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目的のない夏休みを謳歌する

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。

今回のテーマは「#2024 夏」です。

絶賛、夏休み中である。

休みの間にやりたいことはあるが、これと言って予定がある訳ではない。けれど、有休も使って9連休も取っている。

長期で休みを取っていると、必ず誰かに「どこか旅行しないの?」と聞かれる。それも一度や二度ではなく、何度も。長期休みを取る=旅行する、など何か目的があるのではないかと思われるのだろう。

自由なはずの休みですら、何かの目的を達成するするための手段だと思われてしまうのは、目的史上主義が蔓延している証左ではないかと思う。

ダラダラと休んで、やりたいことをやる。結局、やりたいことの半分もできていないけど。それでも良いはずなのに、後ろめたさを感じてしまう。

目的を達成するために動くことも大切だけれど、やりたいことをやるというのも生き方として良いということを忘れていないか。なんてことを夜更かししながら観た『ファイブ・フィート・アパート』で思った。

難病を抱え互いに近づくことを禁止された男女の恋を描いた青春ラブストーリー。17歳の少女ステラは難病の嚢胞性線維症を患い、長きにわたって病院で闘病生活を送っていた。そんなある日、彼女は同じ病気で入院している青年ウィルと出会い、恋に落ちる。しかし細菌感染による病状の悪化を防ぐため、2人の間には常に一定の距離を保つ必要があった。互いに触れることさえできず、もどかしい思いを抱えながらも、愛を育んでいくステラとウィルだったが……。

映画.comより

生きるために接触してはならない。しかし愛するから接触したい。愛が深まるにつれて、無茶が過ぎていく二人に周りが巻き込まれていくし、病院にも迷惑をかける。(この行動に批判的なレビューも多かった)

難病の話ではあるけれど、コロナ禍を経験した我々にも共感できるところがあると思う。そのうえで、彼らの行動をどう捉えられるか。

非接触をしてはいけないのは「生きる」ためだ。生活を制限されて、ただ「生きる」という目的に向かう手段だけが肯定されて、それ以外の行動―特に不要不急―は否定される。

「愛する人に触れたい」という行動は、目的に沿ったものではない。行動が行き着く先がどうなるかなんてお構いなしだ。
だから彼らの行動を否定することは「生きる」ためには正しいことであるとしても、その側面だけを捉えているのなら、まさに目的史上主義に陥ってやしないか。

もちろん周囲の人たち、医療従事者として頑張っている人たちを無下にすることは良くない。そのうえで、全てを目的(生きること)に収束させて、行動(愛するためのスキンシップ)を省いて良いのだろうか。

これは答えがあるものではなく、ケースバイケースでしかないのだが、だからこそ「対話すること」が大切なのだと思う。目的ありき、ゴールありきではなくて、その過程を純粋に楽しめる心を持ちたい。

そんなことを考えながら、今日もダラダラと過ごす2024年の夏である。


※今回は映画の影響だけではなく、この本も背景にあるので、ご興味ある方はぜひこちらも。

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