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赤のアイバニーズ


できれば幼いうちに、しょうもないもの、無駄なものでも、「欲しいものが手に入った」という経験を積んだ方が、その後の心の歪みは少ない気がする。(完全な主観だけど。)

大人になったから、欲しいものが昔よりかは手に入りやすくなった。ただそれでも、昔の「あれ欲しかったな」はずっと心に残ってしまっている。



高校入学のお祝いに、ギターを買ってもらう予定だった。

中学3年の夏頃までは進学校に行けるような頭はなくて、同級生の多くが行くような、中の下くらいの高校に行けたらいいやという気持ちだった。

志望校に受かったら買ってあげよう、と父から言われていた。がむしゃらに勉強して、そこそこの進学校に入れた。
受かったと報告すると、今は手持ちがないからと適当に流され、かわされ、無視されて、結局なかったことになってしまった。
父は普通に私を馬鹿にしていただけだったんだなあ、と思った。受かるわけないとか思ってたのかな。

それから何かを成すたび、ギターのことを思い出しては楽器屋に足を運ぶようになった。そうこうしていたら、高校を卒業するあたりに、とうとう店頭に並ばなくなった。
いまだにふらっと楽器屋に寄ったら、似たギターが売られていないか探す癖がある。
もう10年以上経っているから、具体的な柄みたいなのは段々忘れてきている。

すごい安いわけではないけれどそんなに高いわけでもなくて、5万も出せばお釣りが返ってくるくらいのギター。

高校を卒業した時も、いきたい大学に受かった時も、卒論を書き上げた時も、会社で初めての給与をもらった時も、
買おうかと迷っては躊躇して、ずるずると30手前まで引っ張っていってしまった。
似たものでよければ、なんならもうちょっといいギターだって買えなくもないのに、なんだか神格化してしまって、買えないでいる。

けれど、もう欲しかったものはとっくに手に入りないし、買って欲しかった人も戻ってきて買ってくれるわけでもない。


父と川を隔てたあの日から、ひとつずつ、呪いを自分で解いていくことを意識している。
なんなら代わりにベースでも買おうかな。もうちょっと今の穏やかな自分に合う、あたたかい色の。
それで、さみしい気持ちが誤魔化せたらいいな。

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