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池袋ジェイズ・バー 96ネヴィス祭

「あの蒸留所のこのヴィンテージ」なんて会話がやり取りされるようになって久しいと思う。

60年代のボウモアやロングモーンから始まり、72のキャパドニック、クライヌリッシュ。76のベンリアック、トマーチンなど。他にもいくつか挙げることは可能だが、このくらいにしておこう。

僕らは目の前の素晴らしいと感じたウイスキーに「なぜ美味しいと感じたのだろう?」とその答えを求めがちだ。それは読みかけのミステリーの犯人探しにも似ている。ただ、僕らを悩ませるのはミステリーなら読了後に犯人を特定できても、ウイスキーの場合それが難しいということ。

「コイツが犯人なのか!」と特定できた時の高揚感はミステリーの魅力のひとつでもあるのだろう。動機があり、計画があり、犯行は実行される。僕らは探偵になった気分でウイスキーというミステリーに取り組もうとしてしまいがちだが、もしもウイスキーが犯罪であるなら、多くの場合それは単独犯ではない。

「コイツが犯人だ!」と特定することは難しい。ざっくりと糖化、発酵、蒸留、熟成と分けただけでも話は複雑になっていく。そもそもの麦の収穫にまったく影響力がないとも思わないし、製麦の過程でもその品質にバラツキがないとは言えないだろう。

粉砕に問題があれば糖化や濾過に影響を与えるだろう。蒸留機は永久機関ではない。どの熟成庫で貯蔵されるか。また、熟成庫の中のどの場所にその樽は存在したのか。樽もまた、木材という自然物で作られる。材の良し悪しは熟成にバラツキをもたらすだろう。

更には、製造設備の入れ替え、新設はウイスキーの品質に影響を与えるだろう。その時その時代の現場で働く人たちのモチベーションはどのようなものだっただろう。時代背景や経済状況にも影響されたことだろう。

もしもウイスキーが犯罪であるなら、主犯格の存在を否定しないが複数犯によるもの。というのが僕の見解である。

探偵気取りでウイスキーと向き合っても冤罪を生むことになるだろう。
自戒を込めて、常にそう考えるようにしている。

そしてそれでもなお、僕らは「なぜ美味しいと感じたのだろう?」とその答えを求めてウイスキーを飲んでいる。真実を求めたいという崇高な理念を持っていると勘違いをして、飲めば飲むほど酩酊するだけと知っていながら。

素晴らしいウイスキーを目の前にして、それを説明できる分かり易い「因果関係」などないのだと思うようになった。それでも諦めの悪い僕らは、蒸留所とヴィンテージの「相関関係」を理解したいと思うようになったのだろう。冒頭の「あの蒸留所のこのヴィンテージ」なんて会話がやり取りされるようになった背景にはそんな思いがあるのだろう。

今となっては96ヴィンテージのベン・ネヴィスとの最初の出会いがいつだったかは分からない。それまでもいくつかの96ベン・ネヴィスを飲んできたことだろう。しかし、僕の中で明確な境目、再認識のきっかけを与えてくれたのは2014年に開催されたウイスキー・フェスだったと記憶している。

いつものように会場をふらつきながら、お客さんや業界関係者と挨拶を交わしながら、スコッチモルト販売さんのブースの前にたどり着いた。気になるウイスキーをいくつか試しながら「おすすめは何かありますか?」と尋ねたはずだ。そして出されたのがモルトマンの96ベン・ネヴィス。

ボリューム感に若干の足りなさを感じたが、スレンダーでフルーティな印象だったのをよく覚えている。儚い繊細さの中に白桃やの南国フルーツの香りが感じられた。

ここまで明確にフルーティな主張をするベン・ネヴィスは初めてだったのではないかと思う。そして、語義矛盾に思われるかもしれないが、その儚い繊細さに力強い主張を感じた。

「私を忘れないで」
グラスの中でその可愛らしいお嬢さんは小さな声で叫んでいた。

僕は大騒ぎをするのを避けようと思ったが、自分の胸騒ぎに戸惑った。声の大きな人の主張は多くの人に届くのかもしれない。でも、それだけでいいのだろうか?

恥ずかしそうに俯いて「私を忘れないで」と小さな声で叫んでいるウイスキーたちを紹介するのも自分の仕事なはずなのだ。

ウイスキー・フェスの会場の中で、気になって何人かの業界関係者に「アレ飲んだ?」と話を振ってみた。飲んでないという返答なら「すぐ飲みに行け」と伝え、飲んだ人は概ね高評価だった。

余談だが、現在ラダーの代表である北梶君もその時大いに評価していたのを思い出す。いわゆる「北梶フレーバー」と言われるものの延長に、僕はこのモルトマンのベン・ネヴィスもあるだろうと思っていたから。

今となっては96ベン・ネヴィスがひとつのビッグウェーブであることは、多くの方が認識するところだろう。非常に個人的な話だが、9年前のその時に僕が感じたのは「小さな波」だったことはお伝えしておきたい。

少しだけ、そんな時代の背景をお伝えしておきたい。

冒頭で話をさせて頂いた、60年代のボウモアやロングモーン。72キャパドニック、クライヌリッシュ。76ベンリアック、トマーチンなど。それらのいわゆる「あの蒸留所のこのヴィンテージ」というウイスキーが枯渇し始めた時代でもあったと思う。

60年代のボウモアやロングモーンならそれより10年ほど前から、72・76ヴィンテージのそれらの蒸留所は、2010年を超えた頃から瓶詰めされるウイスキーが減り始めたと認識している。

当時の盛んな飲み手の皆様には60年代のボウモアやロングモーン。72キャパドニック、クライヌリッシュ。76ベンリアック、トマーチンなどの記憶がしっかりとあったはずだ。

数が少なくなれば価格は高騰する。皆さんも経験があることだろう。消えてなくなる快楽。それはウイスキーという嗜好品の本質ということでもある。

そして、それらが失われ行くものであろうことに不安と不満を感じていたかもしれない。つまり、ある種のミッシングリンクが発生しそうな領域に96ベン・ネヴィスは現れたとも言えるのではないだろうか?

もしもそうであるなら、何年か後に「失われた96ネヴィス」と「今ある96ネヴィス」を、特に若い飲み手のために飲み比べる機会を作れないだろうか?そんなふうに考えた。

とは言え「今ある96ネヴィス」もすぐに「失われた96ネヴィス」となってしまうような時代になってしまったが。

そうやってストックして来た96ベン・ネヴィスが34本。
皆さんに楽しんんで頂けたら嬉しい限り。

さてさて、またいつものように話が長くなってしまったが、以下のように
「池袋ジェイズ・バー 96ネヴィス祭」を開催したいと思う。

2月9日(木)を第一回として、17週間にわたって毎週木曜日に開催します。

①各木曜日に2本づつご提供を開始します。
②何を提供するかは当日発表します。
③各ウイスキーは3分の1を残して提供を中止。
④18週目に34種全ての96ネヴィスを一気にご提供。

第一回となる2月9日(木)は「僕の始まりの96ネヴィス」と何かもう1本を選びます。当日発表しますね。

よろしくお願いします。

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