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平たんな道など、ない。

夫不在の中南米の地エルサルバドルで、私と子どもの3人暮らしが始まった。
一人で幼い子ども二人をみるのは体力もいるし、大変は大変だったものの、夫の友達やお姉さんに助けられながら、大きなトラブルなどもなく日々が過ぎていった。
12月だったが常夏のエルサルバドルは気候がよく半袖短パンでも汗ばむ陽気が続いていた。それが心地よかったし、おかげで毎日のように子供たちを家の外に連れ出すことができた。これが暗く寒い環境だったら、きっと気分も鬱々としていただろう。

何が一番大変だったかと聞かれたならば、即座にこう答えるだろう。

家からの移動手段。

エルサルバドル国民の運転は荒いしうるさい。
車間距離という単語を知らないんじゃないかというほどに車同士が近いし、割り込みなんて当たり前。渋滞がひどいときはバイクが歩道側に乗り上げて運転していたり、2車線のはずの道路になぜか3つの列が存在するのを見かけた時もある。

うるさいというのは、ドライバーが罵声を浴びせるとかそういうことではなく、とにかくみんな挨拶程度にクラクションをよく鳴らす。これはおもしろいことに、ほぼ会話レベルのコミュニケーションとして成り立っていると私は思っている。

行く手を遮る邪魔な車に「パッパー!」なんてのは当たり前で、渋滞時に道を譲る際(というか正しくは、譲る気は特になく先に行きたくてもぐいぐい割って入ってくるので、譲らざるを得ない)隣車線から来ている車が、わずかな間を縫って「プップー!」。しかしここで勘違いしていけないのは、それがいつだって「どけどけー!」の意味ではないということだ。何か特別なサインだとか違いがあるわけではないのだが、生活していくうちにその「プップー!」が「そこどけー!」なのか「そこ入れてー!」なのかがなんとなくわかるようになってくるのだ。

そして譲る側(遮られる側)も「ププッ!」(どうぞ!)と応答。人によっては「パッパー」(ありがと!)と感謝のクラクションと共に去っていく。
道路上で繰り広げられるドライバー同士のなんとも賑やかなコミュニケーションは興味深く私にとっては新鮮な光景だった。
と同時にここでは絶対に運転はしないと決意した。


標識なんて、というか交通法なんてあってないようなもの。まず、公共の交通機関である「バス」に私は危機を感じた。夫が運転する車に乗っていると、真横を信じられない速さで人々を乗せたバスが走り去っていく。その光景は、日本人である私の日常からは大きくかけ離れたものであり、それを見たときは呆気にとられた。

そしてまたマナーが悪い。(まあそもそも運転におけるマナー定義などされていないのだろうけど)ものすごいスピードでもって急発進急停車、道を空けて当然と言わんがごとく我が物顔で走るのだ。乗り心地は度外視して、彼らは救急車のドライバーに案外向いているのかもしれない。

よく見てみたらどのバスもドアが開け放たれたまま走行している。紐で縛ってわざと閉まらないようにしているのだ。最初は意味が分からなかったし、とにかく危険だと夫に意見していたが、彼らのやり方をみているとそんなことはどうでもいいのだと理解した。

まずバスがバス停で停まるというのが私の中の常識であったが、ここでは必ずしもそうではないらしい。
バス停ではない場所でも、信号などで運よく止まって乗車できればそれはそれで問題ないのだ。降りる際も然り。明らかにバス停ではない道路の真ん中で停車すると同時にスッと降りていく人もいる。というわけでドアはそういう人たちのために常時解放されている。
そんな交通事情を目の当たりにしながら、ここでは絶対にバスに乗らないと決意した。

こんな具合だから、子供を連れて近くのストアなどへ行く時は、自分がボディーガードにでもなったような気分だった。当時息子は1歳10か月くらいだったが、とにかくよく歩いてくれた。それは2歳になった今でも変わらず更なる長距離歩行記録を更新しており感心するばかりだ。
子ども一人であればそこまでなくとも、10か月の娘もいる。当然置いてくわけにいかないので娘をベビーカーに入れ、息子を歩かせるのだが私の甘い考えが判断ミスを招く。

場所によっては路面が十分に整備されておらず、道がデコボコしていていたり、路駐おかまいなしの車たちに歩道を遮られ車道側にはみ出して歩かなればならないこともしばしば。すぐにベビーカーで来たことを後悔した。
それに加え横断歩道が見当たらない。目指すストアに行くには十字路を渡らなければいけないのだが、信号はあるものの歩行者用の信号はなく渡るタイミングが掴めない。
これまで夫が車を運転してくれていたので、細かなところまで注意を払って見ていなかったが、歩くとなるとまったく別の話だ。

しかもこれまた2歳に満たない子どもがそんなにじっと待てるはずもなく、こっちの緊張とは裏腹にあたりをちょろちょろと動き回って落ち着かないでいる。
子どもが近くにいることを終始気にしながらビュンビュン車が行き交う道路を見つめ、この次かこの次かとベビーカーを脇にタイミングを待ちつつ、渡る先の歩道に繋がる極力平たんな場所を探す。数分待ちようやく、今だ!と息子の手を掴みぐいぐいと歩いて渡ることができた。

目的地としていたストアの数件横にカフェを発見。疲れたことだし家でアイスラテでもと思いを注文するも、アイスはなくてホットならあるよと。
なんでこんなに暑いのにアイスないの。。。たかがラテだがその時の疲労度から大いに落胆した。
とにかくしょうがないのでホットラテとチーズケーキを買ってベビーカーのカゴに入れて家路へ踵を返す。
もちろん帰りもあの道路を渡らなければならないのでまだ気は抜けず、息子と一緒に汗だくになりながら歩いた。

とにかくめちゃめちゃ疲れた。ストアまでは徒歩15分ほど。しかし子どもと一緒だと倍ほどの時間を要するし、心身ともにどっと疲れを感じた。
こんなに終始気が抜けず神経を尖らせながら歩いたことって今まであっただろうか。野生の動物って毎日こんな感じなのかな・・・なんてことを思いながら家についてようやくコーヒータイムを楽しもうと取り出そうとしたら、カップにフルであるはずのラテがほぼ残っておらずカゴが濡れている。チーズケーキにも浸ってしまってびしょびしょ・・・・。

エルサルバドルでの屋外ベビーカーの使用は極力避けること。
新たな教訓として刻まれた。
色々書き連ねたが、この道のりがいかに平たんでないかはぶちまけられたコーヒーが全てを物語っている。


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