安部公房「鞄」を読む1

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初めに、「雨の中をぬれてきて、そのままずっと乾くまで歩きつづけた、といった感じの」青年が登場する。再読者は気づく。青年は、実際にこうだったのだと。青年がこの事務所にたどり着く前は、実際に、「雨の中をぬれてきて」、「そのままずっと乾くまで歩きつづけた」のだ。だからその「服装」は、本当に「くたびれ」ている。これについては、後程詳しく述べる。
雨に濡れることも、そのままずっと歩きつづけることも厭(いと)わせない「鞄」。その不可思議な魅力。ひどい状態で歩きつづけ、「服装」は「くたびれ」ているが、青年の「目もと」は「明る」い。なぜなら彼は、「不安」を「感じなかった」からだ。「ちゃんと鞄が」自分を「導いてくれて」おり、「嫌になるほど自由だった」からだ。(最終段落)

「けっこう正直そうな印象」の青年が語る言葉は、実際に「正直」だ。本当の事しか青年は語らない。「私」との会話は、表面上、一応成立している。しかしそれぞれが話す言葉の意味は、まったく異なっている。その微妙なズレが、この物語の何とも言えない不安定さ、気味の悪さを演出する。その様子を見ていきたい。

青年が「私の事務所に現れた」のは、「新聞の求人広告を見た」からだというのは、後付けの理由だ。ここだけ青年は小さな嘘をつく。なぜなら彼が持つ鞄が、進む方向を勝手に決め、青年はそれに従って歩いて来ただけだからだ。だから、「その広告」は、「半年以上も前の」ものということになる。
「私」が、「今頃」・「非常識」と感じるのも当然だ。しかし青年は、鞄に従ってその事務所にたどり着いただけなのだ。青年は、突然「事務所に現れた」理由をとっさに考える。そういえばこの事務所は、以前、「新聞の求人広告」を出していた。そうであるならば、それを理由にすれば、今、自分がここにいることを怪しまれない。そう青年は考えた。

「肩の荷を下ろした感じ」の「肩の荷」とは、その手に持つ鞄のこと・これまで鞄を持ち続けたことだ。
青年の、「やはり、駄目でしたか」というセリフは、深い意味を持つ。これは、就職がかなわない落胆ではない。青年は、自分の意志とは関係なく自分の進む道を決めてしまうその鞄を手放したいと思っている。その鞄の次の所有者は、事務所の「私」というわけだ。鞄を譲るという目的がかなわなかったので、落胆したのだ。また、一方で青年は、鞄を手放せなかったことを喜ぶ気持ちもある。これさえあれば、「不安」を感じずに済み、「ためらうことなく、どこまでもただ歩きつづけていればよかった」のだから。「自由」を「嫌になるほど」満喫することができる。
問題が解決せずにがっかりする一方、今までとは何も変わらない「楽」な日常が続く安逸さから、青年は「ほっと」する。

そもそも青年は、本当に広告に応募しようと思ってそこにいるのではない。だから、「来たときと同じ唐突さで引き返しかける」。

「なぜ半年も前の求人広告に、いまさら応募する気になったのか」という「私」の疑問に対し、青年は、「さんざん迷った(鞄に促されてあちこち歩きまわった)あげく、一種の消去法(坂が上れないw)といいますか、けっきょくここしかない(ここにしか来られない・たどり着かない)ことが分かったわけです」
店主からの応募動機の問いに対し、青年は真実を素直に答えている。鞄が自分の行き先を勝手に決めてしまうこと。自分はそれに抗(あらが)えないこと。その結果「ここ」にたどり着いただけであって、自分から望んできたわけではないこと。
青年の真実の告白が、店主には全く違う意味で受け止められる構造になっているところがおもしろい。一つの表現が、二つの意味を持っている。しかも全く矛盾していない。店主の問いに対する答えとして齟齬(そご)がない。しかし完全には納得できない何かがそこに残る。

このすれ違い・ズレは、この後もずっと続くことになるのだが、登場人物それぞれの論理も、二つの意味を統合した展開も、まったく破綻せずに物語は進行する。(安部公房さん、さすがです)

この、「さんざん迷ったあげく~分かったわけです」という答えを、「私」は、「かなり思わせぶりになりかねない口上」と受け取る。つまり、「就職先としては、御社が第一希望です」と言っているのと同じことになるからだ。青年は志望理由をわざと裏返して表現している(「思わせぶり」)と受け取ることが可能だ。しかしこの言葉も青年の真実なので、「さりげなく」「素直」に「言ってのけ」ることができる。

「私」は、青年に、「具体的に」言わせようとする。「消去法」などと言わずに、はっきり素直に言いなさいと。

それに対し青年は、意外な返事をする。「この鞄のせい」だと。そうして青年は、「鞄に視線を落と」す。当然、「私」の視線も鞄に向くことになる。
いったい青年は、何を言っているのだ? この鞄が、何だというのか? そう思いながら、「私」はその鞄を観察する。
「職探しに持ち歩くにはいささか不似合い」だ。
「赤ん坊の死体なら、無理をすれば三つくらいは押し込めそう」だ。この物騒なたとえは、これまでの青年の行動・言葉への不審や、青年に合わない大きな鞄への不審が反映されている。そして読者も、「赤ん坊の死体」を想像する。それも「三つ」もだ。「無理をすれば」からは、青年が「無理」に子供の死体を鞄に「押し込め」ているありさまをイメージする。もしかしたらこの青年は、本当に赤ん坊を三人も殺したのではないか。「正直」そうだが、実は殺人犯の青年。そのような想像をしていると、やはりその鞄には、子供三人の死体が入れられているのではないかと思えてくる。
何とも不気味な鞄と、それを持つ青年。イヤな想像をしたせいで、「私」はこれ以降、懐疑のまなざしで青年を見ることになる。

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