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おちり愛の本分

 ちりグラファーの本分は、おちりを撮ることではない。おちりを愛することである。
 愛すればこそおちりを撮り、愛ゆえにおちりを撮る。そこにあるのは、写真家としての矜恃ではない。ちりグラファーとしての愛なのだ。(※自分でも何を言っているのか分からなくなっている…あっ、大丈夫です。よくあることなので)

 ちりグラファーが同時にかいぬしである場合、これは大変厄介なことで、おちり愛をこじらせ、しまいには「『おちりの人』と呼ばれたい…」などと口走った挙句、毎日毎日おちりを撮りまくり、日課のようにおちりをツイートしまくるという暴挙に出ることがある。あれ、なんか既視感あるけどまぁいいか。

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 そこに山があるから…とはたびたび用いられる比喩であるが、そこにおちりがあるから…仕方がないですよね、おちりがあるんだもの。

 そしてそのもふもふのおちりを守ることが出来るのもまた、愛に裏打ちされたかいぬしの務めに他ならない。
 何が言いたいのかというと、おちりが好きだ!見たい!嗅ぎたい!撮りたい!

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