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ちょうどいいおかーさん(受験編)

周りを見ると受験てものは、だいたいのひとが経験している。
欲望をコントロールし、目標にむかって努力する。実力を測り、戦略を立てる。目標に対して何が足りなくて何が足りてるかを知り、自分のまなびをカスタマイズする。そんでなんとか、合格を手にする。受験てのは人生に必要な一連の試練を親のサポートのもと一旦経験する貴重な機会だよなあといま感じる。
しかしわたしは、受験せずに生きてきてしまった。高校受験は私立の推薦で、オール3必要なところ足りないのになんとか入れてもらった。そのまま短大に上がる時も成績足りないのに頑張りますと言って入れてもらった。be動詞がisとかamとかareのこと指すんだって最近知った。日本地図で東京がどこなのか曖昧にしかわからん。西がどっちかわからん。そのレベルの人が努力から逃げ続けて、ここまでくることができるって怖い!わたしはいま奇跡的に、ある程度努力をしなければフツーは就けない職につき、フツーの人間として扱ってもらってるが、なんの努力もせずに生きてきたことは今になって負い目に感じている。若い頃の苦労は買ってでもするべしむてのはアラフォーにならんとわからん。
夫と子どもに、そんなことも知らない大人がいるのか、義務教育を受けていないのか、というのは日常的に聞かれています。結論としては知らなくても大人になれます。

そんで迎えた子どもの受験。きちんと正面から受験に挑もうとしていることからまず立派だなあと思う。努力したいと思う姿勢に痺れるなとおもう。おかーさんは、そのつらさを想像することしかできない。ひとびとが、どうやって乗り切っているのかを知らない。子どもがやってる問題、全然解けない。勉強に関しては、アドバイスできることはないけど、でも、子どもの役に立ちたい。
経験談を語れない、勉強ができないおかーさんにできること。

それは、伴走することなんではないか。
計画は立ててあげられないけど、必要ならば一緒に立てたい。自分で立てた計画どおりに走ってるか、計画より速いか遅いかペースメーカーとして声かけしたい。やらないで寝ようとしてるとき、やらないで遊んでいるとき、やらなきゃいけないことがあると知らせたい。これとこれをやりなさい、とは言えないが、あなたがやると決めたことはやりなさいとスヌーズのように何度も必要なだけ鳴りたい。全体を見て、感じる傾向があれば伝えたい。克服しなければならないことがあるなら、どんな方法があるか調べて選択肢を広げたい。いま手ごたえがなくても、この努力を未来の自分が感謝する日が来ると励ましたい。親として理解したあなたの傾向をこの機会に役立ててもらいたい。
もちろん。きみが望めばの話。

しかし、子どもにとってはうっとうしいらしい。知らないくせに、偉そうに指摘してこないでほしいらしい。自由にやるから、必要なとき、ちょうどいいサポートをしてほしいらしい。必要なことは短いセンテンスにまとめてだらだらと話さないでほしいらしい。
わかる。わかります。わかるけど、ちょうどいいサポートてのはおかーさんにはむり。自由にやった結果、思ったようにいかなくて、あとわずかな時間で完成させたくても、助けてあげらんない。転んでもすぐ起き上がって走り始められるようペースメーカーとしてとなりにいるには、コースのどこを走っているのか知っておくためには、普段から現状を知っておかないと。

この信条をうっとうしがられてもうっとうしがられてもひたすらに貫いていくべきなのか、嫌だっつってんだから離れた方が結果的にパフォーマンス発揮できるのか、見極められないのよ。これが悩み。悩みなんです!!
でもお年頃的にはまだ子どもで、自分をコントロールするのは難しいから保護者は関与してくれよってのが塾とか学校のメッセージだと受け取っている。
それとは別に、いつもうっとーしがられるのはそれなりに傷つく。つらい。これも悩み。

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