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千字戦(1回戦) お題「方向」


惑星と口笛ブックス 西崎憲氏主催「千字戦」に参加しました。
対戦B 中川マルカ×河野桂士

惑星と口笛@p_a_w_books
本日は夜の8時からいよいよBFC千字戦です。リアルタイムのブンゲイのファイト。トーナメント。出された題で千字までの作品を書き、一対一で勝ち上がっていくというものです。おそらくオンラインでは初の試みです

https://twitter.com/p_a_w_books/status/1740521928287567879

いさかいのあと(615字)

じゃあ珈琲を淹れるから、と席を立ってミチルはそのまま帰ってこなかった。
火にかけた薬缶の水が、湯になって、湯気をあげて、やがて、揮発して、キッチンにはホーローがただ燃えている。

テーブルには、旅先で買った波佐見焼のカップが向い合せに並ぶ。
窯元で器を手にしてから清算を待つあいだもずっと、これでようやく一人前になれた気がする、とミチルは小鼻をふくらませていた。揃いの珈琲カップをもつことなど、一生考えたことがなかった彼女の長い長い髪をとても好いていた。わたくしの伸ばしはじめた縮れ髪と、長いまっすぐの髪とがベットのうえにからがりあうとき、たがいを確かめ合うとき、すべてをうべなわれた心地となりよく眠ることができた。ふれあったあとには、色のついた夢をみた。みないこともあった。みたところでなにひとつおぼえてはいられなかった。ひらいた目にはいちばん愛しい人が映って、朝の光と共に毎朝のわたくしを洗浄した。

燃える薬缶を見ながら、とっておいたチョコレートをひとつ口に放りいれた。

十あって、毎日ひとつずつ食べようと約束をした。
ふたりのためにかけてもらった赤のリボンをちぎるように、ほどいて。チョコレートには、らしからぬ上等な名とそのおしるしがついていた。波をおもわせるもの、鳥を偲ぶもの、石に似せたもの、木々をかたどったもの、風を語るもの、花をとじこめたもの、星よりあかるいもの、本より厚いもの、いましめのことばよりかるいもの、そして。

                                 了


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