ぬか漬け白菜キムチの作り方


作る時期は白菜が安くて旬の、細菌が増殖しづらい秋から冬が良いと思う。

①1日目、白菜を洗ってよく発酵したぬか床に一晩漬ける。※糠が1枚1枚に付くように

②2日目、タレを作る。
唐辛子ペースト、すりおろしにんにく、乾姜、昆布だし、すりおろしりんご、すりごま、を混ぜる

分量は味見しながらマイレシピを作ってね。

③一晩漬けた白菜に、②のタレを1枚ずつすり込む
④嫌気性の乳酸菌なので空気が入らないように漬物用の樽に詰め込み常温で置いておく。
⑤2日たったら味見をする。
温度で乳酸菌の活動量が変わるので、2日ペースで味見をして酸っぱくなっていたら食べ頃。
ぬか漬けをすると、乳酸菌がすぐに働くので食べれるのが早くなる。
放置しているとどんどん乳酸発酵が進んで酸っぱくなるので、好みの味になったら冷蔵庫にうつしましょう
変な味(発酵が進みすぎてアンモニアっぽい味)
がしだしたり、カビが生えていたら食べないように。

何だか枠にとらわれることが多くなってきたなと
考えてしまう事が多くなってきた。

こうゆう生き方の模範を守らなければならないとか、そうではなくもっと自由に枠にとらわれずに生きるにはどうすればいいか考えている。

生きていくには何かしら、憧れだったり何かを信じていたり、好きなものを持っているのだけれどそれが最近、倒錯状態にある。

例えばファッションでいうと、
この服が好きだからこのファッションをする。
こんな印象を受けたいからこの系統のファッションをする。もしくはそうなっている。
というのが無邪気な考え方だと思うけれど

わたしはある系統のファッションに固執してしまって、身に付けるのはこの系統のファッションでなければいけないと思ってしまう。
本末転倒なのだ。
いつの間にか頭が固くなっているのが悔しい

好きな着物を楽しむというより、主張をしている感覚が残って、無邪気に生きれていない気がする

ヒントは自作の編み物をしている時のような、
自由に文章を書いている時のような、
好きな音楽を聴いている時のような、
そんな感覚な気がする。


"僕じゃなくて服が僕を着ちゃいそう"
らしくもなくたっていいでしょう/TOMOO

好きな物を作っているというのと、何か主張をするというのはすごく似ているけれど、自分らしさを自分で決めつけて不器用な生き方をしてしまわないようにしたい。

そんなわたしの主張強めのレシピ
ぬか漬け白菜のキムチでした。
このレシピが好きなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?