絲山秋子「ベル・エポック」を読む2~みちかの秘密の場所

・「泣くんだよ、あいつ」。
・「夜だけね。夜、寝る前になると、まこっちゃんが泣いているの」。
・「つらくはないよ、ここに響くだけ」。みちかちゃんはみぞおちのあたりを押さえた。

みちかの「みぞおちのあたり」には、誠との間にできた大事な赤ちゃんがいる。その子が、夜になるとうごめく。その胎動は、今は亡き誠が泣く声と共鳴する。
赤ちゃんは残った。しかし、誠との思い出や誠の姿は、自分の心から「きっとだんだん、いなくなるんだと思う」

みちかは、「私」との会話によって、自分と誠との関係性について整理していく。
誠は、「外面」と違い、何かあると「いつも」「泣いた」。みちかちゃんが「泣く男となんか結婚したくないって言うと、一生懸命泣きやもうとするんだけど、でも泣」いた。
「泣く男」と、その葬式でも「泣かない女」の対比。泣く誠を思い出して「つぶやく」みちかの言葉は、「ばかなやつ」だった。蔑視ではない。誠を思い出すと、心が痛くなるのだ。「泣く」という弱さを持つ誠。
これは逆に、みちかの前だけは、本当の自分を見せていたとも言える。

どうして自分一人を残して勝手に行ってしまったのか。みちかはそれが悲しくやり切れない。

みちかが「冷蔵庫の中を固く絞った台布巾で拭」くのは、次の場所で再び使うからではない。今までありがとうという感謝を込めた掃除だ。この冷蔵庫も、他の荷物と同様、廃棄されるだろう。

みちかが「新しく組み立てた段ボール」には、次の転居先でさっそく使うものだけが入れられる。後に述べられるが、カーテン、食器、タオル、新しい雑巾、トイレットペーパーが一巻。

「みちかちゃんは壁からカレンダーを外してゴミ袋に捨てた」。
このカレンダーは、いくつかのケースが考えられる。
①昨年のものが、翌年の3月になっても貼られたままになっていたケース。
昨年10月の誠の死から、まるで時が止まってしまったような状態だったみちかにとって、カレンダーは見てもしようがないものだった。だから、そのまま放置されていた。みちかは、過去に生きた。
また、誠との思い出がカレンダーに記されており、それを新年のものに替え難かったということもあるだろう。結婚式の日までのカウントダウンの数字が書かれていたかもしれない。
従ってこの場合は、表紙が昨年の10月のままになっている。(悲しい)
②今年のカレンダーのケース。
次の場所で、また一から生活・人生を始めようと思っているため、この場所で使用したものはすべて廃棄しようと考えた。
(私は①が物語っぽくて好きだ)

この後ふたりの会話は、みちかの実家がある三重県の話題に移るのだが、この物語におけるこの話題の持つ意味が、分かりにくい。みちかの故郷の説明としては、この物語全体の分量と比較すると多く詳しい。
内容を確認すると、
・みちかの実家は三重県の桑名市
・「私」はこれまで、「あまり詳しいことは知らなかった」
・みちかはあまり方言を話さなかった
・三重は、イタリアみたいに「全部違う個性の街」
・地方により、方言も違う
・最後に「私」から方言をしゃべる依頼をされ、みちかはしぶしぶそれに応じてはにかむ。
・いろいろ聞くが、「私」は「それでも、うまく三重のことはイメージできない」。「昔、家族旅行で伊勢に行ったはずだけど、神社の中に川が流れていたことと、水族館しか覚えていない」。「三重っていうと遠い感じがする」

これらを手掛かりにこの場面の意味を探りたい。

端的にまとめると、「私」は、三重に興味も関心もないのだ。それはみちかへの無関心を表している。「都落ち」という表現は、都を中心にした物言いだ。「家族旅行」に行ったはずなのに、その記憶が薄い地方都市。三重への無関心は、一緒にオーストラリアまで行ったはずの友人への無関心につながる。
「東京の人」である「私」の、三重出身のみちかへの無関心。
もしこの通りだとすると、みちかはやはり、淋しかったと思う。引越しの手伝いに来てくれたのはいいが、友人と思っていた人との会話を進めることによって、自分たちの関係が思っていたよりも実は疎遠なものであることが表面に表れてきてしまったのだから。しかもこれが彼女と過ごす最後という場面で。

さらに、このように考えてくると、もしかしたらみちかは当初、「私」だけには正直に話したかったのかもしれない。「自分は故郷には帰らない。新しい場所で、もう一度人生をやり直すつもりだ」と。ところが、会話が進むにつれて、友人と思っていた人と自分との隙間がどんどん広がっていくような気がしてきた。自分の故郷を知らず、関心も持たない友人は、ただ表面的に自分と付き合ってきただけだった。誠との死別も、それほど心に重く受けとめてはいないのではないか、と。
だからみちかは、最後に嘘をつく。わざと「東京の人」という突き放した言い方で。
「東京の人からしたらそうだよね。でも、遊びに来てね」と。

みちかは、「あのね」と「小さな声」で続ける。
「秘密の場所教えてあげるから」
「秘密の場所」は、心から信頼した人でなければ決して教えない。一度教えたが最後、その場所が荒らされてしまう可能性があるからだ。他の人に教えてしまうかもしれない。教えた相手が、荒らしてしまうかもしれない。
だから「秘密」の共有には慎重になる。
ふつうの関係では教えない。

ところがみちかは、心の隔たりを感じ始めた「私」に、それを教えようとする。そこには、みちかのたくらみがある。自分がいない秘密の場所に呼び込むことで、「私」に復讐しようとしているのだ。最愛の人を失った悲しみに沈む自分を、友人は心からは理解していなかった。いかにも慰めるふりをして、実は無関心だった。そのような相手をだまして、「私」にも、虚無感を抱かせようとするみちか。

みちかにとってこの引っ越しの作業は、残酷なものとなった。
大切な人との思い出に溢れた部屋との最後の別れの場面で、友人と思っていた人との会話により、自分と誠との真の関係性が明らかになり、自分と友人との関係性が露(あらわ)になってしまったからだ。

誠と自分との性格の違い。
実は自分に関心がなかった友人。

他者との何気ない言葉のやり取りから浮かび上がる真実。
自分でもはっきりとは認識していなかったことに、言葉で光を当ててしまったみちか。
引っ越し作業をしながら、それらに初めて気づいたみちかのこころは、激しく動揺していただろう。

だからみちかは、「私」を罠にかけようとする。
自分が待たない「秘密の場所」におびき寄せ、「私」もひとりぼっちにさせようとする。自分が感じた孤独や寂寥を、「私」にも味わわそうとするのだ。

そのように考えを進めると、この後のふたりのやりとりは、途端に薄気味悪いものに変貌する。

(みちか)「秘密の場所教えてあげるから」
校庭の隅っこにいる小学生みたいにふたりでくすくす笑った。(いかにも無邪気に秘密を共有する演技をしているみちか怖い)
(私)「なによ、秘密って」
(みちか)「何があるってわけじゃないのよ。私ね、お水を一杯飲むためだけにそこに行くの」(水一杯のために、わざわざそんなとこまで行く? アヤシイ)
(私)「湧き水とか?」
(みちか)「そう。誰も知らないとこだよ。三重と滋賀の県境を越えたとこなの。すごい峠なんだ」(キャー! 「私」さん、逃げて―! みちかに殺されるよー!)
みちかちゃんは少し目をつぶって、その場所を思いだしているようだった。(その場所を思いだして、そこでどうやって「私」を殺そうか、考えてる!)
(私)「水って、どんなとこに沸いてるの?」(そんなことに興味を持っちゃダメ)
(みちか)「崖から水が滴ってるの。(崖から「私」を突き落とす!) アルミのカップが鎖でつるしてあるから(鎖で首を絞める?)それにお水をためて、ゆっくり飲むの(毒入りの水を、ゆっくりと「私」に飲ませる!)」
(私)「お腹壊さない?」(お腹を壊す程度で済めばまだラッキー)
「すっごい、おいしいんだよ」(毒入りの甘い水だからさ!)
(私)「そこだけなの? 水が湧いてるの」(だからもう、そんなに興味を示さないの! みちかには全く興味ないくせに)
(みちか)「多分、他にもそういう(殺人に適した)場所あるんだろうけど、私はそこしか知らないの(誰にも見られずに「私」を殺害する完全犯罪に適した場所はネ)」
(私)「秘密の場所かあ、いいなあ」(殺されるとも知らずに……)
この会話、怖くないですか?
続きます。
(みちか)「東京には、そんな(殺人に適した)場所ないでしょ」
(私)「五日市とか奥多摩ならわかんないけど、行ったことないし」(行かない方がいいよ。サスペンス劇でよく出てくる場所だから。みちかに殺されるよ)
(みちか)「ポリタン持ってきてる人もいる(中に入ってるガソリンで、焼き殺される!)。あ、そうだ」。「今度、お墓参りに東京に来るときあそこの水、持ってこよう(そうして甘い毒を入れて、「私」に飲ませよう!)」
(以上、余りにも妄想が過ぎるので、少し心を落ち着かせます。絲山さん、すみません)

「今度、お墓参りに東京に来るときあそこの水、持ってこよう」と言ったみちかは、「急に目をうるませ」て、「そんなの、いつだかわからないけど」と続ける。
みちかのこのセリフは、表面的には、いつになれば引っ越しの片付けやせわしなさから解放されるか分からないので、簡単には墓参りはかなわないという意味だ。しかし、大切な人の墓参りが、いつになるか分からないということは、みちかにとって重大なことだ。この意味は、いろいろ考えられる。
①もうその人のことは自分の中で終わりにしようと考えている。
②簡単に墓参りできないほど、遠くに行こうとしている。
わたしは、①と②の両方だと推測する。

「私」は、「いつでも大丈夫だよ」と答える。
「誠さんはきっとおいしい水、喜ぶよ、と言ったらみちかちゃんを本格的に泣かせてしまいそうで、立ち上がって片付いたところだけ掃除機をかけた」。
このセリフは言わなくて正解だった。これを言ったらウソになる。しつこくなる。相手に寄り添っているようで、そうではない。心配の押し売りになる。
ついでに言うと、この前のセリフの、「いつでも大丈夫だよ」も、言わなくてもよかった。ここは、ただ、みちかを優しく見守ればいい。みちかにとっては、それが一番の薬だ。自分に心を寄せてくれる人が隣にいるというだけで、みちかのこころも安らぐのだから。

「私」が「立ち上がって片付いたところだけ掃除機をかけた」のは、つい自分が余計なひとことまで言いそうになった照れ隠しのためだ。作業をすること、音を出すことで、しんみりした雰囲気を変えようと思ったのだ。

(つづく)



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