夫のお弁当と私スイッチ
3歳になった息子が産まれる前、産休に入ってから夫にお弁当を作るようになった。
育児が始まったらそれどころじゃなくて、仕事に復帰したらますますそれどころじゃなくて、産まれる前の何週間かだけだったけれど。
当時は1人目の妊娠で1日の生活に"これをしなければならない"というミッションが何もなかったので、お弁当を作ることだけが決まったルーティーンになっていた。
あれから3年が経ち、3年前よりも料理をすることが日常になった私は、今回もまた夫のお弁当作りを始めた。
どうせ作るなら、曲げわっぱにごはんをつめて、上に色とりどりのおかずを…なんていう美しいお弁当にしたい。
でも現実は、IKEAのばかでかいプラスチックのお弁当箱のスペースを埋める映えない弁当である。
それでも、彩りには気を遣ってそれなりに(私が)満足できる仕上がりになるようにしている。
仕事をしなくなると、急に自分を表現することが少なくなる。
仕事をしているときは、考えたことを話したり、いいと思ったことを実践してみたり、迷ったとき誰かに相談してディスカッションしたり。
仕事上の役割はあれど、ほとんどありのままの私をさらけ出しながら仕事を進めていく。
私にとって、仕事は自分と向き合い対話して、一番よい道を見つけながら進んでいく、大切な時間なのだ。
ところが休みに入ると、ひゅうっとその世界から遠ざかってしまう。
家の中に吸い込まれてしまったみたいな感覚で、外の世界との間に透明な膜ができる。
安穏だけど張りのない世界。
子育て中なので息子を育てるミッションはあるし、息子との時間を楽しめるのはすごく嬉しい。でも、3歳の子に伝わる言葉は限られている。
だから、note書く時間やお弁当を作る時間は、自分と対話してアウトプットし、何者でもない自分自身でいられる大切な時間なのだ。
大げさかもしれないけれど。
今朝は4時半に起きてお風呂でこの記事を書いている。そしてお風呂から出たらお弁当にとりかかろう。
今日はごはんも炊かなきゃ。
おかずは作り置きのしそつくねに冷凍してある鯖を焼いて、隙間にトマトとブロッコリーとかぼちゃを詰めるか。野菜のおかずをもう一品ちゃちゃっと作るか。それとも卵焼きにするか。
私の中の私スイッチが入る時間である。
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