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トップの先に何を見る

❖ 前書き

本稿はTobyさん(@toby_24ss)の #svアドカレ2021 参加記事です。日頃デッキや環境の解説記事を中心に書いており、たまには趣向の違うものをと考えていた折、この企画を目にして飛び入り参加させていただきました。素敵なイベントをありがとうございます!

面白い投稿がずらりと並んでいますので、「今初めてこの企画について知った!」という方は是非、以下からカレンダーを確認し、お好みの記事を探してみてください。明日以降もまだまだ投稿が続き、クリスマスにはなんと総勢50もの記事が出揃う予定です!

🎄 svアドカレ2021(昼の部)
🎄 svアドカレ2021(夜の部)

シャドウバース Advent Calendar 2021

次の記事は昼の部より、Kroneさん(@krone_sv)が投稿予定です。

❖ はじめに

いよいよ明日に迫ったShadowverese World Grand Prix 2021 GRAND FINALS。解説を務める、まる(@mal_shadow)といいます。普段は大型大会シーズンに環境整理の記事等を書いていますが、今回世界大会を1人でも多くの人と一緒に楽しみたいと思い、「観戦」というテーマで筆を取りました

世界の頂点を決するGRAND FINALS、当然ながらプレイヤーとして関われるのは8名のみ。普段競技シーンに身をおく人たちも、明日は観客として1人のプレイヤーが栄光を手にする瞬間を見届けることになるでしょう。
ところがこの「観客」というのが曲者です。e-sportsの議論を端緒として、「カードゲームは興行化(≒エンタメとしての観戦)には向かない」という言説はしばしば語られます。いわく、ルールが難解。いわく、スキルが伝わりにくい。いわく、運の影響が大きい等々。枚挙にいとまがありませんが、そのどれもが少なからず説得力を持っており、カードゲームを楽しく観戦することの難しさを常々考えさせられます。

特にスキルと運の問題は興行化という小難しい話を抜きにしても、多くのプレイヤーや観戦者の間で度々意識され、あるいは口にされてきたテーマでしょう。その一端とも言えるのが「トップ」に対する反応です。過去を振り返ってみても、劇的なトップドローはたとえそれが世界大会の場であっても(あるいはだからこそ)、歓声ばかりに迎えられるわけではなく、「運だけ」「引いただけ」等否定的な意見がついてまわりました。また、直接口には出さずとも「トップで騒ぐのは浅い」「俺なら引けてない」などの思いから素直に沸けなかった経験のある人や、反射的に叫んではいるものの、「プレイじゃなくてトップにばかり沸いていていいのだろうか」とわだかまりを抱えている人もいるのではないでしょうか。

では、なぜこのタイミングでそんな話をするのか。トップに沸くことが観戦を、そして自らの競技体験をぐっと深くしてくれると考えているからです。
現実的な話、これからの一晩で明日の試合が100倍面白くなる魔法はありません。選手はきっと今なお練習を重ねていますし、出演者陣・スタッフ陣も明日に向けた最終準備・調整に余念がありません。ここから短時間の努力でこれ以上にできることは限られていると言えるでしょう。でももし、自分の試合の楽しみ方を発信することで、これまで冷めた目で見ていた人に試合の行く末を固唾を飲んで見守ってもらうことができたら。何となく盛り上がりきれない人の喉元で歓声をせき止めている小骨を抜くことができたら。そんな思いから、この記事では日頃何かと悪者にされる「トップ」との観戦上の付き合い方を、一個人の意見として綴っていきます。

もっともらしく大見得を切った直後に手のひらを反すようですが、平たく言えば「一人でも多くのかたに観戦をより楽しんでいただきたい」ということに他ならないので、お仕着せるものではありません。ひとつの楽しみ方の提案としてお付き合いいただければ幸いです。

❖ スキルと歓声は仲が悪い

◆ リテラシーの功罪

劇的なシーンを彩る歓声は観戦につきものです。スポーツ他さまざまな競技の観戦において、叫ばずにはいられない場面はしばしば訪れますが、ことカードゲームではドローのタイミングが最も顕著でしょう。しかし、ドローそのものは極めて機械的な行為。今引いた《ボーンフリーク》が実は世界王者のドローなら《スケルトンレイダー》だった、なんてことはありません。

ではなぜ、誰が引いても同じもので、時に会場が揺れるほどに盛り上がるのでしょうか。中には「上手いプレイに魅力がない、または観戦者がプレイに目を向けない」といった趣旨の切り口もありますが、個人的には違和感を覚える指摘です。というのも対戦が終われば会場の、あるいはコメントやタイムラインのそこかしこで「〇〇ターン目の〜が」「あれ以外勝ち筋はなかった」などプレイを振り返る声、もっと端的に言えば「うまかった」と称える声が聞かれるからです。対戦のさなかで声が上がるのは素晴らしいプレイよりも劇的なトップですが、後になって合わせて語られるのはプレイという構図。これは名プレイの抱えるジレンマによる現象だと考えています。

観戦というのは究極のところ、一方が勝利する場面を見届けるものですから、勝敗に絡む、いわゆる「試合を動かす」出来事のほうが盛り上がりを呼びやすい傾向にあります。その意味で名プレイそのものは盛り上がるに足る魅力を備えているわけですが、ここで一つの課題が浮上します。カードゲームではあるプレイが勝敗を左右するものかどうか、「予め分かってしまう」「分かるために思考を要する」「その場では評価を下せない」のいずれかに当てはまってしまいやすいのです。

まず、「予め分かってしまう」ケースについて。カードゲームの観戦は情報に溢れています。双方の手札、場の状況、推測されるデッキの中身……。未知の領分は小さく抑えられ、一定のリテラシーを持つ観戦者にとって、今後起こるであろう展開の大半はある程度予想が可能なものです。観戦における盛り上がりとは上述の通り、試合が動く場面に多いですが、予め試合がどのタイミングでどう動くか分かっていたとしたら、興奮も半減するというものでしょう。いわば「不確かさ・予想外」も歓声の呼び水であり、事前に分かっていたホームランを目の当たりにしても、思わず立ち上がって手を叩くということにはなりません。

◆ 歓声は大縄跳び

次に「分かるまでに思考を要する」ケースです。事前に分かるから盛り上がれないなら観戦者の予想を超えるプレイを、というのは当然の帰結ですが、そうすると今度は観る人がそのプレイを咀嚼して「試合を左右するものか」判断するまでに時間がかかります。観戦における歓声というのは通常一人だけで起こる現象ではありません。会場で多くの人が画面を見守る中突然一人盛り上がり出す。あるいは他愛のない会話を交わしているコメント欄でおもむろに「うおおおおお!!」と叫び出す。中々想像しがたい光景ではないでしょうか。カードゲームに限らず、多くの観戦者にとって、無意識下にせよ「他の人達も声を上げるだろう」という確信がない状況で歓声を上げるのはある種危険な賭けです。容易に予想できないような難解なプレイは、観戦者達の間に「気付き」のタイミングの差を生み、声を上げる機会を失わせます。余談になりますが、こうした難解さを解きほぐし、「気付き」のタイムラグをなるべく減らすのは解説の大切な仕事です。明日も全力で取り組んでいきますので、是非周りに怯まず声を出していただけると嬉しいです。

しかし、解説としても中々手を出しづらいところがあります。それが3つめ、「その場では評価を下せない」ケースです。「裏目」という言葉があります。必ずしもプレイミスと断じることはできず、後のドローや相手の行動によって自身の選択の価値が減じる場合に使われる言葉ですが、この言葉は「あるプレイの価値がコントロールできない未来の要素によって変化する」ことを示唆しています。この場合、裏目をはらむ選択肢は観戦中に「試合が動きうる場面」として捉える分には難しくありませんが、実際にその一手が勝敗を左右する決定打となったのか判断できるのは、下手をすると何ターンか先になります。これをプレイしたタイミングで沸けというのも酷な話です。必然、保留していた評価が確定するのは勝利にほど近いタイミングになり、それがトップドローの瞬間だというのは、そう珍しいことではないでしょう。

◆ フィジカル / マインド

一点気をつけたいところですが、これらは別にプレイが評価されないということを意味しません。評価のタイミングがずれ込むことで歓声には結びつかないというだけのことで、囲碁・将棋等に代表されるマインドスポーツではしばしば見られる光景と言えるでしょう。こうしたケースではまさに先に述べたように試合後に検討・評価がなされ、静かな興奮をもって語られることになるわけです。これも立派な一つの楽しみ方ではないでしょうか。

では、トップドローはどうでしょう。まず、表になるまで何が引けたのか分からないという意味で、「不確かさ」という要件を満たします。そしてこの不確かさは状況の難解さに起因するものではないため、「プレイの分かりやすさ」と喧嘩をしないという特徴があります。したがってカードが表になるまでは「試合が動くかもしれない」場面であり、かつ表になれば多くのプレイヤーがほぼ同時に「実際に試合が動くかどうか」を察知できる仕掛けになっている点で沸きやすいのがトップドローだと言うことができます。この構造はどちらかというとフィジカルスポーツに近く、時間と思考を使って味わうスキルとは、そもそも楽しみ方のベクトルが違うものです。あえて誤解を恐れずに言うなら、快音が響いた瞬間沸き立つ球場と性質を同じくしており、「スイングが素晴らしいから」ではなく「その白球が柵を超えるか否かで試合が動きうる」という認識・期待感を観客が共有できるから盛り上がる部分も大きいと考えられます。

❖ 「同じ」は武器だ

ここまで、同期性などの観点から、カードゲームのスキルとトップそれぞれの「沸く」という行為への適性を考えてきました。ただし、これではカードゲームのスキルは会場を沸かせるのにはやや向かないと述べただけであり、片手落ちというもの。「やっぱり観戦に不向きじゃん」となるだけです。ここからは「スキルで沸くのが難しいから」という消極的な理由以外に、トップには盛り上がるに足る魅力が詰まっていることに触れていきましょう。鍵となるのはやはり「運」です。

◆ 様々な投影

戦いの最終局面で、「運」という自分の思考や選択ではどうにもできないものに明暗を委ねる。それはおそらく全Shadowverseプレイヤーに共通する体験です。ベストなプレイを続けた先で確率の理不尽に膝を折る悔しさも、奮わぬ手札で必死に戦った末、これしかないという1枚にたどり着き激闘を制した達成感も、ほとんどのプレイヤーにとって馴染みの深いものでしょう。大げさに言えば、Shadowverseプレイヤーに限った話ではありません。運に泣き、運に笑うのは我々の日常の一部であり、そこに現れる悲喜こもごもは実に多くの人にとっての共通言語となりえます。

こうした共通性は観戦にリアリティをもたらしてくれます。たとえ試合の勝敗を左右する場面であっても、世界王者の1ドローとあなたの1ドローは確率的には全くの同一です。なればこそ、そのドローの先でプレイヤーが上げる勝鬨、あるいは浮かべる失意の表情は多くの観戦者にとって画面の向こうの出来事に留まらず、「自分事」として捉えることができる代物となります。最高峰の戦いのクライマックスに、プレイヤーとしての己を投影しながら決着を見届けることができる。これは、時に勝敗の根幹にまで確率が関与するカードゲームならではの武器と言えるのではないでしょうか。「次は自分があんな戦いを」「自分にもあの熱いドローは訪れる」。「運」という共通項を介することで、そんな決意・期待・憧憬を肌で感じることができるのがトップドローの瞬間です。

◆ 共通の敵

この共通性について、もう少しフォーカスしてみましょう。「運」とはつまるところ、全プレイヤー共通の敵です。誰かと対戦する際には、目の前の相手だけでなく、自らの運とも戦っていると言えます。そして対戦を重ねれば重ねるほど、必然運に敗れる機会も増えるわけで、共通の仇とさえ取ることができます。
そのため、「運に恵まれないプレイヤーが苦境の中最善のプレイを重ね、最後にトップドローで運に打ち克つ」といった展開はいわば「敵討ち」の爽快感にあふれるものです

また、Shadowverseで勝ちたいと願えば、基本的にはデッキ構築やプレイング等、自らの能力をもって臨むことになりますが、ここでもやはり運が立ちはだかります。どれだけ力を振り絞っても確率の壁に無情に跳ね返され、「実力ではどうにもできないんじゃないか」と諦めを抱いたことのある人は少なくないでしょう。そんなプレイヤーにとって、スキルで不運を跳ねのけて勝利をつかみ取るトッププレイヤーの姿は「実力は報われる」ことの象徴であり、再び運に立ち向かうための原動力となるはずです。

こうした爽快感や希望は「運 vs プレイヤー(≒実力)」という構図と、運の塊であるトップドローが組み合わさって初めて生まれます。運という共通の敵を象徴するトップドローを通じて、そこに至る過程のプレイングが実力として際立って見えてくるからこそ、我々は声を上げるのではないでしょうか。

❖ プレイに震え、トップで奮え

ここまでの内容をまとめます。

【名プレイについて】

  • その場で沸くことは難しい

  • それは「結果が読めない」と「試合が動く気配は分かる」の両立が困難だから

  • また、その場で勝敗への寄与を確定できないことがあるから

  • 楽しみ方はマインドスポーツ型。後から振り返って語ることが多い

【トップについて】

  • 構造上沸きやすい

  • 瞬時に驚きや期待を共有できるという点でフィジカルスポーツ的な観戦の楽しみ方

  • それは「結果の不確かさ」と「勝敗分岐の分かりやすさ」を両立しうるから

  • 保留していた過去のプレイの評価が確定するタイミングでもあるから

  • ドローという共通項を通して肌で試合を感じられるから

  • 共通の敵である「運」に実力を標榜するプレイヤーが打ち克つ瞬間だから

いかがだったでしょうか。少なからず主観と憶測を交えた内容となりましたが、この記事を通して「明日は目いっぱい叫ぼう」と思ってくれた方が少しでもいれば、嬉しい限りです。

来たるShadowverse World Grand Prix 2021 GRAND FINALSはいよいよ明日12月19日(日)、午前10時開幕です!
皆さんと一緒に最高の一日を盛り上げていけることを楽しみにしています!


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