【続編】余命まであと0ヶ月になった今、私が思うこと。
突然ステージⅣの直腸がんの宣告を受け、一時は一寸先の未来すら全く想像できなくなって、目の前が真っ白になって、自分の命に初めて向き合うことになった2021年3月。
放っておけば、私の余命は半年だったかもしれません。
でも今、私は時にがん患者であることを忘れられるくらい、笑って毎日を過ごせています。
今回は、そのきっかけとなった出来事やこれから目指したい生き方について書き記していこうと思います。
前回の記事はこちら
ただ、生きてる意味を感じたかった
がん発覚から生活が一変し、ずっと滞っていたInstagramの更新。
妊娠中からマイペースに続けてきたアカウントは、気が付けばなんだかんだで2万人以上の人にフォローしていただき、私の日常に欠かせない存在になっていた。
そもそも、妊娠した瞬間何もかもが無知でネットサーフィンに明け暮れていた私が、もしかしたら自分が調べてわかったことや学んだことが誰かの役に立つかもしれないという単純な理由で始めたこのアカウント。
がんになったこの経験も、もしかしたらどこかの誰かの役に立つかもしれない。
ふとそんな思いが頭をよぎり、Instagramでがんであることを公表することにした。
もちろん投稿することへの迷いはたくさんあったし、心のどこかではこれほどのパワーワードを投稿することで、見てくれる人たちにどんな印象を与えるのだろうという不安もたくさんあった。
一旦心では決意したものの、しばらくは「どうしよう…」と、理由なき迷いの言葉だけが頭の中をぐるぐる駆け巡っていて、投稿までなかなか踏ん切りがつかなかったりもした。
だけど、やっぱりどうしても伝えたかった。
出産した瞬間から、心身共にいっぱいいっぱいの状態で育児に奮闘するママたち。自分の体調不良は、産後だから仕方ないと目を瞑って後回しにしているママたちって絶対にたくさんいるはず。
自分の身体よりも我が子の身体。自分のことより家族のこと。
そうやって、気力だけで毎日を乗り切っているママたちに伝えたかった。
家族のことと同じくらい自分の心と身体を大切にしてほしい。
それくらいママの健康はめちゃくちゃ大切だってことを。
自分と同じ思いを誰にもしてほしくなかったからだ。
そして、がん発覚から2ヶ月以上経ったある夜、更新をした。
「大丈夫。きっと誰かの役に立つよ。」
そう言って、夫に背中を押してもらいながら。
投稿をしたその夜、ベッドに入る前にスマホを見た私は、驚いた。
全く想像しなかったことが起こったからだ。
投稿直後から続々届いたのは、言葉に言い表せないくらいの温かいコメントの数々だった。
「勇気ある投稿をありがとう!」
「自分の身体、大切にするよ!」
「健康診断に行ってくる!」
「絶対治るから頑張って!」
「応援してるよ!」
まさか、こんなにたくさんのコメントをもらえると思わなかった。
まさか、こんなにも温かい言葉をもらえると思わなかった。
そんな人の優しさに触れて、ようやくわかった。
本当は、誰かの役に立ちたいと言いながらも、ただ自分が生きている意味を少しでも感じたくて、ただ自分の存在意義を感じたくて、せめて誰かの役に立ちそうなことをしたかっただけだ。
だけど、私はまた、たくさんの人からたくさんのものを貰ってしまった。
みんな、なんでこんなにも温かい言葉をかけられるんだろう。
私はただSNS上に存在するどこにでもいる一人の人間であって、何も特別なことをしたわけでもない。
なのに、顔も知らない私のために、心を込めてコメントしてくれた人がいて、顔を知らない私のために、涙を流してくれた人がいる。
顔も知らない誰かのために、こんなにも世の中の人は優しくなれるのかとしばらく涙が止まらなかった。
「世の中は、こんなにも温かい人たちで溢れてるんだね。ホントにすごいよね。」
もう、どう表現すればよいかわからないくらいに感動した私は、夫に何度も何度も同じようなことを言って、コメントを読んだ。そして、何度も何度もそのコメントたちを読み返した。
このことがきっかけで、私は精気を取り戻した。
家族と毎日平穏無事な生活を送ることはこの上なく幸せだけど、家族以外の人とのつながりを持てることって、生きていく上でこんなにも大切なんだと、心の底から実感した。
人とのコミュニケーション。人とのつながり。社会とのつながり。
自分の存在意義を感じられることに、生きる意味があるって感じられるもの。そのことを、Instagramの発信を通じて、学んだ。
がんになって得られたもの
がんになって良かったということは決してないけれど、だからこそ得られたものはたくさんある。
Instagramを通じて自分の存在意義を感じられるようになったことはもちろんだけど、「ちゃんと生きる」ことに目を向けたことで気付けたことは多い。
身体を作るのは、毎日の食事だってこと
今は、便利なものが多くて食事に関しても何でも安くて簡単に手に入る時代だけど、「食」の大切さに改めて気付かされた。
娘が産まれてからずっと娘と向き合う時間を一番大切にしたくて、自分たちの食事は手抜きしまくりでも適当でもいいって割り切ってしまっていたけれど、やっぱり食べるもので身体は変わるってことを思い知った。
「食事が身体を作る」ということを証明するように、食べ物を変えたことでお肌の調子や体重変化が顕著だったのも、その理由の一つ。
前編で書いたような偏った考えに捉われることなく、良質な食材を、そして身体に必要な栄養素をバランスよく摂取することの大切さを学んだし、そのおかげで、毎日の食事をそれまでの何倍も楽しめるにようになった。
そして、夫がそれまでと打って変わって食事や食材に興味を持ってくれるようになった。
これは、私にとってはすごく大きな喜びだったし、娘にも良質なものを提供できるようになったこともまた、大きなメリットになった。
笑って過ごせるって、当たり前じゃないってこと
毎日、毎時、毎分、毎秒、常に色々なことを考えるし感情は変わるけれど、笑って過ごせるって当たり前じゃないってことに心の底から気付かされた。
がんだけではないけれど、自分が病気になるとショックを受けるのは当たり前。がん患者の多くは、そのショックから精神的に病んでしまうのだそう。
日常を笑って過ごせるって決して当たり前じゃないし、自分一人の力では難しい。
だから、今自分が感じる幸せをしっかり噛み締めていたいと思うし、笑える環境があるってことや笑顔にしてくれる人がそばにいることが、どれだけありがたいことなのかをギュッと心で感じ取りながら過ごしたいと思う。
命はいつ終わるかわからないってこと
自分の命がいつ終わるかなんて誰も知らない。
だけど私は、おばあちゃんになる時まで普通に生きるって勝手に想像してしまっていたし、まさかがんになるなんて、自分の人生設計にはなかった。
時間は有限だって「知って」はいたけど、多分「理解できて」はいなかった。
だから、いつかやりたいな…とか、機会があれば…とか、今は時期じゃないとか…そんな風に幾度となく後回しにしていたことばかりだったけれど、人生にそんなことを言ってる暇はないんだなっていうことを思い知った。
思い立ったら吉日。
今日より早い日はない。
今日より若い日はない。
今日は絶対に戻ってこない。
追加された第二ステージ
2021年9月10日。
もしかしたら、この日は私にはなかったかもしれない。
放っておいたら余命半年。
2021年3月9日、がん宣告を受けたその日、病院で聞いたこの言葉が本当だったとしたら。
もしもがんに気付くことができなかったら、がん細胞に侵された私の肝臓は肝不全を起こして機能しなくなっていたかもしれない。病院のベッドに横たわり、力なく息を引き取っていたかもしれない。
でも、ありがたいことに、おそらくちゃんと生きていられる。
そう考えたら、この日は私にとっては人生の第二ステージの始まりの記念日だ。
元々なかった時間。
与えてもらった人生。
多くの人に紡いでもらった命。
これをどう生きるかは自分次第だけど、たくさんの人の力を借りて生かしてもらったこの命を、せめて恥じないように生きたいし、できることなら誰かの役に立つような生き方をしたい。
だけど、急に大それたことができるかと言うとそれは難しいし、ここまでの人生をただ流れるままに生きてきてしまった私が、突然偉人にはなれない。
でも、もしも私にできることがあるとすれば、多分一つだけだ。
言葉にするとすごく単純なことだけど、人に誇れるくらい前向きに笑って一生懸命生きること。それだけなんじゃないかと思う。
以前、がんを経験した友人が言っていた。
「辛い闘病の話はネット上にあふれているけれど、明るく元気に生きている人や寛解した人の情報って本当に少ない。闘病中、どれだけネットサーフィンをしても、見付かるのは暗くて辛い闘病期ばっかりだった。」
確かにそうだ。
自分ががんになって、そのことを実感した。
私も、入院中は出来るだけネットサーフィンをしないということを決めていたけれど、その理由はやっぱり、インターネットで暗い情報に引っ張られてしまって暗い気持ちになってしまったり不安になってしまったりするからだった。
それならば、かつて夫が私についた嘘のように「未来が想像できる」ような明るい話があった方がよほどいい。
いつかどこかの誰かに伝えたいこと
今は、2週間ごとに抗がん剤治療を受けながら過ごしている。
抗がん剤を投与している3日間は特にぐったりとして信じられないくらい眠くて1歳の娘以上に睡眠時間が必要だったり、突然体調が優れなくて寝込んでしまうことがあったりしながらだけど、支持医療のおかげもあって副作用の悩みは最小限に抑えられているし、夫はもちろん、夫の仕事関係の方々のサポートも手厚いおかげで、がん患者であることを忘れられるくらい平穏無事な毎日が送れている。
でもその反面、軽いとは言え抗がん剤を投与している間はそれなりに身体に負荷がかかるため「また治療の日が来てしまった」と少し気持ちが落ちることもある。
がん治療の影響ではないかもしれないけれど、記憶力や能力の低下を感じることも多くて、こうしてnoteを書くにも今まで以上に言葉が出てこなくて、正直、自分が嫌になることもしばしば。
やりたいことはたくさんあるのに、薬の影響でどうしても眠くなるし、体力が続かないことも少なくない。思った以上に眠ってしまった日は、時間を無駄に過ごしてしまった気がして自己嫌悪に陥ってしまう。
がんじゃなければ、夫にこんな想いをさせなくて済んだのに…とか、がんじゃなければもっと家族でできることがたくさんあったのに…とか、時にはそんなことも考えてしまう。
障害を持ったことで、一生これと付き合っていくのかと切ない気持ちにもなることもあるし、薄くなる髪を見てはがんが治るまで自分の髪は生えてこないのかと悲しい気持ちになることだってある。
夏場のウィッグは暑くて蒸れるし、かゆいのもそれなりに辛い。
だけど、それでも命があるって、本当に奇跡だ。
だって、もしもがんに気付くのがあと少し遅かったら手遅れだったかもしれないし、逆にもっと早ければきっと今の病院で治療を受けられていない。
もしも娘を妊娠していなかったら、家族を持つことだってなかったかもしれないし、一人だったらきっと、いや絶対に乗り越えられなかった。
何より一緒にいてくれるのが夫じゃなければ、多分私はこんなにも健康な心で平穏な毎日を笑いながら過ごせてはいなかった。
仕事を辞めたタイミングも、娘が私のお腹に宿ってくれたタイミングも、がんが見つかったタイミングも、私にとっては全部が仕組まれたかのように奇跡の連続だ。
だから私は、そんな自分の運命を思い切り振りかざして生きていこうと思う。
ある日突然、がん宣告を受けて目の前が真っ白になって、一寸先の未来も見えなくなった私に、夫は大嘘をついた。
本当は未来なんて全く見えなかったくせに、同じステージⅣの大腸がんから復活した人の闘病期を読んで未来が見えると嘘をつき、絶対に生きれると言った。
でも、絶対に嘘だとわかりながら、私はその嘘を信じたくなった。
そのおかげで今の私がいる。
あの時、夫がその人の闘病期を読んでいなかったら、もしも私に大嘘をつかなかったら、私はあの時、もっと長く生きたいという気力を持てていなかったかもしれないから。
だから、その時の私のように一寸先の未来が見えなくなってしまったり、生きる気力を失いそうになってしまった人がいて、何かのきっかけで、馬鹿みたいに明るく生きているステージⅣのがん患者がいることを知ってもらえるなら、私はそういう存在でいたい。
そのために、すごく単純だけど、そして気の利いた言葉も見つからないけど、ただ、今日も明日も自分の人生を一生懸命に生きようと思う。
〜最後に〜
おそらく、多くの方がInstagramのアカウントからこのnoteにたどり着いてくださったのではないかと思います。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。そして、いつもInstagramを通じて応援してくださる方々、本当にありがとうございます。
顔も知らない私のために、Instagramを通じて生きる力をくださったこと、このnoteを通じて多くのサポートをしてくださったこと、心の底から感謝しています。
今の私には、ただ毎日を「一生懸命生きる」ということしか出来ません。
だけど、いつかどこかの誰かに、がんになっても一度は生きる気力を失っても、また馬鹿みたいに人生を楽しめている人間がいるということを知ってもらえるだけで、もしかしたらほんの少しだけ希望を持ってもらえるかもしれない。
そんな僅かな可能性を信じてただ生きていく一人の人生を、ほんの少しだけ応援してくださると嬉しいです。
今日生きれたことに、心からの感謝を込めて。
ここから先は
がんと半年の余命宣告
子育てしながら、大腸がん(肝臓・リンパ節への転移)ステージⅣ-bの闘病をしています。そんな私と私の家族の体験談を書いています。
サポートしてくださる方、ありがとうございます。生きてく力になります!