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弥次さん喜多さん、ゲルハルト・リヒター展に行く

弥次さん:喜多さん、喜多さん、見てみねぇ、なんだかわかんねぇが、豪快な襖だね。この上にこれから何んか描くのかね?

喜多さん:知らないのかい、弥次さん。今お江戸で評判の「ビルケナウ」という西洋画さ。絵師のリヒターさんは、海の向こうではなんでもすごい人気で、競りでは日本橋のおおだな(大店)が買えるくらいの値がつくそうな。


ゲルハルト・リヒター〈ビルケナウ〉@国立近代美術館(筆者撮影)

弥次さん:そりゃすげえ。でその「ビルケナウ」ってえのは、いったいぜんたい何なんだい?

喜多さん:またの名をアウシュビッツと言って、昔獨逸国の暴君が気に入らねぇ異教徒をしょっ引いて、皆殺しにしたでっかい監獄らしい。

弥次さん:くわばらくわばら。絵ってものは、綺麗なものを見せてくれるんだとばっかり思っていたが、西洋人の趣味は分かんねぇな。それにこんな下書きみたいんで、人に見せるんかい?

喜多さん:下書きだなんて、とんでもない。これはリヒターさんが、何年もかけて何回も塗り重ねてきたものなんだ。初めは監獄で隠し撮りした写し絵を丁寧に書き写したそうなんだが得心できず、何度も何度も縦横に絵の具を塗り重ねてこうなったんだそうだ。

弥次さん:そうなんかい?下に写絵が隠されていたとは気づかなんだ。よく見ても分からねぇが、確かに丁寧に何度も塗り重ねているねぇ。でもなんでそんなことをするのかね。

喜多さん:リヒターさんは、子供の頃監獄の近在に住んでいたらしいんだが、そんな酷いことが起こっているとは後になって知ったそうな。そのことが、絵師として名を上げてからもずーと気になっていて、80歳を過ぎて踏ん切りつけて取り掛かった仕事がこれさ。だから積年の思いが込められているってぇ訳さ。

弥次さん:そんな話があるのかい。襖絵の下書きなんて言って面目無い。そう言われてみると、見ているといろんなことが思い浮かぶねぇ。西洋画も捨てたもんじゃないね。

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