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【2024.8フランス旅行記⑤】11年前の回想といま

iPhoneを開けたら「2013年の今日」というムービーが表示された。11年前の今日、わたしたち家族はモン・サン・ミシェルからパリに戻り、ルーブル美術館を見学して、治安がめちゃくちゃ悪くて非常にデンジャラスだと何を見ても書いてあった在来線に恐る恐る乗ってシャルル・ド・ゴール空港に辿り着き、帰国した。らしい。当時上の子は年長、下の子はまだ生まれてなかった。

11年前の昨日の夫と長女

このときなぜフランスに行ったかというと、来年子どもが小学校に上がったら旅行は夏休み期間に行くしかなくなるのだろう、それって高いのではないか、夏休み期間を外して安く海外に行けるのは今しかないのでは、であればいっておくか、よくわからんがヨーロッパ憧れるしフランスとかいっとこ!!というはこびとなったからです。フランスで見たいものや行きたいとこなどなにもなかったけど、そのことを考えもしなかった。その時はHISでパリ郊外のホテル(選べない)と飛行機のセットを注文し、たしか3泊5日の旅だった。さらに、海外旅行を頻繁にしている知り合いにフランスのおすすめおしえてくれと言い、モン・サン・ミシェルがよかったというのでそれがどこのなんなのか全く知らんがそこに行くことにした。調べると中にホテルがあるというので、そこを予約し、HISが予約したホテルを勝手に1日早くチェックアウトして泊まることにした。パリの駅の窓口に並んでTGVのチケットをレンヌまで買い、レンヌでモン・サン・ミシェルまでのバスの往復チケットを買い、バスを待つ時間に言葉のまっったく通じない店でムール貝の酒蒸しらしきものとかクレームブリュレを食べ、オランジーナを飲み、バスに揺られてモン・サン・ミシェルに行った。一泊してまたバスに揺られ、レンヌ駅で並んでTGVのチケットを発車時刻ギリッギリに買い、なんとかパリに戻ってルーブル美術館に行った。ルーブル美術館は初日に行ったのだけど、休館日だったからは入れなかったのでリベンジしたのです。さらに言うと、2日目に行ったヴェルサイユ宮殿は、着いたらもう閉まっていた……
このときのわたしの英語力といえば、be動詞がisとかamとかareのことだと理解してないレベルです。出川哲郎のような突破力!パッションがあればパリから自力でモン・サン・ミシェルへ行けるのだ。

とにかく我々は、このくらいノープランであった…!
いま、こんなことこわくてできない。たぶんこわいからプランニングして、せっせと予約を進めているわけです。あの時、パリの街やモン・サン・ミシェルをみて、「わー、なんかすごーい」と思っただけであった。その後フランス革命やらなんやらを知るたびに、あのとき何も知らずに行ってもったいなかったな〜と何度も思った。だから今回は色々知ってから行き、「これがかの有名な!」とか「ここであのときあんなことが!」とか思いたいんである。というか、これもこわいのかもしれない。知っていれば感じられるはずの感動を感じられないことが。無知なために逃してきたあれこれがあるらしいことを知ったから、これ以上得られるものを素通りするのはいやなのだ。たぶん。あのとき、フランスに行く前にフランスのこと勉強しようなどと一ミリも思わなかった。というか、思いつかなかった。やはりわたしは、よもや自分が無知であるとはある時点まで知らなかったに違いない。

この10年の変化って、なんだったんだろう。無知の知によって、わたしは怖がりになってしまったんだろうか。たぶん、ずっと怖がりだったのだけど、それを自覚して対処することを知ったのだろうな。この10年で多少はうまく生きられるようになったのかもしれない。財布や鍵も前ほどなくさなくなったし、携帯もこわさなくなった。仕事でもなぜだかたまに評価されるようになった。大量に服を買わなくなったし、本以外のものはあまり欲しくなくなった。それは、こわいへの対処によるもののような気がする。

こわいはわたしを世界に多少適応させたが、やはりいつもこわいを自覚しているのはつらい。しかしこわいによって得てきたものが、回避してきたものがあるのだろうとも思う。わたしは今のバージョンで、今回のフランスを楽しむ。しかない。さて!

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