パイオニア(ダスト・エッセイ)

JR横浜駅、横須賀線下りホーム、前から3両目あたり。ホームの地面には、15両車用が青、11両用が黄色、の乗車位置の目安が記されている。が、一ヶ所だけ、色が全面的に剥げて、文字も読めない。他の箇所には、それぞれ10人くらいがキレイに並んでいる。けれども、この剥げた箇所にだけは、一人も並んでいない。目安が、目安としての役割を果たしていない。

横須賀線の全線の、この箇所だけが故障しているわけない。そして、並ぶなら、なるべく空いている乗車口から乗車したい。僕は、この乗車口を選んだ。この乗車口のパイオニアになった。

1, 2分待っていると、僕の後ろに4, 5人立っている。並んではいない。僕から2, 3歩下がった場所に立っている。半信半疑なようだ。でも、他の乗車口に比べて、断トツで空いているココに、彼らは賭けている。僕は、彼らの想いを背負うことになり、少しだけ不安感が高まった。ドアは目の前にやってきた。立っている乗客が少なくない車内で、僕は多くの人が選ぶ、あの端の席に座ることができた。安心した。そして、嬉しかった。

こんなふうに、もっとすごい何かのパイオニアになれたらいいのに、と思った。それは、承認欲求を欲しているサインのようにも思う。でもそれは、急降下しているような気分を救い出すためのものではなくて、慢性的に、なんとなく、いつも、いつか、と求めているものの気がする。

小学一年生の頃、将来の夢について悩んだ。幼稚園の頃抱いていたパン屋さんとおもちゃ屋さんは、気づいたら夢ではなくなっていた。大人は子供に夢を聞くのに、子供の頃の夢を叶えた人はほとんどいない。それが、今後の高確率な人生なのかと思うと、苦しかった。隣の乗客は、新しいスニーカーが欲しいと友人に話している。求めるものは、いつもはっきりとしたものとは限らない。あの後ろに立った乗客たちは、僕に何も語りかけない。

(2022年9月22日投稿)

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