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モモから学ぶ「寄り添い方」

川谷医院の医師と心理士とで、リレーエッセイを始めました。

岩永先生のエッセイに、子どもは「鬼は外、福は内」から心の成長と共に、「鬼は内、福は内」と言えるようになる、という話が書かれていました。


このエッセイを読んで連想したことは、最近はSNSでつぶやいたことが大勢の人に発信されてしまうため、「鬼は外」と思いがけないほど大量の豆をぶつけてしまうことも、ぶつけられてしまうことも多いということです。

以前はお茶の間でニュースを見ながら「ひどい話だね」と家族で話して終わっていたことが、SNSでつぶやくと、数百人、数千人、時には数万人に拡散されます。

対面で話をする場合は、相手の状況をある程度把握してお互いの流れの中で発言を共有します。それでも、相手の心境を完全に把握することはできませんし感じ方も異なるため、傷つけるつもりがなかったとしても、些細な一言から思わぬトラブルが起こることは少なくありません。SNSだと、それを見る人の状況が異なるために、より一層、あらゆる受け止め方をされ、言葉が独り歩きしやすくなります。「鬼は内」のつもりで投げた豆が「鬼は外」になってしまうこともあります。


ここ数年、子ども同士のLINEによるトラブルをよく耳にします。話の流れで思わずコメントしてしまった一言は、相手の顔が見えないが故に発してしまう場合もあり、衝動制御が大人ほど成熟していない子どものうちは、こうした失敗は起こりやすいものです。ですが、その一言はその瞬間会話に入っていなかった人にも届き、対象としていない人をも傷つけてしまうことがあります。対面でのコミュニケーションであれば、その子をよくわかってくれて「言いすぎてしまうこともあるけど、悪い奴じゃない」と思っている友人が「それは言いすぎ」とたしなめてくれることで謝って終われていたやりとりが、複数名でのグループLINEやSNSとなると、「いつもひどいことばかり言う嫌な人」と誰かにレッテルを貼られてしまうことにもなり得ます。対面であれば、その場の空気で控えることも、相手が見えないSNSだと、炎上しやすくなります。

子どものうちは、沢山の失敗をして、失敗から学ぶことが大切なのですが、失敗の一つ一つが大きくなりやすいということが、SNSの特徴かもしれません。



現代の子どもたちは、ネットとうまく付き合うことを避けては通れません。ネットリテラシーを学ぶことはもちろんですが、コミュニケーションについて子どもたちがじっくりと考える機会を作る必要があります。すなわち、「一緒にいること」「話を聞くこと、聞いてもらうこと」「相手のことを考えること」「伝え方」といったコミュニケーションの一つ一つです。

昭和世代の私たちは、親や教師の言うことが絶対で、「こうしてはならない」ということに納得がいかなくても従いながら、大人になるうちに、少しずつその意味がわかるようになったり、やっぱり納得がいかないからあれは間違っていたなと考えたりしながら、時間をかけて学んでいきました。時間をかけるゆとりがあったのです。
ところが今は、社会の変化が急速ですし、一つ一つの失敗が大炎上につながりやすい時代です。子どもの成長に任せたい一方で、自然な流れに任せていては手遅れになってしまうこともあり得ます。

そこで必要なのが、哲学対話です。子どもたちが物事の本質についてじっくりと考える中で、社会の規則や規範と向き合い、他者との対話を通して理性の力を育てていく必要があります。理性が育っていない段階だと、快不快で物事を判断しがちですが、それではその子が自分を発揮する状況から自分を遠ざけてしまうことにもなり得ます。ただ、親が「あなたにはこの道がいいのよ」と押し付けると、スピノザで言うところの受動の立場にその子を置いてしまうことになります。能動的な行動は常に自分の本質に合った自分発信で、なおかつ自然と調和がとれたものです。その行動が能動的か、自己中心的なものなのかと見極める理性の力を育てるには、その子が考える機会を作ることが必須です。



あるお子さんが診察の際に「世の中の人が、全員モモみたいに話を聞いてくれたらいいのに」と呟きました。モモとはミヒャエル・エンデさんの小説。時間泥棒に時間を奪われた大人たちがモノとお金に夢中になり、人と人との関りを大切にしなくなった結果、社会は殺伐とし、絶えず誰かが争いを繰り広げる灰色の悲しみに満ちたものになってしまう。それを救うのが、主人公であるモモという少女です。モモは特別な力を持っているわけではない。むしろ何も持っていない児童養護施設から逃げてきた身寄りのない子です。ですが、モモは誰かにそっと寄り添い、本質をじっと見つめながら、静かに待つことができます。モモのスタンスは、今の社会に欠けている大切なことを教えてくれていると思います。私たち大人一人一人が、モモのようにじっくりと子どもと向き合い、その子の成長をじっと待つようになると、子どもは考える力を育てることを保証され、理性の力を育て、物事の本質を見極められるようになるはずです。


子どものこころを育てる環境について、社会全体で見直したいものです。

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