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19世紀末から21世紀の日本の「彫刻」の歴史と彫刻研究

言葉は世界を定義する。彫刻の歴史を、「彫刻」という単語の誕生以後から現在まで、ざっくり考えてみました。

150年を1500字で

彫刻の歴史を語る時、「彫刻」という単語が生まれた明治時代を起点とするのが一般的である。それ以前に遡る場合は、仏像美術の歴史を辿ることになる。現代の彫刻家たちが日本の古い仏像を表現の拠り所をしいていることからも、そこには自然なつながりがあると言えよう。例えば、長崎の平和記念像(1955年)などにも、仏像の影響を色濃く見ることができる。

殖産興業と国粋主義

これまでの研究によれば、ヨーロッパやアメリカの「Sculpture」は、当初「~像」として日本に報告され、1874年のウィーン万国博覧会に際しては「像を作ル術」と説明され、やがて「彫刻」という言葉が定着したことが分かっている。1876年に開校した工部美術学校には彫刻学科が設置され、イタリア人彫刻家ヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841-1927年)が指導にあたった。

その後、国粋主義の台頭を受けて工部美術学校は1883年には閉校し、代わって1888年に、アーネスト・フェノロサ(1853-1908年)と岡倉天心(1863-1913年)を中心として東京美術学校(現在の東京藝術大学)が開校する。同校の彫刻学科では銅像の制作や、古代・中世の仏像の模刻が行われた。

アカデミズムの形成

1907年以降は、文部省美術展覧会(文展、のちに帝展)を舞台に、自然主義的な優れた作品が次々と発表され、アカデミズムが形成された。また院展彫刻部や二科会彫塑部(1919年)、国画創作協会彫刻部などの美術団体も、それぞれに発表の場を持ち、審査が行わうなど、作家の地位や権威を強化するフランスのサロンを模したシステムが定着していった。そうした流れのなか、オーギュスト・ロダン(1840-1917年)をはじめ、アントワーヌ・ブールデール(1861-1929年)、アリスティド・マイヨール(1861-1944年)らの表現は、美術雑誌や留学者を通じて日本に紹介され、多くの作家たちに賞賛を持って受け入れられた。全国の美術館のコレクション展示室で、これらの作家たちの作品を見ることが出来るのも、その評価が現在も揺らぐことなく受け継がれている証だろう。

戦前のモダニズム

一方ダダイズム、キュビズム、構成主義、シュルレアリスム、バウハウスなど次々に起こるヨーロッパの美術運動の流れを受けて、「オブジェ」や「構成」に取り組む作家たちが登場するのも、上記の動きと同時代の出来事である。また1923年の関東大震災は、その復興を通じて、建築やデザイン、空間、場への意識をもたらし、共同制作による大規模なモニュメントを試みる「構造社」なども生まれた。

どうしてもネックになる戦前と戦後の部分

1931年の満州事変以降、1945年の終戦までは、1938年の国家総動員法の公布、1940年の紀元二千六百年奉祝美術展の開催と、自由な表現は制限され、材料の入手も困難な時代が続いた。またこの時期、多くの既存の銅像が金属供出のために失われている。

美術団体の希望と抽象彫刻

戦後の混乱期を経て1950年代にかけては、新制作派協会、自由美術協会、行動美術協会など新興の美術団体を舞台に、戦前の幾何学的な形体表現を引き継ぎつつ、そこにヒューマニズムを加味した抽象彫刻が隆盛した。「具象」「抽象」という単語が頻繁に使用されるのもこの時期から1970年代にかけてである。「戦後抽象」という単語が示す範囲はさらに狭いかもしれない。

戦後と近代の終わりの始まり

1960年代以降は、プラスチックやアルミニウムなどの新素材による造形、素材を介さず身体を用いたハプニング、近代化する都市空間を場とする表現など、多種多様な展開が生まれ、「彫刻」に代わって、「立体造形」「環境芸術」「社会彫刻」「公共彫刻」「パブリックアート」「テクノロジーアート」「インスタレーション」など、様々な呼び名が使用された。その背景には、東京オリンピック、高度経済成長、公害、日本万国博覧会、情報化社会、地球時代、バブル崩壊などをキーワードとした急速な社会の変化がある。

どうしても亡霊が見える・・・

さて2024年現在、「彫刻」という単語が指し示すものは飛躍的に拡大し、「彫刻」という単語の誕生から150年が過ぎた。「彫刻」は、その歴史のなかで作られてきた「彫刻」という単語が想起させるイメージを超越するために、その都度、新たな単語を生み出しながら歩んできたとも言える。それゆえに、まさに「「彫刻」」の亡霊(イメージ)を主題に作品を制作する彫刻家もいれば、近年では『わからない彫刻』と題した本が出版されていたりもする。最も実体がある表現であるにも関わらず、捉えどころのない面白さを「彫刻」は持っている。

参考文献
東京国立近代美術館/三重県立美術館/宮城県美術館『日本彫刻の近代』株式会社淡交社 2007年
田中修二『近代日本彫刻史』国書刊行会 2018年 
美術手帖 2005年 07月号 特集 日本近現代美術史 美術出版社

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