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蒲焼さん太郎はどこまでも

夫が蒲焼さん太郎30枚入りを買ってきた。
蒲焼さん太郎は凡人には理解できない位置に敬称があるが、凡人でも楽しめる非常に親しみのあるお菓子である。
サクッと軽く噛み切れるバージョンと、ねちっと噛みちぎるバージョンがあり、好みは人によるでしょうがわたしはサクッとバージョンがくると幸福を感じることができる。
一枚食べると、当然おいしい。
二枚目も、もちろんおいしい。
三枚目も、変わらずおいしい。
そんなかんじでどんどん食べることができる。お腹を満たすこともなく、甘ったるいこともなく、飽きることもなく、ただ機械のように赤いパッケージを破り、口に運び、サクサクと噛み砕いて飲み込み、おいしさを認知して、咀嚼しながらまた意識することなくパッケージを破いている。
そう、そこにあるのに食べ続けない理由がまったく見当たらないお菓子、それが蒲焼さん太郎さん。恐ろしいお菓子である。
30枚食べ尽くしても、なんの罪悪感も抱かせず、腹も満たさない。そしてまた気軽にカゴに入れてしまう。わたしはいったい、人生でどのくらい蒲焼さん太郎さんに貢いできたと言うのだろう。まるで手動のサブスクリプションのようだ。食べたくなるものではなく、食べない理由のないもの。ここに到達した菓子をわたしは他に知らない。

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