森鷗外「舞姫」(本文・口語訳・評論)16~エリスは凍れる窓を明け、乱れし髪を北風に吹かせて、余が乗りし車を見送りぬ。

◇本文
 (今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず。エリスは床に臥すほどにはあらねど、小さき鉄炉の畔(ほとり)に椅子さし寄せて言葉寡(すくな)し。) この時戸口に人の声して、程なく庖厨(はうちゆう)にありしエリスが母は、郵便の書状を持て来て余にわたしつ。見れば見覚えある相沢が手なるに、郵便切手は普魯西(プロシヤ)のものにて、消印には伯林(ベルリン)とあり。訝(いぶか)りつゝも披(ひら)きて読めば、とみの事にて預(あらかじ)め知らするに由なかりしが、昨夜(よべ)こゝに着せられし天方大臣に附きてわれも来たり。伯の汝(なんぢ)を見まほしとのたまふに疾(と)く来よ。汝が名誉を恢復するも此時にあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみいひ遣(や)るとなり。読み畢(をは)りて茫然たる面もちを見て、エリス云ふ。「故郷よりの文なりや。悪しき便(たよ)りにてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思ひしならん。「否、心にな掛けそ。おん身も名を知る相沢が、大臣と倶にこゝに来てわれを呼ぶなり。急ぐといへば今よりこそ。」
 かはゆき独り子を出し遣る母もかくは心を用ゐじ。大臣にまみえもやせんと思へばならん、エリスは病をつとめて起ち、上襦袢(うはじゆばん)も極めて白きを撰び、丁寧にしまひ置きし「ゲエロツク」といふ二列ぼたんの服を出して着せ、襟飾りさへ余が為めに手づから結びつ。
「これにて見苦しとは誰(たれ)も得言はじ。我鏡に向きて見玉へ。何故(なにゆゑ)にかく不興なる面もちを見せ玉ふか。われも諸共(もろとも)に行かまほしきを。」少し容(かたち)をあらためて。「否、かく衣を更め玉ふを見れば、何となくわが豊太郎の君とは見えず。」又た少し考へて。「縦令(よしや)富貴になり玉ふ日はありとも、われをば見棄て玉はじ。我病は母の宣(のたま)ふ如くならずとも。」
「何、富貴。」余は微笑しつ。「政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年(いくとせ)をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。唯年久しく別れたりし友にこそ逢ひには行け。」エリスが母の呼びし一等「ドロシユケ」は、輪下にきしる雪道を窓の下まで来ぬ。余は手袋をはめ、少し汚れたる外套を背に被(おほ)ひて手をば通さず帽を取りてエリスに接吻して楼(たかどの)を下りつ。彼は凍れる窓を明け、乱れし髪を朔風(さくふう)に吹かせて余が乗りし車を見送りぬ。

(青空文庫より)

◇口語訳
 (今日は日曜なので家にいるが、心は楽しくない。エリスはベッドに横になるほどではないが、小さい鉄製の暖炉のそばに椅子を近づけて言葉少なだ。)
 この時戸口に人の声が聞こえ、台所にいたエリスの母は、すぐに手紙を持って来て私に渡した。見ると、見覚えのある相沢の筆跡だが、郵便切手はプロシアのもので、消印には「ベルリン」とある。不審に思いつつ開いて読むと、「急なことで事前に知らせる方法がなかったが、昨夜ここに到着なさった天方大臣に付き添って私も来ていた。大臣がお前に会いたいとおっしゃるから、早く来い。お前の名誉を回復するのも今に違いない。気ばかり焦って用件だけ伝える」とあった。読み終わって茫然とした表情を見て、エリスは言う。「故郷から来た手紙ですか? 悪い知らせではまさかないでしょうね」 彼女は例の新聞社の報酬に関する書状と思ったのだろう。「いや、心配するな。あなたも名を知る相沢が、大臣とともにここに来て、私を呼ぶのだ。急用ということなので、今から行くよ」
 いとしい独り子を送り出す母親も、これほどまでは気を配るまい。大臣にお目にかかることもあるだろうかと思うからだろう、エリスは体調不良も我慢して立ち上がり、(私が着る)ワイシャツもとても白いものを選び、丁寧にしまっておいたゲエロックという二列ボタンの服(フロックコート)を出して(私に)着せ、ネクタイまでも私のために自分の手で結んでくれた。
 「これで見苦しいとは誰も言えないでしょう。鏡を向いてごらんなさい。どうしてそんなに不機嫌な顔をなさるの? 私もいっしょに行きたいのに」 (エリスは)少し表情を変え、「いいえ、このように衣装を変えなさった姿を見ると、なんとなく私の(愛する)豊太郎さんには見えない」 (エリスは)また少し考えて、「たとえ富や高い地位を手に入れなさる日が来ようとも、私をお見捨てにはならないでしょう。私の体調不良は母がおっしゃるようなものでなくても」
 「何、偉くなるだと?」 私は微笑した。 「政治の世界や社会に出て活躍するという希望を捨ててから、もう何年も経っているのに。大臣は見たくもない。ただ長い間会っていない友人に会いに行くのだ」 エリスの母が呼んだ一等ドロシュケ(一頭立ての辻馬車)は、輪下に軋る雪道を窓の下まで来た。私は手袋をはめ、少し汚れているコートを袖を通さず背に覆い、帽子を手にしてエリスにキスをし階下に降りた。彼女は凍った窓を開け、乱れた髪を北風に吹かせて、私が乗った馬車を見送った。

◇評論
 この部分に私は、やや不審を感じる。どういうことかというと、相沢が本当に太田に会いたいと思っていたのだとしたら、事前に太田に渡独の連絡をするのではないか。つまり、相沢は、わざと直前に太田に連絡をし、有無を言わさず大臣と面会をさせようとしていたのではないかという不審だ。一方大臣に対しては、実は太田という有能な男がいて、今ドイツでくすぶっている。ぜひ一度お目通りを願えないかと説得したのだろう。
 相沢は、太田の本性を見抜いていると同時に、太田の能力を高く評価している。太田を、いつまでもドイツでくすぶらせていてはいけないと考えている。これらから、相沢は、事前に計画を立て、大臣と太田を急に面会させたのではないか。
 そうしてすべては最後まで、相沢の目論見通りに進行する。太田の命運は、完全に相沢に握られる。

 相沢の、「伯の汝(なんぢ)を見まほしとのたまふに疾(と)く来よ。汝が名誉を恢復するも此時にあるべきぞ」という手紙の文言は、太田の心を激しく揺さぶった。一度断たれた立身出世の道。しかもそれは到底復活することはないと、あきらめかけていた自分の前に、「名誉を引き返さん道」(後出)が突然開かれたからだ。太田は、「茫然たる面もち」となる。エリートの道をたどり、ドイツ留学が許され、近代日本の憲法を作る役目を担っていた自分。過去の輝かしい自分の姿を、取り戻すことができるかもしれないと、この時太田は考えている。
 栄達を夢見る太田に対し、エリスはあくまでも現実の生活者だ。彼女は太田の様子から、自分たちの生活に何か支障が生じたのではないかということを真っ先に心配する。手紙は、「故郷よりの」「悪しき便り」であり、「新聞社の報酬」の減額が書かれているのではないかと。
 このように、この場面での太田とエリスの考えていることの乖離は、決定的ですらある。太田が考える出世の隣には、エリスの姿はない。これに対しエリスは、貧しいながらも太田との愛の生活の継続だけを願っている。

 ボーっとする太田の様子から、新聞社の報酬に関する悪い知らせが届いたのではないかと心配するエリスに対し、太田は、それに表面的に答える。
 「違うよ、大丈夫。君も知っている相沢が、大臣と一緒にドイツに来て、久しぶりに会いたいと呼んでいるんだ。早く来いと言っているから、今から早速出かけるよ。」
 この太田の返事は、収入減を心配するエリスに対する正面からの答えなのだが、この裏には、先ほど述べた通り、「茫然たる面もち」の理由は栄達の可能性に酔っていたのだという真実はエリスに隠される。
 なおここでは、当然、エリスは日本語が読めないということが重要な要素だ。だから太田は、「汝が名誉を恢復するも此時にあるべきぞ」と手紙に書かれていた真実を隠すことができた。これは、自分を愛してくれている者への裏切りだ。
 このように太田はエリスに対し、嘘を言ったり隠したりということを重ねていく。それらが積み重なり、最終的に真実が明らかになった時、エリスは「精神的に殺」される。

 次に描かれる、太田の嘘を何も知らないエリスのかいがいしい姿が憐れだ。手記を書く時点での太田は、いったいどのような気持ちでこれを記述したのだろう。
 エリスはまるでかわいいひとり子を送り出す母のようだった。身重の体を押して、できるだけ上等なワイシャツやコートを準備する。さらにはネクタイまでも自分で結んであげる。すべては愛する人のためである。エリスのこの献身的な様子は、結末を知っている読者の涙を誘うだろう。こんな人を裏切ってはいけない。

 太田の身支度が整うと、エリスは感想を漏らす。太田の立派な姿。久しぶりに友人に会いに行くのに、なぜ不機嫌なのか。身重でなかったら、私もいっしょに行けたのに。
 一方で太田は、鏡に映る自分の久しぶりの立派な姿を感慨深く眺めただろう。エリスが、「これにて見苦しとは誰(たれ)も得言はじ」と述べる所以だ。
 「何故(なにゆゑ)にかく不興なる面もちを見せ玉ふか」では、エリスは太田の不機嫌の理由を理解していない。彼女は友人に会いに行くのに何か不都合でもあるのかと思っている。それに対し太田は、自分の不手際ゆえに解雇されたという過去を抱いて友人と再会することにためらいがある。会って何と説明すればよいのだろうと思っているのだ。
 「われも諸共(もろとも)に行かまほしきを。」と言ったエリスは、身重でなかったら、自分も太田の友人に当然会えたはずだと思っている。しかしこれを聞いた太田は、エリスが身重でなくても、彼女を相沢に会わせることはないと考えているだろう。ここでも二人の心は、遠く離れている。

 エリスは、身なりを整えた太田を見て、「これにて見苦しとは誰(たれ)も得言はじ」と言う。そうして彼女は、以前のように立派な姿になった太田を眺めているうちに、「少し容(かたち)をあらためて」言う。「否、かく衣を更め玉ふを見れば、何となくわが豊太郎の君とは見えず。」 この「否」の前には、「今、とても立派な姿で自分の前に立っているのは、自分がいつも愛している豊太郎さんだろうか」という気持ちが省略されている。貧しい暮らしにあえぐふだんの豊太郎とは全く別人が立っているように思うエリスだった。だから彼女は、見慣れぬ太田に対し、不安になるのだ。いつもは自分を愛してくれている豊太郎さんなのだが、今、自分の目の前にいるのは、それとは全く違う人格の存在なのではないか、ということだ。
 この時エリスは思いだしているだろう。困り切った状態の時、自分を助けてくれたのは、まだ立派な身なりをしていた豊太郎だった。あの時、彼は、とてもカッコよく見えた。彼のおかげで、自分は落ちぶれずに済んだ。命の恩人と言っても過言ではない。その人と今は、一緒に生活することができている。貧しいながらも、幸せな毎日だ。しかしこうして立派な衣装に着替えた豊太郎を見ると、なぜかその存在が、急に遠くなったように感じてしまう。このまま自分と離れ、遠い存在になってしまうのではないか。それはいやだ。
 だからエリスは「又少し考へて」言うのだ。「たとえ富貴になる日が来ても、私を見捨てないでね」と。口語訳では、「私をお見捨てにならないでしょう」と、「じ」を打消推量で訳したが、エリスとしては、「私を見捨ててはなりません」という禁止の気持ちだったろう。

 続く、「我病は母の宣(のたま)ふ如くならずとも」について。
 エリスは予感しているのだ。太田は自分を捨てるのではないかと。おそらく彼女は、日々の生活のふとした瞬間に、太田の自分への気持ちに疑いを感じていたのだろう。太田の自分への愛への不審。彼の愛に確信が持てない不安。この場面でも太田は、「不興なる面もち」を見せる。しかしそのはっきりした理由が分からない。時おり不機嫌になる太田に対し、エリスは、別れの予感を感じていた。そうしてその思いは、意外に強い。エリスは、たとえふたりの間に子供ができたとしても、太田は自分を捨て去るのではないかと思っている。それがここで思わずこぼれてしまったのだ。
 子どもができても別れが来る。女性としてこの不安は、心身に大きな影響を及ぼすだろう。

 「「何、富貴。」余は微笑しつ。「政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年(いくとせ)をか経ぬるを。大臣は見たくもなし。唯年久しく別れたりし友にこそ逢ひには行け。」

 これは全部嘘です。よく平気な顔でこんな嘘が吐けますね。厚顔無恥。倫理と道徳の欠如。
 まず、太田は、いまだに「富貴」を望んでいる。また、「政治社会などに出でんの望み」も持っている。「大臣」に会いたいから、わざわざこれから出かけるのだ。「年久しく別れたりし友に」会うのは、そのついでだ。だから、太田の「微笑」は醜悪だ。演技しているのだ。
 これらの真実をエリスが知ったら、嘆き悲しむだろう。しかしこの大切なことが隠されるという設定となっている。愛を疑うエリスと、嘘をつく太田。

 「エリスが母の呼びし一等「ドロシユケ」は、輪下にきしる雪道を窓の下まで来ぬ。余は手袋をはめ、少し汚れたる外套を背に被(おほ)ひて手をば通さず帽を取りてエリスに接吻して楼(たかどの)を下りつ。彼は凍れる窓を明け、乱れし髪を朔風(さくふう)に吹かせて余が乗りし車を見送りぬ。」

 私はここを読むといつも、まるで映画の一シーンを見ているような感覚になる。それだけ情景描写が美しくのだが、それがエリスの儚さと悲しみを際立たせる効果を発揮しているからだ。
 再び表舞台に進出しようとしている太田に対し、妊娠により内にこもることを余儀なくされるエリスという対比。エリスはふだん舞台で踊る舞姫であることが、うまく掛けられている。外の世界へ自由に出かけられる太田に対して、エリスは窓を開け、彼を見送ることしかできないのだ。責任を取らない者には自由があり、愛を信じる者は不自由という逆説。

 ここをもう少し、細かく見ていきたい。
 エリスの母親は、一等馬車を呼ぶことで、太田への気遣いをする。大臣のもとに向かう彼に恥をかかせないためだ。馬車の車輪が雪道を踏み、そのきしむ音が、四階の部屋まで聞こえた。それを合図に太田は手袋をはめ、袖を通さずにコートを羽織り、帽子を手にしてエリスにキスをし、階段を下りる。

 このあたりの描写はとても細かく正確であり、それは、手記を書く太田自身の記憶がはっきりしていることと、この場面が印象として彼の心にも強く残っていることが分かる。太田にとって忘れられない場面なのだ。この後相沢に会うことによって、太田の運命が大きく変化するからだ。
 一方、この場面の太田は、まるで映画俳優が演技をしているようにも思われる。腕を通さずにコートを羽織ったり、習慣とはいえエリスにキスをしたりする。彼の颯爽と階段を下りる姿が目に浮かぶ。

 ここは、テキスト論の立場に立つと、手記を書く太田はなぜこのように美的にこの場面を描いたのかということになる。エリスを捨てる大きなきっかけとなる直前の場面だ。エリスにとって悲劇が待つのに、このように場面を美しく、また自分をカッコよく描き出す太田の心情は、私には理解できない。だからここは、テキスト論的立場での考察がかなり苦しいのではないか。
 ここを、作者である森鷗外の位置に還元してみれば、簡単に説明がつく。物語が大きく転換する直前の場面なので、鴎外は、意気揚々と晴れ舞台に向かう太田をカッコよく描き、お腹に子供がいるエリスは内にこもらざるを得ないという状況を、窓の内で髪を北風に吹かれるままにすることで、悲しくあわれに表現したのだ。


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