卵巣がんお気楽備忘録~番外編・「がん」に対するイメージと現実(1)

さて、これまで卵巣がん発覚から手術、抗がん剤治療終了までをつらつらと書いてきたが、治療の他に感じたことやまとめを作っておこうと思う。

がんの告知ってこんな感じなんだ?

がん告知のイメージといえば、昭和のテレビドラマの影響が大きい私たち世代である。
まず家族だけがこっそりと医師に呼び出され、深刻な顔で「奥様はがんです」と告げられる。
あるいは本人が医師に「先生、私はがんなんですか?」と聞くと、医師が「いえいえ、単なる胃潰瘍ですよ」みたいなごまかしのやり取りがある。
などなど。
こんな、今考えるとわけのわからん刷り込みがあった(笑)。

本当のことを知りたいですか? とか

家族には伝えますか? とかは無い

しかし、実際に自分ががんになってみると、まったくそんなことはない。
最初に行った総合病院でも、検査の後いきなり
「おそらく悪性、つまり卵巣がんの可能性が高いです」
と言われた。
ああ、言い淀むことなんてないんだなあ。
そして、大学病院でもフツーに卵巣がんであることを告げられ、その後の検査で子宮体がんであることも告げられた。
ドラマでよく見た「本当のことを知りたいですか」「家族には本当のことを伝えますか」とか、家族が先に呼び出されて「ご本人には本当のことを言いますか」などという選択肢自体が、無かった。

がんに遺伝は関係ないのか、私の場合

また「がんは遺伝する」とよく言われる。最近では遺伝子検査を行って将来のがんリスクを測る人も増えてきているらしい。
実際私も、卵巣がんであることがわかった時、看護師の従姉に「家族でがんになった人居る?」と聞かれたが、父親も母親も(既に亡くなっているが)がんにはかかっていない。祖父母のうち3人は私が生まれるはるか昔に亡くなっており、多分がんが原因ではないと思う。
となると、私が卵巣がん&子宮体がんになったのは遺伝的要素はほぼ無いということで・・・、
個人的には「遺伝って結局関係ないんだ、ふーん」と思ったわけだ。

もちろん、遺伝的要素もあるのだとは思うが、私の場合は遺伝とは関係なく、突然やってきたらしい。
まあ、なってしまえば過去のデータなんて本人にゃ関係ないからね~。
あと「腫瘍の8割は良性」などといわれる病気もあるが、自分が悪性だと告げられてみると、
「なんだかんだ言ったって、その2割に入っちゃえば結局は10割と同じだもんな」
と思ったっけ。

また、がんになりやすい性格は「我慢・頑張る・頑固」の「3G」で、自己犠牲で働く頑張り屋さんが多い、なんて言う人もいるらしいが・・・私・・・多分どれもあてはまりません・・・。
まあ、世の中で「こうじゃないか」と言われていること、思われていることが、いかにアテにならないかってことだわな。

実際は「告知」でも「宣告」でもなかったような気がする

両親だけでなく親戚でも、がんで亡くなった人が多分いなかったし、自分は他の病気にはなるかもしれんが、がんにはならないだろうなあ・・・と根拠もなく思っていた。

大学病院で検査を受け、両側の卵巣に10cm超の腫瘍があり、卵巣がん(であろう)ことがわかり、さらに子宮体がんであることもわかった。
2つのがんが発覚した時(のちに3つ目も見つかるのだが)にも、不思議なほどショックはなかった。これは今もってなぜかわからない。

「どうして私ががんに!?」というショックもなく、手術で卵巣を取る、子宮を取ると言われても落ちこむことはなかった。
そこらへんはホントに個人の感じ方の差だし、年齢的にもう50代だったってこともある。もう卵巣や子宮がなくなっても何てことないよな、と思っていた。
それでも、女性としての臓器を失うことに対して何とも思わなかったのは、もしかしたらおかしいのかもしれないけれど。
実際に自分が、がんであることを医師から告げられても、ドラマにあるような「告知」やら「がんの宣告」なんていうような感じではなかった。
医師は淡々と事実を伝えるのみ、私も淡々とそれを受け容れるのみだった。

パートナーの存在とがんに対する捉え方と


パート先の人たちにも感謝

開腹手術を行うため入院期間は2週間程度、その後のことを考えると1ヶ月は仕事を休まなければならないなあと思い、パート先に相談。
当時の所長に「実は入院手術をすることになって、入院は2週間くらいなんですが、開腹手術をするもんで術後どうなるかわからなくて」と話をしたら、
「だったら大事をとって1ヶ月休みにすれば? 復帰できそうになったら、出てくれればいいんだから」
という言葉をもらった。
1ヶ月も休む、しかも復帰できるかどうか未定。それじゃ辞めてくださいと言われてもしょうがない状況だよなあと思っていたので、これはありがたかった。
ちょっと涙が出そうになったよ。
さらにパート仲間も
「大丈夫だよ、みんなでフォローするから」
と言ってくれて、安心して1ヶ月休めたことは本当にありがたいことだった。

旦那はどう思っていたのかは未だわからず

さて、改めて卵巣がんであるという告知を受けた時だが、旦那はどうだったんだろうか。
慌てふためくとか、動揺するってことは見た目にはなかったが、実際どうだったのかは私には今もよくわからない。
後から聞けば「そりゃ焦ったし、どうしようと思ったよ」とは言っているが。

思い返すと、旦那が脚を切断すると決まった時も、私はできるだけフツーに過ごしていたしフツーに接していた。
夫婦であっても、代わりに痛い思いをしてやることはできないわけだし、私が毎日泣いていたところで彼の脚が生えてくるわけでもない。
看病する側が一緒に、まして本人以上に落ちこんでヘタレてしまったら、困るのは本人だ。

と思って、先のことは心配だったし本人は落ちこんでいたが、私はフツーに生活をし、毎日病院に面会に行っていた。
なので、旦那もおそらくそんな感じだったのではないかと想像する。
あとは、旦那の叔父が30年ほど前にがんになり、その治療を見ていて、本人も家族も辛そうだったのを覚えていたらしい。
30年前に比べると手術も治療も患者への負担が少なくなっているので、彼の中では「想像していたよりも本人が辛そうじゃない」というのがあったのかもしれない。
抗がん剤治療中で私がベッドにふせっていても彼はフツーだったし、髪の毛が抜けて禿げ散らかっていても、何ら気にしなかった。
そのあたりも、今思えばありがたかった。

リスクを説明しすぎるくらい説明してくれた担当医

卵巣がんであることが判明した後、子宮に「もやっとした影」があって気になるとのことで細胞診を行った。
その結果、子宮体がんでもあることがわかった。
婦人科の検査や診察と並行して、どのがんが原発なのか、また他の臓器に転移がないかを調べるため、乳腺外科、消化器内科の検査を受けた。
一連の検査の中で、大腸内視鏡検査でポリープが見つかり、病理検査をしたら悪性であることが判明。
婦人科と消化器内科、消化器外科でカンファレンスを行い、婦人科の手術と同時に大腸の手術を行うかどうかという話し合いがもたれたらしい。
結局は、婦人科の手術と治療を優先することになった。
手術前の説明では、手術中に腫瘍の一部を病理に出すという術中迅速病理診断を行い、悪性であること、さらに腹の中にがんが散らばっていないことが確認できたら、開腹手術に移り両側の卵巣と卵管、子宮、大網を摘出するという説明を受けた。

怒涛のような検査と診断の中で「何でも来い!」と開き直る


婦人科の担当医からは、大腸のポリープがあった場所が直腸なので、手術の結果によっては人工肛門になるケースもあることを言われた。
のだが、ここでも私は「ああ、なるほど。そういうこともあるかもなあ」と淡々と聞いていた。
これから子宮と卵巣を取るって話をしているのに、さらに人工肛門なんて聞くだけで、二重にがーん! となる人も居るとは思うが、
私の場合、次から次へといろいろなことが見つかり、いろいろなことが決まっていったもんで、
ええい、ここまできたら何でもこいや! みたいな気持ちになっていたのかもしれない。

今のドクターたちってみんなそうなのかもしれんが、婦人科の担当医も「最悪の場合」「考えられる悪い方の可能性」を事前に結構説明してくれていたので、逆に楽だったのを覚えている。
最悪こうなるかもしれないけれど、そうならずに済んだらラッキー! って思えるからね。
中には「そんなに最初から最悪のことばっかり言わなくても・・・」と逆に落ちこんでしまう人も居ると思う。
しかし、私の場合、最初からドクターたちの説明はストレートであった。
なぜかは、今もってわからん。
気にしなさそうに見えたのか、従姉が看護師としてこの病院に長く勤務していたため、コイツも少々のことじゃ驚かないだろうと勝手に思われたのか。
でも私の場合は、はっきりと、あっけらかんと、ストレートに説明してもらった方がラクだったのは確かである。

そんなこんなで、自身が「がん患者」となった2021年。自分が昭和のテレビドラマなどを見て抱いていた「がん」というものに対するイメージとはまったく違う、非常にドライでライトな展開で物事は進んでいったのであった。





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