あなたは何故不要なアドバイスを受け流せないのか、教えます。
人は教えたがる生き物である
私達の周りって、色々教えてくれる人が居ますよね。
ノウハウを共有してくれる人も居れば、何かをするときの気構えを伝えてくれる人も居て、それらがとても有益なことって本当に多いと思います。
私がnoteに来てやっていることって単に楽しい話をしているだけではなくて「なるほど、為になりました!」みたいなことを言われたいってことが無くもないんです。
あんまり気づいていないようなノウハウとか、自分のポジションや人生でないと知ることが出来ないことを皆さんにお伝え出来たら楽しいじゃないですか。
結構そんなシンプルな理由から来るものなんですよね。
あと、お世話になっている雑誌の編集長の方から「noteの記事の書き方教えます」って記事を投稿したときに「手の内明かしちゃっていいんですか!?」って聞かれたのですが、実は大して問題ないと思っています。
それは、真似しても私の記事までは模倣出来ないからです。
作り方は分かっても、普段考えていることまではマネできないし、何よりその書き方を誰より研究しているのが私自身だからです。
まぁ少し前にドラマで「レシピがあっても同じ料理が作れるわけじゃない」って木村拓哉だか及川光博が言ってたのを聞いて、ちょっとカッコつけたくなったというのも公開に踏み切った理由だったりします。
有益でないアドバイスに有効な「受け流す」スキル
でね。
良いアドバイスをくれる人はいいんですよ。
それは的確な時もあるし、的確かどうかは分からなくても今の自分にその人の視点で向き合って教えてくれたということに共感できているって時もありますからね。
ただ、世の中のアドバイスや注意ってそういういいものばかりじゃないんですよ。
人は教えたがる生き物で、本気で向き合ってくれていてありがた迷惑なこともあれば、単に的外れな時もあります。
多分子供の教育をするときは「人の指摘は受け入れろ」って言うし、そう聞かされて育ってきたと記憶しています。多分例の父からもそれに類する何かを言われていたと思っています。
ただ、自分の中でどうにも納得がいかない、フィットしないことを言われることもあるんですよ。
そんな時に一番有効なのは、受け流すということです。
これ、上手い人居ますよね。聞いているんだけど、アドバイスとか説教とか上手く掻い潜るというか、そのムードを終わらせて違う話題にいつの間にか出来る人。
考えてみると、私って説教されやすいみたいなんですよ。相手から見ると指摘したくなるってことだと思います。隙を作ってコミュニケーションを取るところがあるので仕方がないんですけどね。
この「受け流す」って手法が出来ないととってもストレスになるし、相手も怒り始めちゃう。いいことが一つもないんですよ。でも、教えたがりで世話焼きたがる人は世の中には数多く存在するので何とかしなきゃいけない。
多分皆さん受け流そうとはすると思うんです。そんな嫌なアドバイスなんて聞きたくないじゃないですか。私だってそうです。
だから「そのアドバイスは結構です」っていうのを遠巻きに伝えてきたんです。割といい歳になるまでは。要らないと表明しないと伝わらないし、でも失礼があっちゃいけないですからね。
アドバイスに反論するのは更なる面倒を招く
でもね。これが間違いなんですよ。
私がこれまでに受け流そうとしてやってきたことって、相手の説教モードが来たら大人の態度で反論するか、聞くことに徹するかといずれかだったんですね。
実は一番やばいのが前者で、人って一度言い始めると引っ込みが付かなくなるんですよ。だから、どんなに紳士的かつ誠実であっても反する立場を表明されたら自分の言い分を曲げたくなくなる訳です。
ですから、こちらの意図として「そのアドバイス不要です」ってやっても反論に対して反論したくなっちゃう。
面倒な人が更に面倒になるんですよ。
こうなっちゃうともうダメですね。私は何も分かっていない人扱いされちゃいます。相手の気が済むまで言われ続けることになるし、最初に否定せずにサンドバッグになることを選んだ時よりヒートアップするから手に負えません。
ふと考えてみると、私は何故反論したくなるのかなって思うんです。
これは恐らく二つの理由があって、一つは指摘に対して無自覚且つ言われたくないことだったという「アドバイスが的確だったパターン」。
そしてもう一つ、恐らくこれが大部分になりますが、その指摘は自分でも理解しているけど既に何周もしているときの「自分なりの回答が存在するパターン」です。
問題になるのは後者のときです。
反論されて、それが理に適っていれば良いですが、人はアドバイスする対象に対して基本的に上から来ている訳です。ですから下の人からの反論って面白くないし、それは正しさの問題ではなくなっちゃうんですよね。
論点はアドバイスなんですけど、本当に相手を想うというより、プライドの問題に変わってくるから本当に面倒なんですよ。
だから、アドバイスしたがる人が理屈で反論しても言い分を下げないのはそのためです。
彼らがプライドの問題にするのは自分の正しさを通したい想いもありますが、もうひとつ大事なのは、彼らの視点からすると私達がプライドの問題で指摘を認められないように見えてしまうということです。
だから彼らは分かったふりして何も分かっていないと受け止めてヒートアップすることになるんです。
冗談で切り返すという「受け流し」が有効である理由
ここまで分かると、するべきことが見えてきます。間違いなくしてはいけないのは彼らの指摘を分かっていないという態度や言葉を見せてはいけないということなんですね。
そして上策になってくるのは、彼らの言い分を認めること。まずこれが難しいんですよね。上から来ている人に対して「はい、そうですね」っていう意志はそもそも見せにくい。こっちにもプライドがありますから。
でも、それは捨てちゃいましょう。プライドにこだわっていると更に悪い循環にハマりますから。
とはいえ全面的に認めるとサンドバッグになってしまうので、分かってはいるけど話を終わらせるという高度なスキルが求められます。ここからなんですよね、難しいのは。
最近一番いいなと思ったのは、認めつつそれを冗談で切り返すということです。相手も言いたいことがあっても、笑っちゃったらもう指摘できなくなりますからね。笑わせたもの勝ちってことです。
フェイク混ぜますけど、少し前にあったのがとある投稿に対して私の知人が「相変わらず自分大好きですね」って一文コメント残してきたんですよ。
こっちにも言い分ありましたし、別にそういうことが伝えたいわけじゃなかったんですよ。だから、そうじゃないよ、別に自己愛をアピールしたいとか、自分すげえをしたいわけじゃないんだぜ、って言いたかったんですけどそんなこと言ってもダメじゃないですか。
だって、もう刃物突きつけてきてるんですよ。この人。
とりあえずこの刃物が周囲からしても物騒だし、私からしても面倒だし、どうしようって感じですよね。なので、言っておきました。
「はい、生まれてこの方ずっと自分大好きです。」って。
人によってはこれを居直りと捉えることもあるかもしれませんし、もっと良い切り返しはあると思います。ただ、私とこの方との関係性に於いては追撃を避けることが出来ました。ですから、これは正解の一つではあったんです。
こういう指摘ってその人との間柄とか指摘の種類によって正解は変わるんですよ。だから「こうしろ!」っていうのは全く無いんですけど、でも少なくとも何か言われた時に真正面から反論するよりは分かっている意志を見せながら冗談で受け流すというのが42歳の自分には一番フィットするやり方だろうなぁと思うのです。
というわけで、いかがでしたか?ご自身の周りにもアドバイス好きな方が居てとても困ったエピソードや上手く受け流すためのテクニック、あとどうしてこじれがちなのかということをコメント欄でくださるととても嬉しいです!
■挨拶・自己紹介・雑談用の記事も作りました。
今回の記事の感想とは別で西尾と話したい!という時はこちらをご利用下さい!
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これはヤバい。全部面白い。リトさんの話、聖杯戦争みたいでヤバいですね。全員疲弊して殉職していく様子が面白いけど理不尽なんですよ。
通称「面ゆる」でみなさんとお話しできる日が来ることを楽しみにしています。
ちなみにさぼてん主婦さんからもこのマガジンについて記事を書いていただいています。ありがとうございます!
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