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2021年7月14日の日記 〜進むために、洗い落とすべき澱〜

夕立の日だった。朝に食料の買い物を済ませてクリーニング屋へフランクリーダーのリネンジャケットを取りに行った以外は、家にこもって就活の日だった。意思力を振り絞って、やっと6社に応募した。なんでこんなに躊躇ってしまうのか。

夕方、オンラインCA面談も行う。思いのほかアニメの話で盛り上がってしまい、楽しい面談になったのはびっくり。とはいえ、とはいえだけども。目の前の人を信頼して頼る勇気が足りない人生だった。これからは人を信じる強さを身につけなければならない。

突然兄から連絡がきて驚き。FF7をプレイしにやってきた。一人で不安な時に親しい人間がいると安心する。あたりまえ体操。

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「こんなはずでは」じゃない。ずっとそうだった。目の前のものと向き合ってなかった。
これから、一歩ずつやり直していこう。歩いていれば成長はしていける。怖がって足を止めることが何よりヤバいんだ。


それは運動と同じ。いまの楽を選べば、数倍の苦難となって未来に返ってくる。

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貯金は大事だなと改めて。今も就活で不安だらけだが、これで貯金すら無かったらどうしていたかという。まともな思考すらできなかったのではと思う。追い詰められた人間はIQが低下する、これは本当だ。今あるものに感謝して、できることを一つずつ重ねて行きましょう。

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7月12日の某暗黒noteに、印象深いというか身につまされた話があった。

"弱りきっている人間は、他人に助けてもらうエネルギーさえない"という話だ。

例えばいま自分が受けてるキャリアカウンセリングもそうで、「行動すれば変わりますよ」「勇気を持ってやりましょう」という助言がある(実際に同じようなニュアンスの事を言われた)。

この助言を聞き入れるには、その前に「行動していない/ 勇気がなくて燻っている」という自分の現状を認識して受け入れるワンステップが必要になる。己の弱さ、ダメな部分を認めることにはそれなりの痛みを伴う。メンタルが弱りきっている人間は、これすら耐えられないということだ。ぽきりと折れて、何ならアドバイスをくれた人を手ひどく拒絶さえする。冒頭で書いたように、人を信じるのにも強さが必要なのだ。

正直なところ、自分も6月からこの状態で1ヶ月ほど立ち止まってしまっていた。「動こう」と頭では思っていても、身体が動かない。慣れきった生活の臭いにばかり引き寄せられて、元の習慣に安住していようとする。この引力の強さといったらない。

これを乗り越えるには、それまでの自分を捨てる覚悟が必要なのかもしれない。時を重ねて人は成長するが、同時に「澱」も溜めていく。堆積し、腐臭すら放ち始めるそれを洗い落とさないと、人は次のステップに進めないのかもしれない。

これからの人生を勝ち得るために、俺はどれだけのものを捨てることになるだろうか。一つわかるのは、躊躇っているヒマなんて無いということだろうか。

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