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#005 情熱価格という考え方

ウイスキーを愉しむために一番大切なのは経験である。

僕は長らくそう考えて来て、その結論はこれからも変わることはないだろう。もちろん、知識や情報の有用性を否定するものではないが、香りを嗅ぎ口に含み、その魅力を感じることこそウイスキーの愉しみではないだろうか。

その愉しみはあなたの手に持つグラスの中に由来する。それは、自宅で気軽に注いだ一杯かもしれないし、バーテンダーがあなたの目の前に運んだ一杯かもしれないが、いづれにしても「僕らとグラスの中のウイスキー」の関係性の物語なのだ。要するに「今、目の前で起きていること」に関心を寄せるということ。

その物語はあなたがグラスを口元に運んだ時から始まる。
あなたのその初めての時を思い出して欲しい。

僕らにとってウイスキーは刺激的な飲み物だ。他のアルコール類に比べても、とても強い刺激として体内に取り込まれる。経験を積み重ね違いを感じ、僕らはその刺激を愉しめるようになって行く。

最初のうちそのアルコールの高さに戸惑う人は多いけれど、そこから先は、飲み手個人の感想を愉しめば良い。いくつかの違うウイスキーを飲めば、それらに違いがあることをあなたは「感じる」ようになる。

そうやって飲み手は「感じる身体」を手に入れる。

香りと味わいから、例えばグレンフィディックとラフロイグの違いを「感じられる」ようになる。それが僕のいう「感じる身体」ということ。

「感じる身体」を手に入れたと自覚できるようになってもらうこと。そして、その「感じる身体」を駆使して、ウイスキーの世界を軽やかに泳いでもらうお手伝いをすること。それが僕の仕事だと思っている。

少々乱暴な物言いになるが、飲み手の「感度」「感受性」を上げるために必要なのは、結局のところ「経験の数」なのだと言ってしまうことは可能だ。

もちろん、その経験から何を学べるか?ということに個人差はあるが、経験数がゼロであるなら愉しみとして意味をなさない。だけど、適切な経験の積み重ねが、飲み手の感度を上げ理解力を育てることは確かなことだ。

ウイスキーとは「消えてなくなる快楽」である。飲まなければ意味がなく、買うことは体験ではなく、ウイスキーは僕らの身体の中で「消えながら」確実にその爪痕を残していく。

ウイスキーの思い出とはそういうものである。

ウイスキーは他にも様々な意味で消えて行く。例えば、熟成庫の中での天使の分け前として、あるいは、ボトルの中でも揮発してしまうように。あるいは、僕らの胃袋の中に。

そして、100年前に蒸留されたウイスキーのほとんどは現存することがないように。

すべてのウイスキーはやがて消え行く運命にあるが、消えないものがある。いくつかの蒸留所は100年の歴史を超えて生き残り、そしてまた、僕らの記憶の中からも消し去ることができないウイスキーがある。

作られたものは失われて行くが、作る場所は生き残ることがある。僕らの記憶に残すため、僕らにできることがあるなら、ウイスキーが作られる場所が失われて行かないようにすることでもあるだろう。

2000年に蒸留された20年熟成のウイスキーと、同じ蒸留所で100年前に蒸留された20年熟成のそれが、似たように感じることはあっても、同じものでないことは明らかだろう。

それがグレンリベットであっても、ラフロイグであっても、すべては逃げ水のように、消えて行きながら移り行く。そこで作られたウイスキーは移り行き、移ろい続け、同じ名前の違うものとして存在する。

もちろん、それぞれ「同じ遺伝子を受け継ぐもの」と解釈することは妥当で、つまり、僕らは「似たような顔つきの兄弟の違いを認識することができる」と理解すればいいだろう。

今日飲めるウイスキーも、やがてはすべて消えてなくなる。
それは真理である。

移り変わっても僕らが失ってはいけないものがあるなら、
ウイスキーが生まれる場所と、
僕らの中に残る思い出と、
愉しみを続けようという意思。
その3つなのだと思う。

それらを失うと、僕らは永遠にウイスキーを愉しむことができなくなる。

もちろん、適者生存が世の常であるなら弱者から自然淘汰されていく運命なのだろう。しかし、2021年にウイスキーを愉しむ僕らは、ローズバンクやポート・エレンを弱者だと考えるだろうか?

ただ、それらの蒸留所が閉鎖された「その当時の価値観」において、それらの蒸留所は弱者だったのだ。たかだか40年程度の時間で、僕らの認識はこれほどまでに変わってしまう。

潰れた飲食店が再開することが難しいように、就職していなければ転職が難しいように、例えどれほど素晴らしい店であっても、どんなに優秀な人材であっても、多くの場合、諦めて、途切れてしまえば「そこで終わり」なのである。

今日飲めるウイスキーも、やがてはすべて消えてなくなる。
それは真理である。

あなたが今夜、当たり前に常飲するであろうウイスキーも、やがて「当たり前」ではなくなる日がやって来る。

30年ほど昔のこと。僕は毎晩マッカランのオフィシャル12年を飲むことが当たり前で、特に10年100プルーフがお気に入りだった。僕がまだ、池袋でジェイズ・バーを始める前の頃。

あなたはまだ、生まれていなかったかもしれない。生まれていても、小学生だったかもしれない。成人していても、ウイスキーに興味などなかったかもしれない。

ただ時が経てば、そのように「あなたの当たり前」も失われて行くのだ。ひと言申し上げるなら、当時のマッカランは僕にとって「標準」的なウイスキーであったということ。

論理の飛躍をお詫びしつつ、誤解を恐れず申し上げるなら、僕の中には2種類のウイスキーがある。それを僕は「標準」と「特異点」と呼んでいる。

30年前、僕にとってマッカランが「標準」であったことは先述の通り。もちろん「標準」であっても、十分に素晴らしいウイスキーであったことは言うまでもない。

ただ、「標準」が理解できなければ「特異点」を理解することは難しい。しかし、「特異点」として存在するウイスキーは、多くの飲み手を圧倒することがある。例え、非常に経験が浅くとも。

そして、このまま「特異点」という言葉を使い続ければ、ある種の語義矛盾に陥ることは確かだが、かつて「特異点」と認識していたウイスキーが、経験を積み重ねやがて「標準」と感じてしまうようになることがある。

面倒な言い回しをしたが「特異点」を「際立ったもの」とご理解いただいて構わない。僕の中の言葉遊びのようなものなのだ(笑)。

読者の皆様には、謎を残したままこの章を終わりにしようかと思うが、続きは丁寧に書き綴って行きたい。時間に余裕のある「緊急事態宣言下」の仕事のひとつと考えている。

最後になるが、この話「情熱価格という考え方」の結論から申し上げたい。
何をもって「情熱価格」とするのか?ということ。

僕が想定する多くの飲み手にとって「特異点」となる可能性の高い「最近のリリースのウイスキー」を、これからも「情熱価格」としてご提供したいと考えている。

僕の中には、ウイスキーが僕の人生をあらゆる意味で豊かにした。
という確信がある。

だからこそ、僕が亡くなった後も、僕らがウイスキーを愉しむ文化を残しておきたい。若い飲み手を育て、後世に繋ぐことが僕の仕事だと思う。

先ほど説明した通り、背景にある僕のポリシーは、

移り変わっても僕らが失ってはいけないものがあるなら、
ウイスキーが生まれる場所と、
僕らの中に残る思い出と、
愉しみを続けようという意思。
その3つなのだと思う。

ということ。

まぁ相変わらず話が長いのだが、
素敵なウイスキーが僕らを笑顔にしてくれることなら、どんな人にも同意してもらえると思う。

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