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馬栓棒

乗馬や厩舎に馴染みがあれば、馬栓棒(ませんぼう)は馬房から馬が勝手に出てこないように通せんぼのように出口を塞ぐ棒のことだと知っていると思う。最初聞いたとき、何?って思った。聞きなれない単語だった。

最近は馬房の出入口はドアが多いように思う。愛馬の馬房も今はドアだ。愛馬はかつては乗馬クラブの馬房でほとんどの時間を過ごしていて、いつもヘイキューブの破片とかを探して、土の上で口をもごもご動かしていた。馬は草地にいたら移動しながら最長20時間くらい草を探しては食むのだから、本能で口を動かしたくなるのかなぁ。その頃の写真が残っていた。

馬の口って柔らかくて、すごく器用に土とそれ以外のものをより分ける

一時期、一番下の馬栓棒が低い馬房にいて、同じ動作をしていたら、たてがみと馬栓棒が擦れて、たてがみがハゲてしまったことがあった。頑張って通路側に首を伸ばして何かをゲットしようとし続けたみたいだった(見ていたわけではないが)。一部ハゲたたてがみは乗った時にも気になったし、見た目がよろしくなかった。

そんな時、たまたま読んでいた『馬と人の江戸時代』と言う本に、その見た目のよろしくない姿にそっくりの挿絵があった。

これがその挿絵なのだが、「中駄」とあるこんな感じだったのだ。

最近、たまたま図書館で同じ本があったので、手に取り、この挿絵のページを探し当て、懐かしく眺めた。

この本は主に盛岡藩の南部馬に関する資料から江戸時代の営みを紹介していて、とても面白かった。「駄」と言うのは荷物を運ぶ馬のことで、ダメな下等な馬という意味ではない。南部馬は藩の名産物だったので、荷物を藩外に運ぶのに、上等な馬を使って盗まれたり、そしてその馬が牝馬で繁殖に使われたら、他の藩でも良い馬を生産できてしまう恐れがあるので、藩外への馬の移動を厳しく管理していて、馬の等級が一目でわかるようたてがみを切って区別していたと言う。「上駄」はまるでちょんまげの月代(さかやき)みたいで、当時はクールな髪型(?)だったのかもしれないけれど、なんか変って思うのは私だけかしら? むしろ「下駄」の方がカッコイイ??

藩外に黙って馬を連れ出すことを本当に厳しく管理していたようで、馬が死んだときも、たてがみなどを提出しなければならなかった。死んだと偽って売れないようにするためでもあった。馬は1年に1頭しか産めないし、全頭無事に出産というわけにはいかないのは今も昔も変わらない。こうした管理は必須だったのだろう。サラブレッドの血統ほどではなくても、良い馬を出す工夫や研究も行っていたのではないだろうか。

馬栓棒を見るたびに、中駄だった愛馬を思い出す。この本のこの挿絵、当時の誰かがおそらくささっと描いたのだろうが、馬の特徴を捉えた馬らしい馬の絵だと思う。馬が身近にいて日々見て観察していた人が描いたんだろうな。



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