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「情熱価格」に関する変更点のお知らせ

「情熱価格」の仕組みを少し変更させていただきました。

これまでは毎月1の付く日に(1日、11日、21日、31日)10日間隔で新しい「情熱価格」を提供開始。次の1の付く日に新しい「情熱価格」を投入し、切り替わりのその日は新旧どちらも「情熱価格」で愉しめる。そんな仕組みで運営しておりました。

「情熱価格」はコロナ禍から始まり3年が過ぎました。元々のアイディアは4,5年前から温めていたものです。それ以前から「デフレの続く日本でウイスキーの価格だけはジワジワと上がり続けている」という実感がありましたが、その頃から「ちょっと特異なスペックを持つウイスキーの価格がポンと跳ね上がって来た」と認識するようになりました。

バーでウイスキーを飲むことの意味のひとつに「共感」があるのだと僕は考えています。

ウイスキーを中心に僕らは集まります。真ん中にウイスキーを置いて、僕らはアレコレ話を始めます。思ったことを語ればいいし特にルールなどないというのが僕の考え方です。

あまりにも下品だったり、生産者に対して失礼に過ぎるような発言をしなければという程度の節度を持った言葉のやり取りをお願いしたい。とは思いますが。

放った言葉は消えて行きます。SNSの投稿のように残りません。でも、聴いた誰かの心に残ることはあるでしょう。SNSへの投稿は後で消すことができます。でも、誰かの心に残ったそれを誰も消すことはできません。

何もウイスキーに限った話ではなく、日常の言葉のやり取りといのはそういうものではないでしょうか?先ほどは、SNSへの投稿は後で消すことができます。と言いましたがSNSには「消せば増える」の法則があるようです。放った言葉は消えて行くように思っても、誰かの心に残り拡散していくこともあるでしょう。

黙っていれば災いは起きないのでしょう。トラブルに巻き込まれることもありませんし、トラブルの元になることもありません。それでも、僕らが(リスクを取って)誰かに何かを聴いてもらいたくなるのは、僕らが「共感」を欲しているからなのだろう。というのが僕の見解です。

同じ映画を観て、同じ本を読んで、あるいは流れて来る最新のニュースから「あなたは私と同じように感じているの?」というのが永遠に不安なのが人間なのだと思います。そして、完璧にそれを確かめる手段を僕らは持ちません。

同じ映画を観て違う感想を抱くことはおかしなことではなりませんし、同じ本を読んで相手と論点がズレていると感じることもあるでしょう。あるいはニュースについて語り合い、自分とは違う相手の立場を理解することもあります。

ひとつのイシューを巡って言葉をやり取りすることが、人間を進化させて来たのだろうと僕は考えます。それは、ウイスキーも同じことなのではないでしょうか?

共感してくれる人がいることを知ることは僕らに安心を与えるでしょう。でも立場・見解が異なる人は、ただそれだけのことで敵ではありません。

「そういう切り口もあるのか」ということを知ることで、新たな共感の手段を手に入れる機会でもあるのです。立場が異なれば、思いも変わって来るだろうと知ることは人を成長させます。

だから僕らはウイスキーの周りに集まる。
自分と同じように感じる人と仲良くなるために。
自分と異なる感性を持つ人を尊重できるように。

僕はそう考えます。

もちろん、世界に「ウイスキー情報だけ」が流れている訳ではありません。SNS上に現れる様々なイシューを巡り、人々は言葉をやり取りします。そのほとんどが詭弁と反論の繰り返しであることに個人的にはウンザリしますが、それは人類の次の時代への変節の過程なのかもしれません。

バーでウイスキーを愉しみ語り合うことの気楽さは、正義も普遍性も求められないこと。そして、誰かと共感を得られるかもしれない可能性があること。あるいは、立場や見解の違いを知り、その人たちから直接何かを気付きを得ることが可能であること。

そういうことのために「呑み屋」というのは機能している。

そして、もうひとつ。
バーで誰かとお喋りをしても、魚拓を取られることがない(笑)
あくまでも「個人の感想」をベースに話は進みます。

さて、いつものように話は大きく逸れました。冒頭の「ちょっと特異なスペックを持つウイスキーの価格がポンと跳ね上がって来た」。
というところまで話を戻しましょう。

やはり、僕らにとって「ちょっと特異なスペックを持つウイスキー」というのは気になる存在です。例えば15年前、80年代のスキャパや90年代のベン・ネヴィスや80年代のモートラックなどは普通に「3杯セット」対象商品だったのです。

それらのものが気楽に愉しめる時代がありました。もはや隔世の感がありますが、15年前に成人してない現代の飲み手とは世代間格差が生まれてしまいます。

もちろん、時を経て熟成を重ねればウイスキーの価値は高まりますし、人々に消費され天使に分前を取られ二重の意味でウイスキーは「失われ行くもの」となります。価値を高めた失われ行くものが高い価格で流通すること、それ自体は「まぁそんなもんだろう」というのが僕の見解です。

それらのウイスキーに高いお金を払う人がいる(と販売する人が予測している)という結果なのでしょう。そして、自分に決められないことに文句を言ってもしょうがない。というのが僕の立場です。

とは言え「だったら諦める」というのも嫌だな。
という結果が「情熱価格」ということなのです。
先ほどまでの話に繋げて説明させていただくなら、僕らは「共感の軸」を失うことにもなるからです。

例えば40年前の「旬のウイスキー」を、僕は愉しむことができませんでした。2023年の今、それらは「失われたもの」と言えるでしょう。僕が今できることとして、これから「失われて行くだろう」と思えるものを提供するというのもひとつの使命かなと。

昨今、実際のウイスキーの流通量より「ウイスキー情報」が多く流通するような時代になったと感じます。

ウイスキーは体験であり座学ではない。と僕は考えます。情報には反応してしまいますが、大切なのは体験です。ただ、皆さんも「気になるけど高くて手が出ない」と感じるウイスキー情報に触れる機会が増えたのではないでしょうか?

そして「それでも飲みたい」を実現できないか?
という結果が「情熱価格」ということなのです。

3年前に「情熱価格」を始めた頃は10日に1本程度の間隔で「それでも飲みたい」ウイスキーを提供するのに十分でした。3年前に比べると「気になるけど高くて手が出ない」と皆さんが感じるウイスキーが増えて来たと思います。できる限り、そんなウイスキーを提供して行きたいと考えておりますが、10日間で1種類だけとなると「情熱価格の渋滞」が起こります。

1ヶ月先まで「情熱価格」の予定が決まっているのに10日で1種類というルール上、次のものが出せない。お客さんから「その棚に置いてあるそのウイスキーを下さい」と言われても「すみません。次の情熱価格なんで提供できるのは10日後です」と答えねばならない始末。

なんだかそれもオカシイなという結論に達しました。
皆さんが気になっているうちに提供するのもバーの務めかと感じました。

ということで、今後の「情熱価格」の仕組みについてご案内いたします。

①対象のウイスキーは入荷したらすぐに「情熱価格」にてご提供
②「情熱価格」の期間は2週間
③何種かの「情熱価格」が被る期間が発生することがあります
④「情熱価格」が1種もない日もあります

ということにさせていただきます。
よろしくお願い申し上げます!

池袋ジェイズ・バー
店主 蓮村 元

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