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Amazon棺桶に思うこと、あとお葬式の話

先日、こんなツイートがママイさんのTLに回ってきた。

棺桶って意外と安い。家族葬や無宗教のご葬儀をはじめ、死後の形は多様化しても良いと思うのだが、個人的に餅は餅屋だと思っているので、購入することはないかなぁ…と思う。葬儀会社の方に諸々お任せしたい。セルフ?葬儀、めちゃくちゃ大変。棺桶で思い出すのは、PSWとして勤務していた時の話と、私の亡き母方祖父母の葬儀の話だ。ツイートもしたのだが、備忘録としてまとめておきたい。


①PSWの頃の話

精神科病院は、意外に死亡退院が多いことをご存じだろうか。

長期入院の方が一生を終えるだけではない。認知症のお年寄りが病院で看取られるケースが結構多いのだ。私が勤務していた病院も認知症の入院患者さんが多く、施設に行くにもなかなか難しいし、ご家族の労力も結構大変なのでもうそのままお看取りで…という方もおられた。葬儀会社もどこを当たればよいか分からないというご家族のために病院がよく使っている葬儀会社があり、話が出れば紹介していたのだが、この日のご家族は少し違っていた。


「すみません、この会社さんは棺(ひつぎ)をご用意してくださるのでしょうか?」


なんでも亡くなられた方もご遺族も敬虔なクリスチャンで、葬儀を行う教会にも話は通っているのだが、目星をつけていたクリスチャン御用達の葬儀会社さんが連休明けだか何かでパンクしているのだという。そのため病院で知っている会社はないかと相談され提案したら上記の質問だ。クリスチャンと仏教徒では眠る棺の種類が異なるため、日本で一般的に使われる棺桶は使いたくないのだという。ディティール…!

結果、その会社は棺に対応しておらず、ご遺族は頑張って希望する棺に対応してくれる会社を探していた。どうにか会社が見つかってお見送りをすることができた時はクリスチャンって大変だなぁと遠い目をしながら見送った覚えがある。あとはクリスチャンの場合、死は天へ召されることなので寂しくても悪いことではないのですよとご遺族に教えてもらった。へえそうなのか、だから穏やかに対面ができるように見えるのかと思っていたのだが、「わぁ~素敵なお顔!」とご遺体のお顔の写真をバシャバシャ撮り始めたのには面食らった。背景が病院の霊安室なんですけどそれはいいんですか。

こんなことがあったので、個人的にAmazonさんにはクリスチャンに対応できる棺もご用意していただきたい。助かる人はきっと出てくるはずだ。


➁亡き祖父の話

母方の祖父が亡くなったのは私が幼稚園の頃なのであまり多くを覚えていない。今から書くのは主に父親のぼやきからの抜粋である。

祖父が亡くなったのは、20数年前の真夏だった。

私の実家周辺では当時「葬儀は自宅で執り行う」「土葬にする」という習慣が色濃く残っており、祖父が亡くなるや否や、実家は葬儀場と化した。葬儀会社にセットを借り、親族を中心に実家の仏間に祭壇を組み立てるのだ。慣れない素人作業なのでほぼ徹夜での作業となり、帰宅した祖父は真夏なのでドライアイス必須、うちは親戚が非常に多いのでとにかくいろんな人が出たり入ったり…ととにかく悲しいとか別れとかそういった感情に浸る時間はなかったと言う。さらに大掛かりなのが葬儀の際の一連の流れで、

自宅でお経をあげてもらう→行列を組んでお寺に行く→お寺でお経をもう一度上げてもらう→行列を組んで墓地に行く→墓地で最期にお経をあげてもらう→埋葬

というのを行わなければならない。大人の近しい遺族は白い裃に藁草履で(ごんぎつねにもそんなシーンがあったがそういうのを想像してほしい)、墓地から帰る時は裸足で帰らなければならず、真夏のアスファルトで親戚のおじいさんは足の裏を火傷した…と亡き祖母は繰り返し話していた。過酷すぎる。ちなみに土葬する際の穴も親戚+αで掘る。そして葬儀が終わったら中院といってさらにお経をあげてもらう。翌日はおせんたくといって、故人が納棺されるまで眠っていた布団を洗って干し、香典の計算などをする作業がある。あとは四十九日の忌明けまで毎週〇七日を行い、忌明けまではろうそくの火を絶やさず、できるだけ外出も控えるように…というのが一連の流れだ。当時幼稚園児だった私は夏休みの前半はおじいちゃんの闘病~終末期まっさかりで親戚の家をたらい回しにされ、後半は遊びに行きたくても忌明けになっていないからお外に出てはいけません、お友達も呼んではいけませんと祖母にきつく言われ半ば自宅に軟禁状態だったことを覚えている。ほぼハンドメイド葬儀、ものすごく大変。


➁亡き祖母の話

祖父から時は流れ20数年、3年前の初夏に祖母は亡くなった。

さすがに限界集落の実家周辺でも自宅で葬儀を行うことはなくなり、ホールを使えるようになった。じゃあ変な話Amazonで棺を買えばよいのではと思うがそういうわけにもいかない。相変わらずの細かい風習は色濃く残っているのだ。簡単に家族葬にできない空気がそこにはあった。

祖母は事故死だったので、病院からまっすぐ帰宅することができなかった。司法解剖の必要があると死後病院から警察に引き取られ、大学病院で解剖を済ませた後の帰宅である。そのため、遺体に触るのに少しコツがいる(察してください)のだ。えいやと祖母を起こして服を着せるわけにもいかず、葬儀会社の人がてきぱきといろんなものが目立たないように服を着せてくれた。

そして、ホールで式をあげられる=実家に人は来なくて大丈夫、ではないのが田舎の悲しい性だ。なんやかんやで大勢の親戚だの、近所の人だのが顔を見にやって来るし、親戚達にはご飯を振る舞わなければならないので親戚の女性陣が家の調味料を勝手に物色し、台所を占領し、「家のと使ってるしょうゆが違うわあ!ちょっと農協のしょうゆないの!?」と大声で連呼されてみてほしい。軽く殺意が湧く。

しかしホールで通夜と葬儀が営まれるのはとても良かった。夜は家族だけでとりあえず一息つけるし、祭壇を建てる必要もない。ホールにはシャトルバスで親戚やら近所の人がわんさかやってきて、これを実家でとなると収容できないのでは…というレベルの人が参列に来てくださったが、誘導もしなくていい。火葬なので大きい穴を掘る必要もないし、裸足で墓地から家まで帰らなくても良いというのも精神的にも肉体的にも安心だ。忌明けまでの流れは多少簡略化されているが祖父と同じなので省略するが、この通夜〜忌明けまでの一連の流れをやる地域というのは稀なのだという。葬儀の後そのままホールで初七日まで済ませ、その後は忌明けまで何もしない家も多いのだそうで、葬儀会社の人には本当にこの地域は丁寧というか細かいですね…としみじみ言われたと母がぼやいていた。プロがしみじみするレベルってどんなんだ。


田舎の葬式ってめんどくさいよね、というのも確かだし、Amazon棺桶でいいじゃん!というのもそれはそれでと思うのだが、個人的には「近しい遺族が納得できる形」がベストだなあと思う。変な話、故人はもうモノを言わない。祖母も生前お葬式は簡単にしてと言っていたが、実際のところあれは簡単な規模のものではなかったと思う。50人あまりの人が参列していたように記憶していたし、祭壇の規模も金額もとんでもなかった。母が半ばやけを起こして奮発していたのだが、参列者にも好評だったし、孫の私から見てもああこれは綺麗だなあと思ったし、1人娘である母もこれだけは思い通りにできたと満足してバシャバシャ祭壇の写真を撮っていた。どこかひとつでも遺族が納得できれば、それでなんとかなるんじゃないのかな、と思う。思いたい。私個人としては亡くなったら病院か警察からもう直葬にしてほしい。骨は燃えるゴミでいい。そんなもんなのだ。


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