自分が生きて、自分が死んでいく。

生まれる(誕生する)。生きる。そして死ぬ。個体で言えばそれで終わりだ。

全体で言えばどうだろう。私が死んでも世の中は終わらない。受け継がれていく。肉体の破滅と、別の肉体の復活を繰り返す。

死ぬ時に後悔する事の一つに「自分の生きた証を残しておけば良かった。」というのがある。死ぬ時に人は、何かを『残したい』という気持ちになるという。

私という存在のおかげで。
私という存在のせいで。
この世の中に何かしらの影響を与えた。

それはきっと、この世の中に必要な影響で、私という存在は、この世の中に必要だから生まれて来たのだと。

人に優しく接しなかった事を後悔する。どうせならまわりに『良い影響』与えたかった。私の感情的な行動がその人を傷付けた。私のその行動で、その人は何を思い、何かに気付いたのだろうか。

何もしなくてもいい。ただナチュラルに生きているだけも、私が存在していることには確かに意味があるんだ。
もちろん何かにチャレンジしても良い。短い人生の中で、新しい事を体験できるチャンスは存分に活かすべきだ。この三次元の世界でしか体験できない事を体験する為に生まれてきたのだから。

結局人は、何をやっても自由だし、何をやっても正解だという答えに辿り着く。答えは『内側』が知っていると。実は自分が取る行動は、もうすでに決まっていて、行動によって齎される結果ももうすでに決まっていると。
無数にあるパラレルワールドの中からどれを選択するかに過ぎないと。

それでもいい。私は体験している。日々にワクワクしている。考えていた事も考えていなかった事も起きるからだ。自分が何かをしても、自分が何もしなくてもだ。

自分が自分を好きになるような行動をしよう。「私はこんな私が好きだ。」と思えるような行動。
好きな私が好きなように動いている。それを私は楽しいと感じるから。

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