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「男は『betterな女』なら誰でもよくて、女は『bestな男』じゃないと嫌」理論

ここに、私が日頃から常々思っている自論、「男は『betterな女』なら誰でもよくて、女は『bestな男』じゃないと嫌」理論をぶちあげたいと思う。

なお、断っておくが、以下展開される男女論は、私がtwitterで見聞きした体験談や価値観をもとにしている。私が現実に経験したことではないし、統計によって定量的に観測されていることではないので、あしからず。

1.根拠

さて、といっても当理論はその100%が私の創造性の中から出てきたというわけではなく、ある程度は私が読んできた本の中に含まれる科学的事実(あるいは科学的だとされている事実)を土台にしている。

進化心理学的な考え方をするならば、男の性欲と女の性欲の違いは、その生存戦略によって説明できる。男にとっての「中出し」と女にとっての「妊娠出産」というのは、そもそもリスクとコストの面で大きく違ってくる。男にとっての「中出し」は低リスク低コストだが、女にとっての「妊娠出産」は高リスク高コストだ。男が自分の遺伝子を残そうとすれば、そのための最適な戦略というのは「遺伝子的に優秀か優秀でないかを問わず、最低限出産できる健康状態をクリアしている女とたくさん交わること」であるが、女が自分の遺伝子を残そうとすれば、そのための最適な戦略というのは「自分が交われる範囲内で最も優秀な遺伝子を持つ男と交わること」である。

もっとも、この考え方は一部の人達にとっては非常に都合が悪いので、長らく封印されてきた。「一部の人達」というのは「優秀でない男達」だ。「優秀でない男達」を排除せず、包括したまま社会を発展させるための社会システムとして、一夫一妻制が求められたのではないかと思われる(もしくは「優秀でない男達」を排除することを決めた社会が歴史のなかで淘汰されていったのかもしれない)。一部の過激なミソジニストたちは「非モテ男に女を再分配しろ」と言い、それに対してフェミニストたちが怒り狂っている様子をtwitterで見かけることがあるが、私からすると再分配システムは一夫一妻制という形で存在してきたのではないかと思ってしまう(北欧にはシングルマザーへの支援を手厚くし過ぎて、女達にとっての最適戦略が「結婚せずに強者男性の子供を生むこと」になってしまい、一夫一妻制が形骸化した国もあったりするが)。

2.この理論で説明できること

a,「こいつもしかして俺のこと好きなんじゃね?」という勘違い

男女ともに、自分が考えていることを相手にも投影してしまうのではないかと思われる。つまり、男は「betterな女」なら誰でもいいと考えているので、女も同様に「betterな男」なら誰にでも好意を抱くものと思い込み、「自分はbetterと呼べる程度のスペックは持っているので、ワンチャンあるのでは?」みたいに非現実的な期待をしてしまう現象があるのではないか。

b,「男女の友情」という幻想

同様に、女も「bestな男」を求める自分の思考を男にも重ねて考えており、男も「bestな女」を求めているのだと思いこんでいる。「自分はこのコミュニティにおいて、bestと呼べるほど魅力的ではないのだから、この人から好意を向けてもらえるはずはない。」みたいな風に思い込み、男の好意を過小評価してしまった結果、「私と彼は恋愛感情ではなく、同性の友人の延長のような友情によって絆を結んでおり、友人関係を維持しています。」みたいな、(男からすると)トンチンカンなことを言ったりするのだろう。また同様に、男の方から好意を明確にされると、「この人にとって私は『bestな女』なのだろうか、だとすれば袖にするのはあんまりだ。」みたいな風に好意を過大評価することもあり、結果として「一晩の夢を見させてやろう」みたいな動機で男の誘いを受けることもあるらしい。結果として男は「数撃ちゃ当たる」戦法を覚えるわけだから皮肉なことだが。





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