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わたしのコーヒーのいれ方

コーヒーというのは、色々な場面で寄り添ってくれる存在だ。
朝起きたら、とりあえずコーヒーを入れて
何も出来ない日もとりあえずコーヒーを入れて
なにか頑張るぞ、って時もまずコーヒーを入れて

いつも生活のそばにあるコーヒーは優しい存在だ

わたしにとって落ち着く空間というのはコーヒーで始まっているのかもしれないとさえ思う。

コーヒーの作り方。⚠マイルールです。
①82℃のお湯を作る(温度計で計って)
②コーヒーの粉をフィルターに入れて湯を注ぐ
※注ぎ始めてから終えるまでを3分以内に収める

使っているのはKINTO


③1度30秒ほど蒸らして、残りの湯を3回に分けて注ぐ(最初は中心部に注いで、徐々に外側に)

人によって色んなコーヒーの作り方があるのだけれど、わたしはこの基準を守って作っている

色々なマイルールが人によってあるのが面白い
いれ方で性格が出るのではないかと思っている

生豆から購入して焙煎をしてみたり、器具を買ってみたり、こだわろうと思えばいくらでもこだわれるし、はたまたインスタントコーヒーがあればお湯を作って手軽に飲めるという、
なんとも手軽さと奥深さを両立した不思議な飲み物だ。

なんとなく作っているから、大してこだわりはない


落ち着く空間というのが、誰しも必要だけど
わたしにとっては、音楽、編み物、何かを飲んでいる時、きれいな景色を眺めている時、誰かとどうでもいい話をしている時、何かを作っている時

落ち着く空間は1人でいる時間のほうが多い。かな

情報が多い時代だけど、その反対にあるぼんやりふにゃふにゃした時間が自分の心地良い瞬間なのだと思う。

朝焼けを見ているときは、毎回同じ太陽のはずなのに、何かに思いを馳せたり、耽けったりして、同じ物も全然違うように見えて、ちょっとずつ自分が変わっていってるのだなと感じる。

自分もそうだけれど流行りだとか飽きだとかで、新しく変わっていこうとする流れの中に、変わらない物を見つめる姿勢も大事にしていきたい。

変わっていくものの中にある、変わらないもの、
変わらないものの中にある、変わっていくもの、
ややこしいので伝わっているか分からないけれどそれをじっと静かに見つめるのが心地良い
楽しい時間で、落ち着く空間だったりする。

今の時代はこうだけれど、昔はこうだったとか
小学生時代のあの人は今何しているのだろうとか

時代は流れて変わっていってしまうのだなと、
そんなに長く生きていないのだけれど、
生きていない時代とか人の事を、懐かしむ感覚がある。

誰かの日常は自分にとって意外と新鮮な物に映る
それは相手から見て、自分もそうなのだろうけど
noteを見ながら面白いなあと、くすくす1人で笑っているのも至福の時間だ。

何もやる気が出ないから、
コーヒーを飲みながらそんな事を考えていた。

次は何を作ろうかと、ふにゃふにゃ考えている。

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