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「水与水神」|第二節 農耕与乞雨

第二節「農耕と雨乞い」

<抄訳>
石と農業儀式の結びつきは、農耕の歴史の早い時期からみられる。中国農業の起源は黄土地区で、新石器仰韶文化にさかのぼる。当時は小米(きび)作が主で、仰韶文化の遺跡には石製の農具が多数出土している。

石の農耕儀礼は、古代の人々が石に呪術信仰を寄せたことによる。彼らは、石に霊気があるとみなし、農作物の収穫等に用いた。ペルーのインディアンは、トウモロコシを植えるときにトウモロコシの穂先を模した石の道具を使った。彼らは、特別な形の石具には、豊穣をもたらす神秘的な力があると信じていた。家畜を殖やすためには、羊の石を持ち、羊型の石で、羊群を増やし、疫病を避けようとした。ヨーロッパ西部の農民は、石斧が天上からおりてきた神雷と信じ、雷が、人々にやすらぎをもたらすと考えていた。メラネシア島にはパンの形の珊瑚石があり、人々はそれを自分のパンノキ(Artocarpus altilis)の下に放り、それで美味しい果実がなるものと考えた。大きな石の下に小さな石が集まっているのを見つけたら、自分の好きなものを大きな石に捧げる。彼らは、自分の家の母豚に健康な子豚がたくさん生まれると信じる。また古代ギリシア人は、肩に羊角の形の石を乗せ、それを農作物の収穫に用いた。

雨は、農耕生活の民族観念の中で神聖なもので、雨は農業に直接影響する。雨は多くの民族にとって、水を神格化し、雨神を形成する。農耕地帯だけではなく、狩猟生活の地域にも雨の信仰は合って、儀礼と神話もある。ヨーロッパの原住民にも、雨を、自分の種族のトーテムとするものがあった。

石の農業信仰の中でよく見られるのは、雨乞い儀礼である。一般に、古代の雨乞い儀礼には次の3タイプがあるとされる。①山を焼く、②竜や蛇などの水神をまつる、③神聖な地で祈る。石は多くの民族の中で雨神として信仰され、雨乞い儀式の中では③で、使用される。

サモア島の人々の間では、石が雨神の象徴で、いつもは神殿にある。日照りが続くと、仔細が石を川辺の水のある地域に持って行き、石を水に浸し、これによって、雨神が人間が雨水を必要としていると知ることになり、雨を降らせてくれる。ヨーロッパ北部のトーテム族には雨乞い儀式を精緻で行い、小石で小山をつくり、いただきに、雨神を象徴する石を乗せ、長時間にわたり石に雨を乞う歌を捧げる。最後は石を水に浸し、洗った石を燃え盛る火にくべる。ジャワでの雨乞は、雨神の石に油を塗る。日本の長野県、石川県、愛知県各地にも「雨乞岩」の民間信仰がある。人々は日照りの際に、岩に祈った。それは、明治頃まで続いたとされる。

中国古代の雨をつかさどる専門官は、干ばつ時に雨乞いをして、雨を得られなければ殺された。古代の雨乞いの儀式は多く、農民には、琴を鳴らし太古を叩き、田祖を祀る、司祭が呪文を唱え、歌や踊りで雨に祈る、皇帝が雨神に雨を求める、山を火で焼く、石像を水に漬ける、東方に青龍が出たら雨を乞う等、たくさんの方法がある。石と雨乞いの信仰に関して、<太平広記>によれば、干ばつの時石像を水に放って、雨を得る。<広州記>には、石牛の記載と雨乞いの関係が記され、山東省の南では、日照りが続くと、池のほとりの石牛に、牛の血を塗り雨を乞うていた、とある。血と泥を混ぜ石牛の背に塗ると雨が降り、血が流れ落ちると晴れとなる<広州記>。日本では、福島県伊達郡、佐賀県西松浦郡でも、牛石で雨乞が行われていた。

(「水与水上」P10-13 より)



メモ|面包樹を「パンの木」かな、と思って、調べてみたら本当に「パンノキ」で、結構びっくり。あと、本文で「石牛」と「牛石」を書き分けてあるのは、現地のことばに倣ったものだろうか問題。前者「池辺有一石牛、人祀之…<広州記>」とあり、後者「日本福島県伊達郡有”牛石”伝説…(略)…佐賀県西松浦郡的”牛石”也是乞雨的」と記されていた。

次節は、魚と月のお話。

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