見出し画像

Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第75話 高度人材の海外流出がもたらすもの

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/ndcc014343f78
 
 この話は2022年まで遡る。マレーシアのポートクランでコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、サイバージャヤという都市にいた。この街はマレーシアの首都クアラルンプールから南に50kmほどの距離にあり、今から30年ほど前までは、何もないジャングルの原生林だった。しかし1990年代後半、マレーシア政府はこの地にハイテク関連の特区を創設することを決定し、それ以降、森を切り開き、継続的な都市開発が進められてきた。現在では多くのITや半導体関連の企業が軒を連ねており、例えば最近はテスラもマレーシア支社の所在地としてサイバージャヤを選定している。
 

 
 さて氷堂がサイバージャヤに来たのは、とある物流会社の社長と商談の約束があったからだ。この会社はIT機器や半導体装置製造会社を主な顧客としており、貨物の9割以上をこういったハイテク関連機器が占めている。ただコロナ禍の物流の混乱により、コンテナ不足に苦しんでいた。このような状況ゆえに、氷堂の会社に引き合いが入った訳だ。
 
 物流会社に到着した氷堂は、応接室へと招き入れられた。そこに現れたのは社長のクリスだった。彼は30代半ばの男性で、身長は180cm以上あり、モデルのように引き締まった体型をしていた。一方で「クリス」という名前で呼ばれてはいるものの、彼は欧米系ではなく、生粋の中華系のマレーシア人だ。中華系の人達は同姓が多いことから、このような欧米系のニックネームを用いる事が非常に多く、その方が仕事を行う上でも便利らしい。握手で氷堂を迎えたクリスは、開口一番こう言った。
 
「リツさん、この度は遠方まで足を運んで下さり、本当にありがとうございます。こうやって日本人の方と仕事ができることを嬉しく思います。私自身も日本が大好きで、コロナ前には毎年のように旅行に行っていました」。
 
 クリスは氷堂を温かく歓迎した。実にナイスガイだ。それに対して氷堂も応える。
 
「こちらこそ貴重なお話をいただき、本当に感謝しています。それにしても素晴らしいオフィスですね。物流会社に思えないほどお洒落です。ポートクランの田舎町にある私の会社とは大違いです」。
 
 するとクリスも笑ってこう言った。
 
「ありがとうございます。私たちの顧客はハイテク関連の企業で、当然ながら彼らのオフィスはとても洗練されています。それに合わせて私たちのオフィスも、ある程度体裁を整えなければならないんですよ。正直無駄なコストではあるのですが、これも必要経費ですね」。
 
 そう言うとクリスはニコリと微笑んだ。その後も二人は1時間ほど商談を続けたが、話が一段落着いたところで、氷堂はクリスに尋ねてみた。
 
「そう言えばクリスさんがこの会社を立ち上げたのは、今から4年前だったと聞いています。少しお聞きしたいんですが、その前は何をやっていらっしゃったんでしょうか?やはり地場の物流会社にお勤めだったんですか?」
 
 氷堂は疑問に思ったことをぶつけてみた。するとクリスは返答した。
 
「実はですね、私はマレーシアの大学を卒業した後、物流工学についてさらに学ぶため、英国の大学に編入したんです。その後は英国にヘッドオフィスがある国際物流企業で、キャリアを重ねてきました。その後に決意を固めて、母国マレーシアに戻って起業に至ったんです。ただですね、マレーシアに帰ると決めた時には、多くの人から反対されました。職場の上司だけでなく、友人たちからもですね」。
 
 そう話すクリスの表情には、少し陰のようなものを感じた。そしてクリスは続けた。
 
「これはこの国にとって深刻な問題です。賢くて稼げる人ほど国を後にしてしまい、その後は二度と戻って来ないんです」。
 
 そう言うとクリスは大きなため息を吐いた。その様子を見て、氷堂は疑問に思えてきた。なぜ高度人材の国外への流出が起きているのだろうか?なぜそれを止められないのだろうか?それにより経済はどんな影響を受けているのだろうか?これらの疑問に対する答えを得たいと思った氷堂は、クリスの話にさらに耳を傾けることにした。しかしその後に氷堂が知ることになったのは、人材流出が止まらない中所得国の宿命と、日本も他人事は言えなくなっている厳しい現実だった。
 

ここから先は

5,129字 / 7画像
マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?