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『あしひきの山』いつの間にか小説を書いていたよ?

マンガ『ちはやふる』が好きなお友達と、Twitterで二次創作ゴッコをしていたら、いつの間にか小説を書いていた。pixivに上げてあるので、よかったら読んでね。

あしひきのやま | 麻々帆 #pixiv https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11820909

で、以下、小説になったいきさつや詳しい小ネタなど。

きっかけは、マンガのキャラクターを和歌の歌人に当てはめて、和歌の解説をしたら親しみが持ててわかりやすいんじゃないか?という思いつき。

大津皇子=綿谷新
草壁皇子=真島太一
石川郎女=綾瀬千早

というキャスティングが、自分で思い付いてピッタリ、という感覚をどうにか伝えたくて書いたった。特に、真島太一が悲劇の皇子で鬱々としてたら似合いそう、と思った

私は平安中期あたりが好きなんだけど、なぜ飛鳥時代にしたかというと、この時代、皇族同士の争いで命が奪われることが多くて、結構悲劇性が高い!

平安中期になると、怨霊信仰が蔓延してくるので、命まではとられない。身分制度や帝位の継承システムも確率してて、大規模な革命も起こらない。

だけど、大化の改新、壬申の乱とか、この頃は帝が崩御されるたび、争って大変なことになってて、物語としてはダイナミック!皇族を中心とした皇親政治をやりたかったんだけど、有能で血筋の良い皇子ほど殺されちゃったりして、うまくいかないものだよね。

それから、持統天皇について。なぜに女帝となったか?
井沢元彦の本を読んだ折り、『天武天皇が天智天皇の兄弟っていうのは嘘っぱちで、ただの簒奪だったので、天智天皇の娘だった持統天皇は自分の血筋で天皇家を継承するのにこだわった』という説があって、それはそれで面白かったんだけど。

でも大津皇子も天智天皇の血筋だし、天智天皇の皇子たち(河島皇子、志貴皇子)もいたんだよね。
だから持統天皇はよっぽど自分の息子(草壁皇子)、孫(後の文武天皇)を天皇したくて頑張ったわけだよね?執念を感じる…怖い…

で、時代が経るにつれ、天皇はお飾り、傀儡のほうが都合が良いって扱いになってくわけで。平安時代は天皇だからといって自分のやりたいようにやれなくて、藤原摂関家の意向で年が若いのに退位させられたり、愛妃がいるのに藤原家の娘を入内させなきゃならなかったり、そんなドラマも切なくて面白い。機会があれば、その辺りの話もしたいね。

さて、藤原定家が選んだ百人一首、歌番号一番は天智天皇で、二番は持統天皇である。

偉大な業績を残した二人の天皇の、晴れやかで伸びやかな歌で始まり、最後の九十九番が後鳥羽院、百番が順徳院という、承久の乱の敗者二人の恨みがましい歌で終わる…

選んだ定家の意図、配置の妙を思うと、それもまたドラマチックだ。

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