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育休の終わりが見えてきた

来春いよいよ教員として仕事復帰をする予定で、重い腰を上げて息子の保育園探しを始めた。

産育休でそろそろ休みに入ってから丸2年。台風の渦の中にいるみたいな慌ただしさとか、どうしたらよいかわからなくなって布団の中で帰り道に叫びたくなったりすることとか、朝出勤しなきゃいけないのが信じられないくらい身体が動かないこととか、そういうものがぼんやりと遠く感じられ、リアルな感情としてはもはや私の中に残っていない。

口では「復帰するの怖い」と言いながら、仕事ができる私を妄想してなんとかなりそうな気もしてしまっているのが本当に怖いところだ。

慣らし保育と新学期の業務でばたばたして余裕もなにもない生活になることは目に見えている。だけど、長い期間休んで仕事から離れることが実はとてもよいことも、私は知っている。みんな定期的に長期休みを取れるようになったらいいのに、とすら思っている。

2年間、職場から離れたことがある。病気とかそういうことではなくて、新しいことにチャレンジしたくて。

その2年間、まるっと"先生"の私から離れて暮らした。学校とは全然関係ない職種の友達もたくさんできて、生活を共にしたり、旅に出たり、語り合ったりした。そうしたら、それまで私がもっていた学校や教育について、自分がどう在りたいかの偏りがリセットされて、本当に大切なものが見えてきた気がした。

そのときいちばん感じていたのは、一人ひとりの考えや個性を大切にしたいということだった。当たり前のようでいて、集団での学校生活でそれを本当に大切にするのは難しい。でも、その思いを芯に強くもっているかどうかで、いろんなことのまわり方が変わってくることを実感した。

あるとき6年生のクラスを担任することになった。思春期に入っていく子どもたちとどう接するか考えたとき、たとえ反抗的な態度になったりとかやる気のない雰囲気になったりとかしても、それをまるごと受け止めようと思った。それで、その上で私の考えを伝えるように努めてみた。

うまくいかないこともたくさんあったけれど、ずっと続けていた宿題の自習ノートの最後のページに、私へのメッセージを書いてくれた子が何人もいて、私の向き合い方が伝わっていたことが嬉しかった。私が担任でよかったといってくれた保護者の方がいて泣いた。卒業式のあと、「ごはん食べたら公園に集まろう!」と自然に声が上がり、胸が熱くなった。

だけど、何年も学校の中にいると忙しさの中でいつの間にかまた学校の文化に染まっていく。子どもたちを集団で見てしまうことが増え、それに気づかず、本当に大切なことをまた見失ったりしてしまうのだ。そうなると苦しい。

今回またお休みしたことで、また新しく大切にしたいことがはっきりしてきた。やっぱり今度もいちばん思うのは、一人ひとりを大切にしたいということである。前回と大きく違うのは、私も母となったこと。子どもたち一人ひとりの大切さを、一層身に染みて感じられるようになった。それから、自分自身も大切にしたいと思うようになった。

まだ子どもがいなかったとき、例えば大きな地震が来たりして私の命と引き換えに誰かを助けられるとしたら、迷わず助けると思っていた。命をかけてこの仕事をしていると思っていた。だけど、今はもしかしたら躊躇うかもしれない。息子がいるから。息子を自分の手で守りたいと思ってしまうかもしれない。それは弱さでもあるけれど、強さにもなり得る。本当にその場面が来たら、その誰かを見捨てることはできないだろうと思う。だから、後悔しないために、誰かも私も助かるために頑張って乗り越えたい。そうでありたい。

新しい私の"先生"は、どんな先生になるだろう。

慌ただしさだけに振り回されずに、大切にしたいことをしっかり身体の真ん中に置いて、新しい出会い、新しい生活を楽しみたいと思う。


そんなかっこいいことを言ってもきっと忙しすぎてたくさん後悔も生まれるだろうけど、それでもまたここに気持ちを戻せますように。





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