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「ボケて」問題を考える。好きな人でも笑いのセンスは連動しない?

最近Voicyとかnoteで様々な方とつながる幸運に恵まれています。

相撲という枠を超えて活動すると、相撲以外の面白い方にもたくさん巡り合うことができるので本当に有難い限りです。

そうした方達に支えてもらう形で自分の活動が更に広がりを見せている。相撲以外のフィールドだとまだまだ地ならしをしなければならないので、自分の地盤を整えることは本当に大事だと思っています。

でね。

最近かなり気になっていることがあるんです。

繋がった方の中でX(旧Twitter)で「ボケて」の投稿をしている方が少なからず居るんですね。

前々から「ボケて」の投稿に関しては結構気にはなっていたんです。ただ、つながった方が増えたことによって表面化してきた部分がありまして。

その人の本業の魅力と笑いのセンスって、連動しないんですよ。

ちょっとこの表現だとなかなか伝わらないと思うので、敢えて言葉を選ばずに表現を改めたいと思います。

本業がどんなに面白くても、「ボケて」だと面白くないこともある

ということです。

これは、別にその人が面白くないと言っているんじゃないんですよ。笑いの感覚っていうのは誰にでも通じるっていうものじゃないことは43歳にもなると分かってきます。

つまり、その人が面白くないのではなくて、私にはピンと来ないという意味ですね。

例えば、私はイチロー選手が大好きなんですけど、現役後期のキャンプの時にアディダスのパロディTシャツとか着てきたアレについてはおや?と思うことがありました。

つまり、

その人の普段の活動に共感して且つ笑いの感覚にまで共感するっていうのは結構特殊なことでさえあると思うようになったんですよ。

逆もまた真なりで。

笑いの感覚的に物凄く共感する人であっても、お笑い以外のフィールドでの活動についてはピンと来ない、なんてこともあります。

その芸人さんがどんなに好きでも俳優活動とか、執筆活動はあれ?ってなることって結構ありますからね。

そんなことをふと考えると、ボケてっていうのは本来であればX(Twitter)でもアカウント分けてやるくらいが丁度いいのかもしれません。

結構困るのが、本業の投稿よりもボケてが多いケースって結構あって、割とノイジーになりがちってことなんですよ。これ、多分勿体ないと思うんです。

ひょっとしたら、ボケての投稿が多いことが原因で人が離れている可能性もあります。ボケてが理由でファンが付くっていうのは面白ければあるかもしれませんけど、そこはなんとも言えません。

政治と野球と宗教の話は人前でするなっていう話は結構有名ですけど、ひょっとしたらこのSNS時代には笑いのセンスっていうのもまた、あまり前面に出し過ぎないくらいの方が丁度いいのかもしれない。

そんなことを思ったのでした。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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