5月12日からの営業につきまして

既報の通り5月末まで緊急事態宣言が延長されました。

結論から申し上げます。
5月12日からも池袋ジェイズ・バーは休業を続けます。

本当に心苦しい思いです。
5月12日に「明けましておめでとうございます」を言いましょうとお伝えしていた皆様には本当に申し訳ありません。

営業再開の時期については、また、改めてご報告いたします。
それまで、しばらくお待ちください。
よろしくお願いします。

池袋 ジェイズ・バー
店主 蓮村 元



繰り返しになりますが、僕は5月12日から池袋ジェイズ・バーの休業延長を決定しました。もしも、僕の判断を「そんなことは当たり前」「東京都の決定に黙って従うべきだ」と思う方がいるなら、ここから先は読まずに立ち去って下さい。

ここから先は「読む意思」を持った方にだけに、これからのジェイズ・バーについてお話しさせて頂こうと思います。

3月31日に「コロナ禍で考える、4月1日からの営業について」というタイトルの記事を書きました。以下は、その続きと思っていただいて構いません。


4月25日から始まった休業期間、僕は付き合いのある経営者仲間やバーテンダーたちと、多くの場合、酒を飲みながらオンラインで話をして過ごしています。

その繋がりは池袋、東京だけに限らず全国に広がっています。古くから付き合いのある人もいますが、このコロナ禍をきっかけに新たな人脈を得ることができたことは、僕としても嬉しいことです。

基本的なことですが、僕は池袋についてある程度詳しくとも、他の街のことはよく分からないのです。今回の時短や休業に対する各自治体の対応も違いますし、いわゆる補償金の額も地域によって異なります。

たくさんの人たちとの情報交換は非常に役立っています。

話を聴くと見えてくるものがあります。当然ですが、それは自治体による違いより、それぞれのお店による違いです。その店の店主、バーテンダーによる違いと言った方がいいかもしれません。

「ウチはあんまり変わらない」というところから、「今月の家賃は払えないと大家さんに伝えた」というところまで、あるいは「休業要請を無視して営業している」という店もあります。

僕らのような職業は「日銭を稼ぐ商売」と思われがちです。もちろんそれは、事実のひとつの側面であると思いますし、そのことを僕も否定はしません。

ただ、僕らが自分の商売の「持続可能性」についての考えが足りなければ、結果として廃業の可能性が高まるでしょう。

多くの場合、僕の仲間たちはそれを考える人物です。

仲間たちと毎晩のように話をして、僕らは「僕らのビジネスに持続可能性をもたらすのは何だろう?」ということを話し合いました。そして、その答えは結局のところ「人」なのだという結論に至りました。

僕の考える「人」というのは2種類。
「お客さん」と「スタッフ」です。

改めて申し上げるまでもないことですが、顧客のいないビジネスが成立する訳はありません。ただ、僕らのビジネスが比較的小規模であることは、皆さんもご存知の通りだと思います。

であるが故に、僕が感じたのは「それらの人の顔がはっきりしている店は強い」ということです。もちろん、それは以前からそう感じ、また実践して来たことではありましたが、このコロナ禍でより一層明確になったということです。

言い換えるなら、人を数としか捉えていない店より、人の顔が思い浮かぶ店の強さと言ったらいいでしょうか。それは、「お客さん」と「スタッフ」どちらも大切なのです。

仲間たちの中には「マスターひとりでやっているバー」から「社員1人、アルバイト10名を抱え、平均客数が1日あたり100人を超える居酒屋」まで様々です。

このような状況で「平均客数が1日あたり100人を超える居酒屋」の苦戦は際立っています。あくまでも、僕の仲間達の中ではという話ではあります。

例えば、アルバイトに支払う人件費の合計が100万円だとしましょう。そもそも10人に10万円づつではありません。20万円の人から5万弱の人まで濃淡はありながら合計100万円ということです。

その店のある地域は時短営業を要請され、酒類の提供は可能でした。とは言え、客数は3分の1、客単価も下がったそうです。つまり、簡単に言ってしまえば売上は3分の1以下ということです。

仕入れも少なくなりますが、それが嬉しいことでないのは明らかです。水道光熱費は少し減るでしょうが、家賃は変わりませんし、以前と比べ明らかに必要なくなるのがアルバイトのスタッフです。

客数も減り、営業時間も短かくなれば、人を集める必要がなくなります。経営者も人数を絞って店を回して行くしかありません。結果として人件費も抑えられる訳です。

当然ですが、10人のアルバイトの給料が「それぞれ3分の1」になる訳ではありません。20万円の給料をもらっていた人は、一人暮らしのいわゆるフリーターです。給料が3分の1(つまり7万円)では暮らしていけません。

実家暮らしの学生から出勤調整が始まります。その次が主婦のパートの方。それぞれ経済的な余裕も濃淡がありますから優先順位を付けて、一番気を使ったのは住宅ローンだったそうです。

出勤調整で住宅ローンが支払えなくなる可能性のある方を優先したとのこと。そうやって調整しても、これまで20万の給料を支払っていた方は減額となってしまいます。

あくまでも、僕の仲間たちの中の一例です。仲間の中にはそんな風にやりくりをしている経営者もいるのです。

このコロナ禍において、ほとんどの人は「楽しみの少ない不自由な暮らし」を実感していますが、収入に関しては「ほとんど変わらない」という不安の少ない方も多いのです。

誤解なきよう申し上げますが、収入が変わらないことは悪ではありません。嬉しくもありがたい話でしょう。

ただ、金銭的に余裕のある方は「コロナ収束」を優先するでしょう。誰でもが思うでしょうが、僕らは不自由な暮らしを望みません。ただ一方で、経済的な困窮に直面している人は「コロナ収束」を待てないのです。

先程の仲間の店で働く月収20万の方は20代の女の子です。年齢的な統計から「コロナ感染・重症化」リスクの低い人です。一人暮らしですから「家族に感染させる」リスクも皆無と言って良いでしょう。

彼女の働きぶりを何度か目にしたことがあります。元気でハキハキとした、気の利く店員さんという印象でした。自身も自分の期待される役割を理解し、経営者にとっても重要なスタッフです。

コロナに関連するリスクの低い彼女が経済的な困窮に直面しています。僕ら経営者は「コロナがいつ終わるのか?」について答えを持ちません。同様に彼女を「いつから昔のようにシフトに入れるか?」についても答えられません。

長引けば、彼女は職を変えるでしょう。経営者にとって優秀な人材を失うことは大きな痛手です。これまでの繁盛店としての持続可能性が揺らぐ訳です。

一方、彼女にとってはコロナのリスクは低い訳です。コロナより「今月の自宅の家賃が支払えないこと」の方がリスクなのです。給料も払わずに働いてくれる人はいませんから、彼女は転職することになるでしょう。

良い職に恵まれることを祈りますが、学校を卒業して5年ほど、居酒屋のアルバイトで過ごして来た彼女です。リスクを取ってでも、収入の高い職場を選ぶことになるかもしれません。


少し乱暴な話をしたいと思います。

「コロナがいつ終わるのか?」について答えを持たない僕ですが、今般の状況が100年前のスペイン風邪と似たものであるなら、「いつか必ず終わる」と言うことは確かです。ただ、「それがいつなのか?」が分からないだけなのです。

ワクチンも特効薬も、あるいは顕微鏡もない時代から、人類は流行病と戦い、死ぬだけ死んで、生き残った人が未来を担って来た。不愉快な言い方と感じるかもしれませんが、それも事実です。

まさかそんなことが進行中とは思いませんが、もしも政府が無策であったとしても、生き残る人は生き残るのです。

「いつか必ず終わる」コロナ禍ですが、「いつ終わるか?」は分かりません。そして、終わるまでに「何をどのくらい犠牲にするか?」ということなのだと考えています。

人の命が重いものであることは明らかですが、これまで何度も繰り返し申し上げて来たように「ウィルスだけでなく、人は経済でも死んでいく」というのが僕の立場です。

経済的に余裕があり、コロナ収束を優先したい人たちの声に、かき消される弱者がいることを忘れないで欲しいのです。

そして、僕の多くの仲間たちは「雇用を守れなかった」ことに自責の念を抱いています。職場が変われば人生も一変するでしょう。僕らにとっても、スタッフが変われば、ビジネスの持続可能性は流動的になります。

どうか、皆様におかれましては、雇用を守るためにリスクを取って営業している飲食店があるなら、その経営者の使命感にご理解をと言いたいのです。

そして、経済的に余裕があり、日々の暮らしの不自由さからコロナ収束を願う人も、彼女のような貧困に直面している人も、実は同じようにコロナ収束を願っているのです。

つまり、利害は一致しているということです。

なので、先程の彼女のような「リスクを取らざるを得ない人」。あるいは「リスクを取れる人」。むしろ「リスクを取らない方が安全だろうと思われる人」。それぞれのリスクは一律ではなく「マダラに存在している」ことをまずは理解していただきたいのです。

その上で、行政は一律の自粛を要請しているということです。

例えばですが、パーテーションで区切られ個食・黙食が常態化しているラーメン屋さんと、ひとつのマイクを使い回し、仲間内で大騒ぎができるカラオケ・スナックの感染リスクは同じでしょうか?

誤解を避けるために申し上げますが、カラオケ・スナックが悪だと言いたいのではありません。自分が抱えているリスクと向かい合い利用したらどうでしょう。と言いたいのです。

自らのリスクを理解し、動ける人から動かないと経済は回りません。
そんな時期に来ているのではないでしょうか?

80歳の老人が「あそこのラーメンが食べたい」と言うなら「まぁ大丈夫じゃね?」と僕は答えるでしょう。でも「馴染みのカラオケ・スナックに行きたい」と言うなら「ヤメレ」と言うでしょう。

いずれにしても自己責任ですが、その老人に「もう1年も馴染みのママさんに会ってない。カラオケが歌いたい。行かせてくれ」と訴えられたら、僕には止めることはできません。

飲食業は一括りにされていますが、そのリスクは一様ではないと考えます。飲食店より感染者を出している場所はありますし、年齢や既往症によってもそのリスクは一律ではありません。

しかし、例えばラーメン屋とスナックのリスクの違いを、科学的根拠に基づいて説明がなされたことはいないようです。ボチボチ僕らの暮らしの中のリスクについて、詳細な説明がされても良い時期なのではないでしょうか?

場所によるリスク。そして、自らが抱えているリスク。それらを各個人が考え動けるような世の中を僕は望んでいるのですが、今まで通り「何も考えないで行動したい」という人は多いのでしょう。

とは言え、1年前なら僕らもそれに従ったかもしれませんが、「20時以降は街灯、看板、ネオンは消せ」「コンビニでも酒類を売るな」と言われても、ボチボチ多くの人がバカらしいと思い始めていると思います。

コンビニで酒を買い、公園や街中で酒を飲む若者たちが自粛を求められています。確かに、そこから感染が拡大したという「事実」はあるのでしょう。しかし、それが最大のクラスターではないでしょう。

優先順位の低いものにリソースをかけ過ぎれば、より一層社会は歪み、混乱するでしょう。安全より安心を優先する人たちは「犯人探し」に躍起になりますし、犯人を捕まえたら「ひと安心」なのかもしれません。

しかし、小物を捕まえたところで、大きな脅威は去りません。

小物には「分かりやすい顔」がありますから目立ってしまいます。今のマスコミには、顔の判別が付きにくい大きな脅威を説明する能力がないようですから、このままなら余計な社会の混乱と分断を招いて行くでしょう。

僕は「安全より安心」という考え方を肯定できません。科学的な根拠に基づいた安全が(ある程度)保証されない限り、安心はできないというのが僕の立場です。科学が風評に負けるのを恐れます。


さて、そろそろまとめて行きたいと思います。

6月1日から、緊急事態宣言が解除される予定のその日から、池袋ジェイズ・バーの営業をどのようにしていくか、現状の方針からお伝えしたいと思います。

現状、6月1日から宣言解除となるかどうかも分かりません。代わりに蔓延防止措置となるかもしれませんし、酒類の提供は可能になるかもしれません。

その時の状況が優先されることでもあるでしょう。政治的な思惑も絡むのかもしれません。いずれにしても、予測は不可能です。

ギリギリになって判断を覆す可能性はありますが、今のところ、6月1日から通常通りに近い形で営業を再開します。

20時までとの時短要請が出たとしても従わずに、できる限り従前からの営業時間に近付けるようにします。

「リスクの高い店」と判断される可能性は高くなりますし、むしろその判断も妥当なものであると考えます。

ただ、こんな時代に「当店は全くリスクがありません」と宣言できる店があるなら科学的な根拠はないでしょうし、誰にも信用されないでしょう。

緊急事態宣言のあるなしに関わらず、これからしばらくは、池袋ジェイズ・バーの感染対策を開示し、お客様に対するご協力にもご理解いただき、折り合いが付くと判断されたお客様にご来店いただけるようお願いしたいと考えております。

詳細については後日お知らせさせていだきます。
まだ少し、時間があります。
しばらく考えさせて下さい。

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