に行った」方の娘が「代助の細君の候補者」だった。(角川文庫P47) これが後出の「佐川の娘」である。
以上をまとめると、代助の細君の候補者は、父の命の恩人の孫ということになる。「たいへん込み入っているのね。私驚いちまった」と嫂が言うのも肯ける。
父が代助に結婚を勧めるのは、「自分の命の親に当たる人の血統を受けたものと縁組をするのは結構な事であるから、貰(もら)つて呉れと云ふ」理由からだった。「さうすれば幾分か恩が返せる」という。
しかしこれは、「代助から見ると、何が結構なのか、何が恩返しに当るのか、丸で筋の立たたない主張であつた」。代助は、義理や恩に価値を置かない。「候補者自身に就ては、代助も格別の苦情は持つてゐなかつた」し、「貰へば貰つても構はない」が、「代助は此二三年来、凡ての物に対して重きを置かない習慣になつた如く、結婚に対しても、あまり重きを置く必要を認めてゐない」。「佐川の娘といふのは只写真で知つてゐる許」であり、「写真は大分美くしかつた」が、「貰ひませうと云ふ確答が出でなかつた丈」だった。もちろんそこには三千代の存在がある。前に代助は、「先祖のこしらえた因縁よりも、まだ自分のこしらえた因縁でもらうほうがもらいいいようだな」と我知らずつぶやいたことがあった。佐川の娘は代助の美的観点・基準からは合格だが、結婚となると不足するものがある。
「凡ての物に対して重きを置かない習慣」とは、すべての物事に無感動・無関心で、外界にあるものがすべて陳腐・平凡で、価値が見出せない様子。これでは生に退屈を感じるだろう。アンニュイ、憂鬱、無感動、無関心。物憂い毎日。そこに久しぶりに現れたのが、昔自分の心を弾ませた相手である三千代だった。
そもそも、父の恩人の孫との結婚が、なぜ「結構な事」であり、また「さうすれば幾分か恩が返せる」のかが不明だ。父のこの論理は、代助ならずとも、首肯できないだろう。実はこの裏にはある事情が隠されていたことが、後に明らかになる。
結婚に対する代助の「不明晰な態度」は、父には鈍物に見え、嫂には「不可思議」に見える。
嫂は焦(じ)れる。「だつて、貴方(あなた)だつて、生涯一人でゐる気でもないんでせう。さう我儘を云はないで、好い加減な所で極めて仕舞つたら何うです」と。
この言葉には、嫂だけでなく、この当時の社会の価値観が表れている。ひとは結婚するものだ。その相手については「我儘を云はないで、好い加減な所で極めて仕舞」うべきだ。
次の代助の考えからも、当時の結婚観がうかがわれる。
結婚しないのであれば、
・「生涯一人でゐる」
・「妾(めかけ)を置いて暮らす」
・「芸者と関係をつける」
もちろん金銭的余裕がなければ、後の二つは不可能だろう。当時はこのような倫理観だった。
結婚について、「代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた」。「只(たゞ)、今の彼は結婚といふものに対して」、「あまり興味を持てなかつた事は慥(たし)か」だ。その理由は、
・「彼の性情が、一図に物に向つて集注し得ない」…これは前の、「凡ての物に対して重きを置かない習慣」と同意だろう。
・「彼の頭が普通以上に鋭くつて、しかも其鋭さが、日本現代の社会状況のために、幻像(イリユージヨン)打破の方面に向かつて、今日迄多く費やされた」…結婚に対して、肯定的幻想を抱かない
・「比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知つてゐる」
…結婚せずとも性的欲求は解消されている
そこまで「分析」しなくても、代助にとって「自己に明らかな事実」は、「たゞ結婚に興味がないと云ふ」ことだった。これに応じて「未来を自然に延(の)ばして行く気でゐる」。結婚に興味がわけば、「自然」とそれに至ると代助は考える。結婚は絶対に必要なことだと「初手から断定」するのは、不自然、不合理、俗臭を帯びたものという解釈だ。
「僕は何うしても嫁を貰はなければならないのかね」と聞く代助に、「妙なのね、そんなに厭がるのは。――厭なんぢやないつて、口では仰しやるけれども、貰なければ、厭なのと同しぢやありませんか。それぢや誰か好きなのがあるんでせう。其方の名を仰しやい」と嫂は尋ねる。「代助は今迄嫁の候補者としては、たゞの一人も好いた女を頭の中に指名してゐた覚がなかつた。が、今斯(か)う云はれた時、どう云ふ訳か、不意に三千代といふ名が心に浮かんだ。」 三千代への好意が意識の表に現れた場面。しかもそれは、「好い」ているというだけでなく、「嫁の候補者として」の自覚だ。彼はこの時初めて、自分の三千代への確固たる好意を認識する。ただ好きなのではなく、一緒にいたいという思い。
「つゞいて、だから先刻(さつき)云つた金を貸して下さい、といふ文句が自(おのづ)から頭の中で出来上がつた。――けれども代助はたゞ苦笑して嫂の前に坐つてゐた」。三千代への好意の自覚は、いつもの冗談を止めさせる。これらの自分の意識と行動への「苦笑」が彼の表情にあらわれる。だからこの苦笑は、嫂への照れ隠しではない。
今話で代助は、自分の三千代への恋心を、嫂との会話によってはっきりと自覚した。次回以降、彼は自分の思いをどうするのかということになる。
また、父が強く佐川の娘との結婚を勧める本当の理由は、この後明らかになる。
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