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3. 「[要するに国自体が泥棒] 外国人銀行家に貢いでいることを本人たちに知られることなく、ここに住むすべての住人からカネを徴収することができる仕組みになっているのが、"アメリカ株式会社"です」クリフ・ハイのナラダイム調査・法律編 (2022/9/6)

テレグラム.EriQmapJapanより、Eriさんのサブスタック.ニュースレターNO3を掲載させて頂きます。

Eriさん:『3をUPしました!🍿🥰聞きなれない言葉がたくさんあったりして大変ですが、じっくりと読んで理解していただければと思います。今回は、"いかに銀行家がすべての土地を所有し、そこの住民に知られることなくカネを巻き上げる仕組みを作ったか" などが、おもな内容です。自分が学生の頃、歴史の年号を習った時「どうして戦争が起きた年は、こうも定期的・規則的な数字になってるんだろう?」と、漠然と疑問を持ったことを覚えています。実はそれは神のせい自然のせいではなく、70年ごとに借金の借り換えの期限が来ることが原因…基本的に、何もかもが銀行家のせいだったのです。「でもその借金も、そもそもが詐欺行為から生じたものであり、最初からすべて無効である」…ここだけはしっかりとおさえ、“全員が当然知っている常識”にしなければ、全人類は借金奴隷から解放されません。 #拡散 よろしくお願いします! 🐸🙏🏼』

3. 「[要するに国自体が泥棒] 外国人銀行家に貢いでいることを本人たちに知られることなく、ここに住むすべての住人からカネを徴収することができる仕組みになっているのが、"アメリカ株式会社"です」
クリフ・ハイのナラダイム調査・法律編 (2022/9/6)

とにかく…..我々は立憲共和国であり、1700年代にコモンロー (慣習法)に基づいて作られました。しかし1871年に、また1800万ドルから借金が膨れ上がり、返済不能に陥ったので、また借金を借り換えることになりました。そして借金借換の時は必ず、銀行家がやって来ては、何かを要求をしてきたのです。

1871年、彼らが要求したのは、“新しい会社の設立”でした。それは “アメリカ株式会社”と呼ばれるものでした。

“アメリカ株式会社”は、連邦政府ビルのある土地を全て所有しています。そのため 、その連邦政府の建物がどこにあろうと、すべての連邦領を所有し、連邦政府から賃料を徴収でき、しかも、外国人銀行家に貢いでいることを本人たちに知られることなく、ここに住むすべての住人からカネを徴収することができる仕組みになっているのです。


そして、歴史上の他の部分の問題もあります。この合衆国に中央銀行を設立しようとしたときの問題や、この種のものすべてについてです。この戦争では、様々な銀行の間で、何層もの戦いがありました。中央銀行というタコは、一枚岩ではなく、常に多くの内紛を抱えた派閥のようなものなのです。

とにかく、1871年に “アメリカ株式会社”が誕生しました。これがエクイティロー (衡平法) をもたらしたのです。

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エクイティロー (衡平法)とコモンロー (慣習法)との違いは、コモンローでは、誰かを傷つけたり他人の財産に損害を与えたり奪ったりした場合、立ち上がって訴えることができ、あなたが訴えられる場合は、相手が立ち上がり「私は損害を被りました」ということができなければなりません…それが、コモンローの下で訴訟を起こす唯一の方法です。コモンローは契約を強制しようとはしません。

エクイティロー (衡平法)は違います。エクイティローは、刑事罰を与えることによって、契約の履行を強制しようとします。わたしたちは、ローマ民法のように、法廷で裁かれるエクイティローを用いるようになったのです。ローマ民法には、多くの “ローマ市法”とも呼ばれるものがあり、契約の履行強制に関するものが多くありました。

とにかく…1871年に、この国はエクイティロー (衡平法)に切り替えたということです。


エクイティローはコモンローに取って代わるものではないし、エクイティローはコモンローに基づくものなので、コモンローに戻ればいいだけなのに、ほとんどの人はその違いを知りません。エクイティローがそれほど大きな騒動になったということはなかったのですが、 それは、1860年代後半から1880年代にかけて一時的に盛り上がり、その後1880年代頃からは、文化に定着してしまっていたようです。

そして1900年代に入ると、激動の時代がやってきました。セオドア・ルーズベルトが、立憲共和国において、多くの銀行家の違法な事業を壊滅させたのです…..わたしが “アメリカ合衆国”と言った場合は、法人化された…つまり、“アメリカ株式会社”を指していることに注意してください。ここでは、“アメリカ共和国” vs “アメリカ株式会社”の話をしています。

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とにかく…1900年代から1938年までの38年間は、莫大な量の混乱がありましたが、そのすべては銀行家たちによって生み出されたものです。そうなった理由は、ある特定の状況が発生していたからです。それは、当初は7年間の融資を受けていたのが、国家になるとその借り換え期間は70年間となり、70年間の融資が受けられるようになったというものです。

そして、1790年から70年後の期限の年は、偶然にも1861年で、その時、エイブラハム・リンカーンと銀行家との間で戦争が勃発しました。銀行家がリンカーンに、国を分割して土地の所有権を彼らに返すよう要求したのに対し、リンカーンが「クソ食らえ!」と言ったのが発端です。

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そこで、銀行家は南部を占領し、あらゆる種類の資金を投入して奴隷産業を興し、その結果、奴隷産業が爆発的に拡大しました。1853年から1858年までの5年間に、それまでの15年間よりも多くの奴隷の取引がおこなわれたのです。


それは、急ピッチで進められました。なぜなら彼らは、当時の状況や、銀行に関する彼らの知識などによって、1861年に何かが起きると予期していたからです。 そしてリンカーンが彼らをやっつけ、土地の所有権共々、国をまるごと維持しました。その後1871年まで、土地の所有権は彼らに渡りませんでした (リンカーンは1865年に暗殺された)。

1871年、新しい合衆国を作ることが正式に決まり、連邦政府の建物や記念碑など、連邦政府が名目上所有しているすべてのものに土地の所有権を与えることになりました。そして、そこから賃料を徴収できるようにしたのです。


1900年代から1938年にかけてのこの時期、彼らは1850年代に作ろうとしたのと同じような、混沌とした状況を作り出しました。そして、それが功を奏し、世界大戦を引き起こすことができたのです…この時期、1938年に、また借り換えが起こるはずでしたから。

アメリカが、1930年の第二次世界大戦の終わりや1947年には、金や現金準備高やその他もろもろを大量に保有していたことを考えると、実に馬鹿げた話なのですが、当時は戦争中だったということもあって…..1938年、我が国は正式に破産しました。“正式に”…これはつまり、銀行家がやってきて「あなたがたは破産しているので、国ごと差し押さえます。アラスカやハワイを含むアメリカ全土を、ワシントンDCの土地の所有権に追加します」と、正式に言ったということです。 彼らはこの1930年代に、借金の精算をしようとしていました。

そしてわたしたちは、コモンロー (慣習法)、憲法、さらには、権利章典の所有権までも奪われました。

つまりこの時点で、銀行家がすべての土地を所有し、全アメリカ国民が農奴になったということです。


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